院政 平安時代、白河上皇に「天下の三不如意(ふによい)」という有名なエピソードがあります。 賀茂川の氾濫、双六の目、延暦寺の僧兵、この三つだけは自分の意のままに、思い通りには、どうしてもすることが出来ないと上皇が嘆いたという話です。 ですがこれは、逆に、その他のことは全て思い通りに、意のままに動かしていたという裏返しでもあります。 つまり、この時代の上皇という絶対的権力、「規制」がまったくない「院政」という執行権を白河上皇は手にしていたということです。 これが天皇という立場だと律令の下に、摂政、関白、左大臣、右大臣が補佐しているので、そうそう勝手な振る舞いは許されません。 でも、上皇というのは、血縁に由来する権力機構です。皇子に天皇の位を継承して、上皇自身は相談役となるのですが「権威」だけは残ります。 その「権威」を持って、国政の最高権力を握り、この国を統治するシステムこそが、当時の「院政