五欲に関するkikuutanのブックマーク (7)

  • 死の縁無量なり。疫病と仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【生死の一大事(3)】 アメリカ、ヨーロッパでの新型コロナウィルスの蔓延が深刻です。 メルケル首相が国民に向けて切迫したメッセージを出しました。 「東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、我が国においてこれほどまでに一致団結を要する挑戦はなかったのです」 G7首脳による緊急テレビ会議がなされ、 各国の科学者は薬品とワクチンを発見できるよう研究に没頭し、 世界はウィルスという見えない敵に勝利しようと現在死力を尽くしています。 しかしたとえ薬品とワクチンが開発されてこの度の騒動が収束に向かっても、 ウィルスはコロナだけでなく、いったん流行すれば 今日のグローバル化した世界において致命的なダメージをもたらすことは明確になったので、 今後こうなる前にいかにい止めるか、対策が求められます。 さらにいえば世の中に私たちの生命と生活を脅かす深刻な問題はコロナだけではありません。 地球温暖化、世

    死の縁無量なり。疫病と仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 「よもすがら仏の道に入りぬれば」源信僧都 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【法鏡(2)】 お釈迦さまは仏教を『法鏡』と言われ、 私たちの当の姿を映す鏡だと教えられました。 仏教とは自己を知る教えなのです。 平安時代の高僧、源信僧都は 「よもすがら仏の道に入りぬればわが心にぞたずね入りぬる」 と歌いました。 よもすがら(夜も徹して) 仏の道に入りぬれば(お釈迦様の教えを聞き求めていくと) 月灯りの下、あるいはろうそくの灯の下でお経を読み進めていくと わが心にぞたずね入りぬる(いつしか自分の心の中にたずね入っていく心地がした) と源信僧都は言われています。 これは源信だけでなく、仏教を重ねて聞かれれば、 みなさんも自分の姿に訪ね入っていく感覚を持たれることと思います。 1日よりも1か月、1ヶ月よりも2ヶ月、1年よりも3年、 聞けば聞くほど知らされて来るのは当の自分の姿です。 「私は仏教を聞いてもう3年になるけれど、自分が何者かなんて少しも考えたこともないし、問題

    「よもすがら仏の道に入りぬれば」源信僧都 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 聖徳太子の十七条憲法に学ぶ『人間』 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【凡夫(1)】 人間関係で知っておきたい大事な心得の一つは 「自分が正しい、相手が間違っている」と思い込まないことです。 相手は悪人で自分は正義、 相手は加害者で自分は被害者、 こう決め込んで話し合いのテーブルにつくと、 カッカしてしまい、話し合いにならなくなります。 相手の罪状を洗い出し、心の中で裁判が始まり いかに相手がひどいことを言ったか、 いかに自分がひどいことをされたか、 を立証することに躍起になってしまいいます。 そして相手の罪状を並び立ててば立てるほど、 ますます相手が悪人に思え、憎しみはその人の心に深く刻まれてしまうのです。 仏教が日に伝来した際、多大な貢献を果たした聖徳太子は こういうことをよくよくご存じだったからでしょう、 有名な十七条憲法の一節にこうあります。 【我、必ず聖にあらず。彼、必ず愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ】 「私が必ずしも正しいとはいえない。 彼が必

    聖徳太子の十七条憲法に学ぶ『人間』 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • のんきな人はどこにもいない - 親鸞に学ぶ幸福論

    【流転輪廻(1)】 もう何年か前ですが、ある番組の対談で、 さまぁ~ずがその頃売れ筋だった芸人に、 「ブレイクしてすごいね」と言うと、 「いや、ホント不安なんです。このまま消えたら一発芸人なので。あの売れなかった時代に戻ると思うと怖くて」 「僕らからしたらさまぁ~ずのみなさんはプラチナカードなんです。僕らもなんとかプラチナカードの仲間入りをしたいんです」 と芸人が答えていました。 その言葉にさまぁ~ずが 「いやいや、プラチナカードなんて思ったこと一度もない。こっちも不安なのは一緒だよ」 と返していたのが印象的でした。 学校のクラスの「おもしろい人」の一握りが「プロの芸人」になり、 「プロの芸人」の一握りが「ブレイクした芸人」になり、 その「ブレイク芸人」のそのまた一握りが、 ずっと活躍する「プラチナカード芸人」となるのですが、 どこまで行ってもこれでヤレヤレということはないようです。 イチ

    のんきな人はどこにもいない - 親鸞に学ぶ幸福論
  • カエサルの洞察に人間の普遍性を見る - 親鸞に学ぶ幸福論

    【凡夫(1)】 人の上に立つ者は、「人」とはどんなものか、よく熟知していなければなりません。 「人」を知らずして、人を動かすことはできません。 カエサルは、ローマ軍を自らの手足のようにあやつり、 ガリア、ゲルマンの部族を次々と屈服させた希代の英雄ですが、 なぜローマの男たちはカエサルに命をあずけたのか。 なぜ彼はそれだけの人の心をつかみ、動かすことができたのか、 その理由をさぐるとき、カエサルの冷徹ともいえる人間洞察があったことが、 彼の遺した言葉の数々からうかがえます。 いくつか紹介しましょう。 ○人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない ○苦境は、友を敵に変える。 ○人は感情が支配するようになれば、決定を下すのは感性で、理性のたち入るすきはなくなる ○始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そ

    カエサルの洞察に人間の普遍性を見る - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 飢餓で苦しむ人と飽食で苦しむ人。食欲という煩悩の実態 - 親鸞に学ぶ幸福論

    欲(2)】 仏教で説かれる『欲』は、 『貪欲』という煩悩の一つに数えられています。 欲は私たちを悩ませ煩わせるものだと、釈迦は説かれているということです。 これはお釈迦様に言われるまでもなく、 人類にとって何千年にわたって最大の敵は「飢饉」だったので、 人間は、自らの持つ「欲」が強いものであるか、 その欲のためにどれだけ苦しみ悩んでいるか、 骨身にしみて理解していました。 いつでもべたい時にべられ、飲みたい時に飲めたら、どんなに幸せだろう、 そうなれば欲に煩わされることなく生きられるのに、 とどんなにこそあこがれたことでしょう。 しかしそれは叶わぬ夢でした。 ところがこの100~200年の間に劇的に事態は改善し、 現在では、世界の一部の地域を除いては、飢餓による死亡はほとんど無くなりました。 冷蔵庫を開ければ、お湯を注げば、缶詰開ければ、ビニールの封を開ければ、 お手軽に空

    飢餓で苦しむ人と飽食で苦しむ人。食欲という煩悩の実態 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 食欲は五欲の一つに数えられ、罪悪を造ると仏教で説かれている - 親鸞に学ぶ幸福論

    欲(1)】 仏教で教えられる『十悪』のうち、心で造る罪悪が三つあり、 その筆頭が『貪欲』です。 欲しい、欲しいと求める心のことです。 貪欲の中でも代表的な五つを『五欲』といい、 その最初に挙げられるのが『欲』です。 「欲」を罪悪だと説かれる釈迦の教えに、 「欲がなぜ悪なんだ?」と首をかしげる人も多いと思います。 「欲の秋」と聞いて「悪を造る秋」と思う人もありませんし、 「私、お腹空いちゃった」と発言する人に「なんて悪いことを口にするんだ」と眉をひそめる人もありません。 「欲が旺盛なのは健康的でいいことであり、咎められることではなかろう、何が悪いことあるか」と言っています。 しかしそれは類いまれな飽な時代に私たちが生きているから、そんなことが言っておれるのです。 人類史は何千年も前から「飢饉」を最悪の敵としていました。 つい100~200年前には世界のほとんどの人が、 生物学

    食欲は五欲の一つに数えられ、罪悪を造ると仏教で説かれている - 親鸞に学ぶ幸福論
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