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ブックマーク / okajima.air-nifty.com (2)

  • 忍び寄る関数型言語の影、ほか - 人生を書き換える者すらいた。

    昨晩は、学生のころ一緒に仕事してた友人と3年ぶりに会う。 彼はふだんはシリコンバレーにいるのでなかなか会えないので話が尽きることがないね。あっという間に4時間半経っていた。 どんな話したっけな。ダイジェストとしては... ●ひたひたと忍び寄る関数型言語の影 次に覇権を握るプログラム言語は関数型の色彩が濃いであろう、という点で意見が一致。なぜか最近関数型言語の注目度が高い感じだし、C#3.0の新機能や、AjaxまわりでムリにJavaScriptを使いこなす人が増えたことなどから背景は揃っているようだ。 いきなり正統的関数型言語が大流行、とはならないだろうが、そういう「味」を取り入れる方向で現役の各言語が進化していくというのはかなりありそう。 ●静的型付けバンザイ コーディングの生産性の点で、静的型付けの優位は大きいというのも意見が一致。PHPPerlがなんであんなに幅をきかせてるのかが不思

    忍び寄る関数型言語の影、ほか - 人生を書き換える者すらいた。
  • 「論理的思考の放棄」って才能の言い換えなんじゃ? - 人生を書き換える者すらいた。

    「論理的思考の放棄」なる話題を目にしたのだけれども、単にこれは「才能」の言い換えなんじゃないの、と思った。 この登さんの主張は、要約すると「効率のよいプログラミングの仕方には独特の思考方法があり、それは論理的な思考とは全く異なっている。自分はそれを実践することによって大きな結果を出している。」というものだ。 僕ももう人生の半分くらいの時間はソフトウェアをつくることに使っているし、彼が自慢しているように一日で3000行のコードを書くこともあるので言いたいことは理解できるのだが、必要以上にヘンな表現をしているので戸惑っている人が多いだけだ。鉄球と磁石の比喩とか。 登さんはプログラミングの才能がある。それはたぶん確かだ。そして、その思考方法が論理的に表現できるのであれば、他人に容易に伝えられるはずだから、その人も登さんと同じくらいのパフォーマンスを真似できるだろう。でも、他人に容易に真似ができな

    「論理的思考の放棄」って才能の言い換えなんじゃ? - 人生を書き換える者すらいた。
    kiririmode
    kiririmode 2007/03/30
    論理でなく感覚が大事、というのはプロの世界なら何でもそう
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