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  • 出演作が途切れない!パワフルに活躍する風吹ジュンさん、昭和、平成、令和を駆け抜けた俳優人生を語る | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 吉田修一原作小説映画化『愛に乱暴』で主人公(江口のりこ)の姑を演じている風吹ジュンさん。俳優として出演作が途切れないパワフルな風吹さんに、この映画の魅力とともに、キャリアの変遷、エネルギーの源、好奇心旺盛な私生活など、さまざまなお話を伺いました。 風吹ジュン(ふぶきじゅん) 1952年5月12日生まれ。富山県出身。 1975年ドラマ『寺内貫太郎一家2』で俳優デビュー。その後、数々の映画、ドラマで幅広く活躍。『無能の人』(1991年)で日アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。『コキーユ~貝殻~』(1999年)で報

    出演作が途切れない!パワフルに活躍する風吹ジュンさん、昭和、平成、令和を駆け抜けた俳優人生を語る | キネヅカ
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    kinezuka 2024/08/26
    俳優として出演作が途切れないパワフルな風吹さんに、最新の出演映画『愛に乱暴』についてとともに、キャリアの変遷、エネルギーの源、好奇心旺盛な私生活など、さまざまなお話を伺いました。
  • 昭和はなぜあんなに心地よかったのか 好きを突き詰めこだわり抜いた平山雄の自宅を訪問 | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 近年、“平成レトロ”や“昭和レトロ”といったリバイバルブームだ。世のなかはどんどん便利になり情報が溢れているのに、どうして私たちは過去に惹かれてしまうのだろうか。 今回は、平山雄さんをインタビュー。著者に『昭和ぐらしで令和を生きる』『昭和喫茶に魅せられて、819軒』『昭和遺産へ、巡礼1703景』(いずれも303BOOKS)などがあり、自宅もまるで昭和時代にタイムスリップしたかのようなこだわりを見せている。 人いわく、「好きなことをしていたらこうなっただけ」とのこと。そんな平山さんが感じる“あのころ”の良さ、そ

    昭和はなぜあんなに心地よかったのか 好きを突き詰めこだわり抜いた平山雄の自宅を訪問 | キネヅカ
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    kinezuka 2024/08/20
    『昭和ぐらしで令和を生きる』などの著書がある平山雄さん。昭和時代にタイムスリップしたかのようなご自宅でインタビューさせていただきました。
  • 『エースをねらえ!』『元祖天才バカボン』の元アニメーターは人間愛が溢れる考古イラストレーター | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 遺跡に命を吹き込み、当時の人々の生活をいきいきと描く復元画の第一人者である早川和子さんは約40年に渡り、復元画を専門に描いている。早川さんの前身は『元祖天才バカボン』『エースを狙え!』『草原の少女ローラ』等、国民的アニメの制作に関わってきたアニメーターである。国内だけでなく海外の遺跡の復元画も手がけている早川さんが描く復元画には、その時代を生きてきた人々の生活する姿が生き生きと描かれ、そこにはアニメーターを経験した早川さんだからこそ描ける復元画の世界がある。早川さんが描く古代の世界は人々への愛に満ちている。考古

    『エースをねらえ!』『元祖天才バカボン』の元アニメーターは人間愛が溢れる考古イラストレーター | キネヅカ
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    kinezuka 2024/07/12
    考古イラストレーター早川和子さん。国民的アニメの制作に関わってきたアニメーターから遺跡の復元・発掘をきっかけに遺跡の復元画の第一人者に。
  • 33年間アメ横を見つめた千葉速人さんが語る、時代の変化「ガラッと変わったのはここ数年」 | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 海産物からミリタリーショップ、金銀革製品、飲み屋から古着までありとあらゆる専門店が軒を連ね、その数は約400店舗にのぼる。ニッチからメジャーまでなんでもありの商店街が、上野「アメ横」だ。 誰も拒むことのない混沌さと熱気が凝縮された雰囲気が特徴のアメ横だが、この地に魅了され33年間を過ごしたのが、レザーショップ『ALBUQUERQUE (アルバカーキ)』の店主・千葉速人さんだ。 今回は千葉さんの人生についてインタビュー。自由でありながら筋の通った人生と、アメ横との出会いについて語ってもらった。 千葉速人 昭和29

    33年間アメ横を見つめた千葉速人さんが語る、時代の変化「ガラッと変わったのはここ数年」 | キネヅカ
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    kinezuka 2024/06/07
    アメ横に魅了され33年間を過ごしたレザーショップ『ALBUQUERQUE (アルバカーキ)』の店主・千葉速人さん。自由でありながら筋の通った人生と、アメ横との出会いについて語ってもらった。
  • 人気の中華風家庭料理「ふーみん」の斉風瑞さんが語る、振り向く暇もない忙しい「ふーみん」時代を経て得た、マイペースな生き方 | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 ドキュメンタリー映画『キッチンから花束を』は、東京・南青山にある中華風家庭料理「ふーみん」の斉風瑞(さいふうみ)さんの半生を描いた作品。「ふーみん」誕生秘話から、引退、現在に至るまで、斉さんが「ふーみん」時代の思い出と苦労やプライベートについてお話ししてくださいました。 斉風瑞(さい・ふうみ) 1971年、東京・渋谷区神宮前に中華風家庭料理のお店「ふーみん」をオープン。その後、南青山の小原流会館の地下に移転し。45年間シェフを務めたのち、引退。現在は神奈川県・溝の口で、1日1組限定のお店「斉」のシェフとして腕を

    人気の中華風家庭料理「ふーみん」の斉風瑞さんが語る、振り向く暇もない忙しい「ふーみん」時代を経て得た、マイペースな生き方 | キネヅカ
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    kinezuka 2024/05/30
    東京・南青山にある人気の中華風家庭料理「ふーみん」の斉風瑞(さいふうみ)さんインタビュー。思い出と苦労やプライベートについてお話ししてくださいました。
  • あきらめないで良かった!50歳から再び舞台へ。小川菜摘さん「新人女優のような気持ちで常に全力です」 | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 女優・タレントとして活躍する小川菜摘さん。 今年6月には明治座で上演される『中村雅俊芸能生活50周年記念公演』に出演する予定だ。 小川さんは1978年に中村雅俊さん主演の学園ドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』の生徒役でデビュー。その後結婚し舞台の仕事からは離れるが、子育てが一段落した50歳から格的に復帰し、以来10年以上にわたり数多くの公演で活躍している。 今回はデビュー時の『恩師』でもある中村雅俊さんと、46年振りに共演する小川菜摘さんに今作への意気込みと、第二の人生に挑む同世代へのエールを語ってもらった。 中

    あきらめないで良かった!50歳から再び舞台へ。小川菜摘さん「新人女優のような気持ちで常に全力です」 | キネヅカ
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    kinezuka 2024/05/30
    女優・タレントとして活躍する小川菜摘さん。子育てが一段落した50歳から本格的に復帰し、数多くの舞台公演で活躍している小川さんに第二の人生に挑む同世代へのエールをいただきました。
  • 平野レミに聞く!【後編】「一家4人」から「夫婦ふたり」、そして「ひとり自炊」に。でも、料理の楽しさは変わらないわ | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 前編のインタビューでは料理との出会い、家族との出会いについて語ってくれた平野レミさん。 後編では、「味望人=味を望むすべての人」として情報発信を続けているレミさんの元気の源について、話を聞いてみよう。 読めば誰もが元気になる、痛快インタビューだ! 前編記事はこちら→平野レミに聞く!【前編】料理は、五感でシアワセが伝わる最高の自己表現なのよ 平野レミ(ひらの・れみ) 料理愛好家、シャンソン歌手。主婦として家庭料理を作り続けた経験を生かし、「料理愛好家」として活躍。また、元気印の講演会、エッセイを通じて、明るく元気

    平野レミに聞く!【後編】「一家4人」から「夫婦ふたり」、そして「ひとり自炊」に。でも、料理の楽しさは変わらないわ | キネヅカ
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    kinezuka 2024/05/17
    平野レミさん後編。「味望人=味を望むすべての人」として情報発信を続けているレミさんの元気の源について。
  • 平野レミに聞く!【前編】料理は、五感でシアワセが伝わる最高の自己表現なのよ | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 2020年の国勢調査によると、約1億11万人の日人の総人口のうち、配偶者を亡くした人は約9%にあたる約1000万人いて、そのうち約80%が未亡人、すなわち女性だという。 2019年に最愛の夫、和田誠さんと死別した平野レミさんもそのひとりなのだが、「未亡人」ならぬ「味望人=味を望むすべての人」を標榜して、あいかわらず元気に独自のアイデア料理を発信している。 ダイヤモンド社から発売された『平野レミの自炊ごはん』は、そんなレミさんが「夫のため」、「子どものため」の家庭料理ではなく、「自分のため」に作り続けたひとり自

    平野レミに聞く!【前編】料理は、五感でシアワセが伝わる最高の自己表現なのよ | キネヅカ
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    kinezuka 2024/05/16
    2019年に最愛の夫、和田誠さんと死別した平野レミさん。前編インタビューでは料理との出会い、家族との出会いについてレミさんにお伺いしました。
  • 100年以上の歴史を誇る老舗酒屋「内藤商店」 全国を網羅した品揃えの背景にある“商人魂”とは | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 壁一面に並ぶ、焼酎、ワイン、日酒、カップ酒、梅酒、リキュール……。夥しいほどの酒瓶が並ぶこちらの店は、品川区五反田にある酒屋・内藤商店だ。大正元年にできたこの酒屋は、100年以上五反田の住人に愛されながら、今日も選りすぐりの酒を提供してくれる。 お話をお伺いしたのは、内藤商店・店主の東條辰夫さん。「お酒を通して国を豊かにする」という想いで、東條さんは今日も店頭に立つ。 今回は、戦後の厳しい時代から培った“商人魂”について語ってもらった。東條さんの語る商人の在り方は、いまを生きる若者にも通じる何かがあるだろう。

    100年以上の歴史を誇る老舗酒屋「内藤商店」 全国を網羅した品揃えの背景にある“商人魂”とは | キネヅカ
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    kinezuka 2024/04/30
    大正元年にできた酒屋「内藤商店」店主の東條辰夫さんインタビュー。戦後の厳しい時代から培った“商人魂”について語ってもらった。
  • 関根勤に聞く!【後編】他を活かし、自を活かす。それが「嫌われない法則」の極意 | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 インタビュー前編では、ラビット関根を名乗っていたデビュー当時、「カマキリ男」に代表されるクドい芸でお茶の間の嫌われ者になってしまったエピソード、ならびに小堺一機さん、萩欽一さんとの出会いを通じて見事にアク抜きをしてもらったエピソードなどを語ってもらった。 後編では、27年半の長きに渡って続いた人気ラジオ番組『コサキン』シリーズや、自身の劇団「カンコンキンシアター」の誕生秘話などについても話を聞いてみよう。 また、2024年で芸能生活50周年をむかえ、ますます元気な関根さんの元気の秘訣についても大いに語ってもら

    関根勤に聞く!【後編】他を活かし、自を活かす。それが「嫌われない法則」の極意 | キネヅカ
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    kinezuka 2024/04/22
    芸能生活50周年をむかえ、ますます元気な関根さんの元気の秘訣についても大いに語ってもらいました。
  • 関根勤に聞く!【前編】「芸能界一嫌われない男」はかつて、「芸能界一嫌われた男」だった! | キネヅカ

    Warning: Undefined variable $post_id in /home/neridesign/kinezuka.jp/public_html/wp/wp-content/themes/kinezuka_v2.0/feed-rss2.php on line 106 2024年で芸能生活50周年をむかえる関根勤さん(70歳)が痛快エッセイ『関根勤の嫌われない法則』(扶桑社)を上梓した。 「関根さんの悪口を聞いたことがない」 「関根さんを嫌いな人は芸能界にひとりもいない」 と言われ、その好感度の高さから共演者やスタッフからの信頼も篤い関根さん。 番組の起ちあげからレギュラーメンバーに起用されることも多いという。 だが、このを読んでみるとデビュー当時、「ラビット関根」を名乗っていたころの関根さんは「カマキリ男」に代表されるクドい芸でお茶の間の嫌われ者になっていたという。 そん

    関根勤に聞く!【前編】「芸能界一嫌われない男」はかつて、「芸能界一嫌われた男」だった! | キネヅカ
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    kinezuka 2024/04/19
    芸能生活50周年をむかえる関根勤さん。現在では好感度の高い関根さんだが、デビュー当時はクドい芸でお茶の間の嫌われ者になっていたという。いかにして「嫌われない男」に成長していったのか?
  • 祭り写真はその日限りの一発勝負!運が大事、運を招くための努力はもっと大事 写真家・森井禎紹さん | キネヅカ

    とにかく歩くのが速い。写真家、森井禎紹さんは御年82歳。その健脚ぶりには誰もが驚かされる。その日限りの一発勝負である祭り写真の第一人者である。30年かけて撮影で訪れた祭りは、1,100カ所以上に及ぶ。しかも一度限り、再訪はしない。アマチュア時代にコンテストに入賞すること362回を数える。50歳目前でプロカメラマンに転向し、今も現役で写真を撮り続けている。病気知らず、歯もすべて自分の歯、眼鏡もいらない、入院経験なしという森井禎紹(もり ていじ)さんに、話を伺った。 森井禎紹(もりい ていじ)写真家。 1941年兵庫県三田市出身。高校卒業後、神戸市内の一部上場企業に就職。会社勤めの傍ら、1965年頃より趣味で写真を始める。写真コンテスト、カメラ雑誌月例コンテストに応募し、入選回数362回。1990年プロに転向、ライフワークとして日全国の祭りを撮影。主な写真集に『祭りに乾杯』『祭り旅』『祭り日

    祭り写真はその日限りの一発勝負!運が大事、運を招くための努力はもっと大事 写真家・森井禎紹さん | キネヅカ
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    kinezuka 2024/04/17
    写真家、森井禎紹さんは御年82歳。その健脚ぶりには誰もが驚かされる。祭り写真の第一人者である。30年かけて撮影で訪れた祭りは1,100カ所以上に及ぶ。今も現役で写真を撮り続けている森井さんに話を伺った。
  • 大人も子どもも魅了される糸あやつり人形の名人 飯室康一さん | キネヅカ

    京都に小さな人形劇小屋「あとりえミノムシ」がある。そこでは飯室康一さんが創立した『糸あやつり人形劇団みのむし』の公演が、定期的に行われている。『糸あやつり人形劇団みのむし』は、糸あやつりをメインに、多種多様な人形劇を製作、上演している全国でも数少ない劇団である。人形劇の世界は時代劇でもお笑いでもファンタジーでも何でもできる。宇宙人が出てきても骸骨が出てきても絶世の美女が出てきてもかまわない。物語にこんな役者がいたらいいなと思えば、役者を作り出すことができる自由な世界だ。飯室さんは芸歴56年、劇団創立47年、これまでに製作した人形の数は2,000体を超える。高校を卒業後、日の伝統芸の糸あやつりの世界に飛び込み、今も人形劇が大好きでたまらないという飯室さんにたっぷり人形劇の魅力を語ってもらった。 飯室康一(いいむろ こういち) 1948年生まれ。京都出身。日の糸あやつりを代表する一人。高校

    大人も子どもも魅了される糸あやつり人形の名人 飯室康一さん | キネヅカ
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    kinezuka 2024/04/12
    京都の『糸あやつり人形劇団みのむし』主催の飯室康一さん。多種多様な人形劇を製作、上演している全国でも数少ない劇団である。芸歴56年、劇団創立47年の飯室さんにたっぷり人形劇の魅力を語ってもらった。
  • 高田純次に聞く!【後編】「5時から男」から「適当男」に至る、行き当たりばったり人生論 | キネヅカ

    前編のインタビューでは、3度の受験失敗という挫折体験や、バイト三昧だった劇団員時代の話をしてくれた高田純次さん。 後編では、そんな高田さんがテレビの世界に進出してグロンサンのCM「5時から男」としてブレイクした話、そこから転じて「適当男」と呼ばれるようになったいきさつなどについて聞いてみよう。 2024年で77歳の喜寿を迎えた「適当男」はなぜ、こんなにも元気なのか? 高田純次(たかだ・じゅんじ) 1947年1月21日、東京・調布市生まれ。1968年に東京デザイナー学院卒業。1972年、自由劇場の研究生になり、翌年、イッセー尾形らと劇団を結成するも1年足らずで解散。宝石の卸会社に就職して、3年半のサラリーマン生活を送る。1977年、劇団「東京乾電池」に入団。1987年、グロンサンのCM「5時から男」でブレイク。2015年にはテレビ朝日系「じゅん散歩」開始。特にCMでは「CMの帝王」などといわ

    高田純次に聞く!【後編】「5時から男」から「適当男」に至る、行き当たりばったり人生論 | キネヅカ
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    kinezuka 2024/03/19
    高田純次インタビュー後編では、テレビの世界に進出してグロンサンのCM「5時から男」としてブレイクした話、そこから転じて「適当男」と呼ばれるようになったいきさつなどについてお伺いしました。
  • 適当男・高田純次に聞く!【前編】団塊世代のオレの人生は、挫折から始まった | キネヅカ

    2008年にダイヤモンド社から発売され、ベストセラーとなった高田純次さんの『適当日記』が、16年のときを経て『最後の適当日記(仮)』としてよみがえった! 1年間で起こった出来事を、「めんどくさい」、「何があったか忘れた」と愚痴りながらも周囲にうながされて書きあげた傑作、かつ爆笑の日記文学だ。 2024年1月で御年77歳の喜寿をむかえた高田さんだが、この日記を読むと、その「適当男」っぷりは、ますます冴えわたっているようだ。 そんな高田さんに聞いてみよう。年をとってもかっこよく生きる方法について。 読めば誰もが元気になる痛快インタビューだ! 記事は前編と後編に分けて公開します。 高田純次(たかだ・じゅんじ) 1947年1月21日、東京・調布市生まれ。1968年に東京デザイナー学院卒業。1972年、自由劇場の研究生になり、翌年、イッセー尾形らと劇団を結成するも1年足らずで解散。宝石の卸会社に就職

    適当男・高田純次に聞く!【前編】団塊世代のオレの人生は、挫折から始まった | キネヅカ
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    kinezuka 2024/03/18
    今年77歳をむかえる高田純次さんインタビュー。前編では順調だった宝石デザイナーを辞め芸能に入るいきさつや事件などを語っていただきました。
  • 144年の歴史を持つ『かんだやぶそば』 店とともに生きる“女将”の仕事と人生とは 堀田ますみさんインタビュー | キネヅカ

    東京都千代田区・神田淡路町。ここは東京の中心地でありながら、昔ながらの老舗店が多く集まっている。乱立するオフィスビルを一歩抜けると、まるで100年前にタイムスリップしたかのような街並みが広がっているのだ。 戦前から現存している建物も多く、なかには『千代田区景観まちづくり重要物件』に指定されている店もある。 今回お話を伺うのは、そんな歴史的な街で時代を駆け抜けた大女将・堀田ますみさん。 明治13年に創業した『かんだやぶそば』を、長年支えてきた大黒柱だ。 歴史あるお店の“女将”という仕事、おそばを通して見るお客さんの顔と神田の街。いったいどのような人生だったのか、堀田さんの目線で語ってもらった。 堀田ますみ 1944年生まれ。26歳で結婚し、『かんだやぶそば』へ。37歳で女将を引き継ぎ、店を支える。2022年5月に女将は嫁にバトンタッチ。大女将となり、現在は手不足のときに店を手伝っている。趣味

    144年の歴史を持つ『かんだやぶそば』 店とともに生きる“女将”の仕事と人生とは 堀田ますみさんインタビュー | キネヅカ
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    kinezuka 2024/03/15
    歴史的な街、神田淡路町に明治13年に創業した『かんだやぶそば』。長年お店を支えてきた堀田ますみさんに“女将”という仕事、おそばを通して見るお客さんの顔と神田の街について語っていただきました。
  • “推し活”が元気の源。佃煮処『千草屋』店主に聞く人生の楽しみかた | キネヅカ

    推し活”は素晴らしい。アイドル、俳優、タレント、歌手。その人がいるだけで、人生が輝き始める。 演歌歌手・辰巳ゆうと氏のライブを見に行くために、毎日“朝練”という名のウォーキングに勤しんでいると語るのは、浅草の佃煮屋『千草屋』の店主・草間千恵子さんだ。 千恵子さんは、推し活をするかたわら、90年以上の時間を浅草で過ごし、その商人魂で激動の時代を生き抜いてきた。 “働く喜び”と“楽しむ喜び”。今回は、人生を謳歌する秘訣ついて千恵子さんの歴史から紐解いていきたい。 草間千恵子 1929年に浅草で生まれ現在94歳。洗い張り屋、呉服屋を経て、現在佃煮屋の『千草屋』を営む。 嫁と孫の3世代で店を運営し、YouTubeやInstagramなどで人気のおばあちゃんとして活躍する。趣味は外推し活。いま推しているのは演歌歌手の辰巳ゆうと氏。 時代を見据え、2度の起業を決断 草間さんの子ども時代について、

    “推し活”が元気の源。佃煮処『千草屋』店主に聞く人生の楽しみかた | キネヅカ
    kinezuka
    kinezuka 2024/03/11
    浅草の佃煮屋『千草屋』を営む草間千恵子さん。推し活をするかたわら、90年以上の時間を浅草で過ごし、その商人魂で激動の時代を生き抜いてきた。“働く喜び”と“楽しむ喜び”人生を謳歌する秘訣をお伺いしました。
  • 百年以上続く老舗珈琲店の三代目店主は歴史に魅せられた剣術士 | キネヅカ

    大正から昭和初期にかけて大阪が東京を凌駕し、面積や人口、工業生産額でも日一となり、大大大阪(だいだいおおさか)と呼ばれた時代があった。その頃、大阪で珈琲とドーナツがおいしい喫茶店『平岡珈琲店』を開店した。自家焙煎珈琲と手作りドーナツの味は初代、二代目、三代目へと百年以上に渡って受け継がれ、今も変わらず、お客さんに愛され続けている。現存する喫茶店では関西で最古といわれている『平岡珈琲店』は、移り行く時代を見続けてきた。三代目店主、小川流水(おがわ りゅうすい)さんは、創業者の小川忠次郎さんの孫にあたる。老舗の店主としての顔、そして剣術士としての顔を持つ小川流水さんに話を聞いた。 小川流水(おがわ りゅうすい) 1921年創業の平岡珈琲店の三代目店主。 1957年生まれ。関西学院大学文学部フランス文学科卒。北船場で平岡珈琲店の三代目店主として家業を営む。その傍ら剣術師範として剣術体験教室を開

    百年以上続く老舗珈琲店の三代目店主は歴史に魅せられた剣術士 | キネヅカ
    kinezuka
    kinezuka 2024/02/22
    大阪で百年以上の老舗喫茶店「平岡珈琲店」の三代目店主、小川流水さんにお話をお伺いしました。
  • 戦場カメラマン・渡部陽一に聞く!【後編】いつでもどこでも犠牲者は「子ども」なんです | キネヅカ

    前編のインタビューでは、戦場カメラマンになったいきさつや、国際関係のなかでなにが起こっているかを知るには、視点の「柱」を複数持つことが重要だと語ってくれた渡部陽一さん。 後編のインタビューでは、仕事上、あるいはプライベートのうえで、これまで経験していたターニングポイントについて、話を聞いていこう。 最後に興味ある話題として、戦場カメラマンという職業をリタイアした後の人生観について、年をとっても元気に生きていく手段についても話を聞いてみた。 渡部陽一(わたなべ・よういち) 1972年生まれ、静岡県富士市出身。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。イラク戦争では米軍従軍(EMBED)取材を経験。これまでの主な取材地はイラク戦争のほか、ルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフ

    戦場カメラマン・渡部陽一に聞く!【後編】いつでもどこでも犠牲者は「子ども」なんです | キネヅカ
    kinezuka
    kinezuka 2024/02/19
    渡部陽一さん後編。仕事上、あるいはプライベートのうえで、これまで経験していたターニングポイントについて、さらに戦場カメラマンという職業をリタイアした後の人生観についても話をお伺いしました。
  • 戦場カメラマン・渡部陽一に聞く!【前編】僕が世界の戦場を訪れるようになったワケ | キネヅカ

    戦場カメラマンの渡部陽一さんが『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を上梓した。 現在、戦争が起こっているウクライナやパレスティナなど、これまで取材した紛争地や戦地での実状を伝えることはもちろん、なぜ戦争や紛争が起こるのか? 平和とはなにか? ということを読者と一緒に考える渾身のエッセイだ。 そこで、の内容をふまえ、彼がなぜ戦場カメラマンなったのか、危険な場所で取材をするポリシーなど、いろいろなことを聞いてみよう。 きっと、多くの人に勇気と元気を与えてくれるインタビューになるに違いない。 記事は前編と後編に分けて公開します。 渡部陽一(わたなべ・よういち) 1972年生まれ、静岡県富士市出身。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。イラク戦争では米軍従軍(EMBED)

    戦場カメラマン・渡部陽一に聞く!【前編】僕が世界の戦場を訪れるようになったワケ | キネヅカ
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    kinezuka 2024/02/16
    戦場カメラマンの渡部陽一さん。前編ではなぜ戦場カメラマンなったのか、危険な場所で取材をするポリシーなど、いろいろなことをお伺いしました。