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2006年11月30日のブックマーク (2件)

  • 「やおい」の求める性愛 ~性愛の「匿名」と「記名」~

    性愛というのは、「匿名的」なものと「記名的」なものがあると思う。 記名的な性愛というのは、私が誰であり、あなたが誰であるということがお互い了解済みの性愛―――普通の恋愛の末の性愛であり、 匿名的な性愛というのはその逆――つまりは金銭で贖うような性愛といえると思う。 もちろんどちらが上位であるか、とか、どちらが有意義であるということは、ここであえて糾すつもりはない――お互い名も知らない方が気楽に性欲を満たせるという場合もあるだろう。 しかし、「恋」は、それがコミュニケーションの希求である限り、人が当の意味で「人を恋うる」というのは、記名的なものでしかありえない。 「セックス」はどこの誰でどういう人で、というのがなくても成立するが、「恋」はそれなしには、成立しないのだ。 大概において、女性はそのことを能的に体得しているが、しかし男性の場合はそうでないのか、いまいちぴんと来ないという人が結構

  • 少女漫画の館 : 私的やおい論 その1 「萌え」という言葉の差異

    前々から気になっていたんだけれども、男性オタクが使う「萌え」という言葉と女性オタクが使う「萌え」という言葉には微妙な差異があるなぁ、と感じていたのね。 いまやオタク文化の最重要キーワードともいえる「萌え」という言葉のその語源や意味は各種あると思うけれども、それを基的意味合いにまとめるとするのなら「思わず色々と妄想してしまうくらいに、可愛い、好き、愛している」というものだとわたしは解釈している。 「可愛い」や「好き」や「愛している」ではない「萌え」という言葉のニュアンス。ここは、その感情に「妄想が介在している」というのがきわめて大きいと思う。「萌え」の「萌」とは妄想の萌しの「萌」ではなかろうか。と。 で、男性が使う「萌え」と女性が使う「萌え」をよく引き比べて見た時にその「妄想」の質が違うな、という事に気づいたのね。 簡単にいえば男性が「萌え」という時、その妄想にはたえず、そこに自己が介在し