今朝(9/13)の朝日新聞紙面でもっとも目を引いたのは、内田樹の「わたしの紙面批評」だった。 内田は、かつては日本における情報資源の分配は「一億総中流化」的であり、たとえば内田自身が小学生の頃は、親がとっていた朝日新聞と週刊朝日と文藝春秋を熟読していれば、世の中の「知っておくべきこと」はだいたいカバーできたという。それに対し、欧米の「クオリティー・ペーパー」は知識階級のためのものであり、せいぜい数十万の「選ばれた読者」しか対象にしていない。それらは階層社会に固有のものであり、権力と財貨と文化資本がある社会集団に集中している場合にしか成り立たない。日本にそれがなかったのは「一億総中流化」の日本社会が欧米ほど排他的に階層化されていなかったためだと指摘する。 その「情報平等主義」がいま崩れようとしていると内田は言う。理由の一つはインターネットの出現による「情報のビッグバン」、一つは新聞情報の相対