たぶん、1周目の人と2〜3周目の人ともはや10周目の人では「バランス」の意図・意味が違うということで。。
マネジメント 新しいチームのあり方を探求 就活 就活生必見!サイボウズの疑問 ティール組織 会社の「あたりまえ」が変わる 多様性 100人100通りの個性 ワークスタイル 働き方、生き方、もっと自由に 青野慶久 サイボウズ社長の想いと覚悟 キャリア 人生の「積み上げ方」を見直す 複業 複数の「本業」をもつ働き方 人事制度 多様な働き方を支える仕組み マンガ サクッと手軽に読める! サイボウズ式編集部より:チームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。桐谷ヨウさんのコラムです。 どんなプロジェクトでも、上手くいくチームはコミュニケーションが円滑にまわっている。仕事において必要なコミュニケーションとはなんだろうか? 仕事に必要なコミュニケーションとは何か? まず最初に断言しておくと、仕事に必要なコミュニケーションは友人関係のそれとはまったくちがう。 友人関係における「楽しければOK
原則的な話 まず第一に、通信の秘密は保障されるべきだから、検閲はあってはならない。 基本的に、通信事業者が利用者の特定のデータを識別してこれを改変するのは検閲につながるからやるべきではない。事業者は利用者のデータをありのままに取り扱うべきである。 必要であれば、事業者は追加のサービスとして「利用者の同意を得た上で」データの非可逆な圧縮を含むサービスを展開すればよい。しかし個人的には利用者がそういった非可逆的な圧縮サービスを「うれしい」と思うとは思えない。「最適化」の語はその点において欺瞞的な印象がある。 「土管」としての話 公共的な事業として、サービスはプリミティブであるべきだと思う。例えば水道について、利用者の大半が蛇口から水を注いだ後に砂糖を入れていることがわかったとしても、水道に最初から砂糖を入れてしまうのは「土管」としてのサービスの範疇を超えているように思う(砂等水を飲めない人もい
早い話、「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった、という話に落ち着くんじゃないかと思う。 先日Twitter周辺で、「匿名批判」を声高に論じている人を久々に見かけた。その際、この人は何をいっておるんじゃろうな、みたいな違和感を感じたので、ちょっと自分の中でその違和感をまとめてみたくなった。今更なあ、と自分でも思わないでもないが、整理の為ということでご容赦願いたい。 以下はおはなしの要点。 ・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。 ・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活
こんにちは、livedoor Blog を担当しています佐々木です。 「livedoor Blog」プロジェクトの定例会議は、検討する議題が山積みで関係者も多く、いつも20名を超すスタッフが集まります。ですが、長時間の会議はデメリットしか生みませんので、“会議は週に1回1時間だけ”と制限を決めて、そのなかで効率的な会議の方法を試行錯誤しています。 そこで今回は、「アジェンダの作成方法」に焦点をあて、“ライブドア流”会議術の一端をご紹介したいと思います。 【01】アジェンダは前日のうちに関係者にメールする 会議で使用するアジェンダは、前日のうちに関係者にメールして目を通してもらい、補足がある場合には事前に受け付けます。 そうすることで、参加者が予習をするようになり、会議での話がスムースになります。また、アジェンダの内容によって「今回は欠席する」という判断がしやすくなるのもメリットで、参加して
2008年06月03日04:30 カテゴリBlogosphere あなたのコメント欄を承認制にしなさい。でも私のは開けとく 禿同。 極東ブログ: もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。 ブログ・クソッタレ撲滅ルール トラックバックは承認制にしなさい、ほとんどはゴミだから。 コメント欄は承認制にしなさい、イヤなこと言われっぱなしにしないでいてください。 ブログから離れたところに自分を受け入れてくれるコミュニティを持ちなさい。 できたらはてなブックマークのコメントや掲示板からのアクセスを気にするのはやめなさい。 だが断る(笑)。 一般向けの作法としては、私は終風翁の主張を120%支持する。マッチョでなければブログれないのなんて私だって御免被る。ちょっとした設定で心身ともに楽になるなら、是非そうするべき。 しかし、私の場合、承認制にしないままの方が心身ともに楽なの
なんか最近よくドタキャンをされる。前からそういう傾向はあったが,ある程度責任ある仕事的なことを任されるようになって,よりドタキャンされることのダメージが増した。先日大学の後輩2人と別々に約束をしていたのだが,2人ともに,なんと2回連続でドタキャンされて,「ああ,これは,サボりだな」と感じた。 ドタキャンしたくなる感覚というのはよく分かる。人は,未来の自分はスーパーマンだと思っているもので,今の自分がやりたくないことでも未来の自分は笑顔でできると思っている。だから,果たせるかどうか微妙な約束も平気でする。約束の日時が迫って,どんどん行きたくなくなっている自分に気づく。過去の自分め,遂行できる約束かどうかも判断できないのかと思う。いくつか理由を見繕ってみて,妥当っぽい理由が見つかれば,心は俄然ドタキャンに傾く。理由が見あたらなければ,しぶしぶ出かける。出かけてしまえば意外に平気なものだ。 僕は
id:buyobuyo さんのとこでの id:E-You さんのコメント。本題とは違う話なんですけど。 私とあなたの意見が合わないからといって、批判される筋合いはありません。 だって、あくまで私的な意見だもの。 もしそれがあなたを傷つけたのなら謝るけど、批判? いったい何様ですか? 批判は意見が合わないからこそするものです。 意見が合わなければ、それだけで批判するのに十分な理由になります。 私的だろうと何だろうと、あらゆる意見は批判に晒されるべきです。 しかし、短絡的な批判は時として誹謗や嘲笑になりさがるので、慎重さが必要とされるのは言うまでもありません。 「意見の相違に基づく批判」は、傷ついた傷つかないという「気分」の問題に劣るものではありません。 批判は、その内容が重要なのであって、批判すること自体には何の資格も必要ないはずです。 嫌ならスルーすればいいと思うよ(僕みたいに) あらゆる
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
Twitter を始めてから半年が過ぎようとしている。 使い始めて3ヶ月位して思ったのは、Twitter には3つの段階があるということ。 3段階目の「What are you thinking of?」が楽しくて仕方なかったので、 家でも会社でもブラウザのトップページを Netvibes から Twitter に変更した。 しかし、その頃私が見ていた世界は Twitter の二つの世界のうち 実は一方の世界だけだったということに気付かされたのは、9月21日のことだった。 「@lalha は32人しか follow してないのに twitter の何を語ってんだ。」 最初私が感じたのは、「それは違うだろう」という抵抗感だった。 というのも、以前から RSS や Twitter について、フィード登録数や Follow 数が少ない人間は語る資格がないという趣旨の発言を見るたびに、どちらもこん
何かについて批判的なことを言うと、すぐさま「だったら、どうするんだ、対案を出せ」などと恫喝される。これは不当だ。しかし、私たちは、ある瞬間を空白にしておくことはできないのであり、そこに何かがなければならないなら、やはり対案は必要なのである。とすれば、先の不当さは何に由来するのか。ここにあるズレをきちんと見ておかなければならない。*1 「対案を出せ」論法批判 批判は、あくまでも問題の所在を示す。その解決が可能かどうかは分からない。大抵、示せない。しかし、それが問題であるならば、明らかに問題なのだ。たとえば、必ずしも死ななければならない理由がないのに、人が死ななければならなくなっているとき、それは問題だ。そのような状況は、「あってはならない」こととして認識されなければならない。そのようなことが「現実に起こらない」ために、何かをしなければならない。私たちは現にある現実を、そのどこかを、変更しなけ
答えは、”女社会だから。” もっと正確に表現すると、”女の子社会だから。” 今朝Twitterで SNSで、日記に対するコメントをメールで送ってくる人って シャイなのか大胆なのか判断に迷う という紅の発言からミクシィ談義に花が咲き、 ブログだとコメントよりメールの方が敷居が高いけど、ミクシィは逆なんですよ。 なぜだろ。 よく言われるのが、「べにぢょさんの日記に新参がコメントして、 既存のマイミクに”誰だこいつ”と思われるのが怖い」と。 そうか、仲良しグループが出来てるからダメなのか。 ブログはオープンだから”輪”が見えにくい。 ミクシィは空気を気にしすぎるきらいがある。小学生の女の子みたいだ。 あ、これは馬鹿にしてるわけじゃなくて。なんとなく昔を思い出しただけ。 ここまで一気にTwitして、面白そうな予感がしたのでこうしてエントリを起こした次第です。 そう、ミクシィは女の子社会。 いわゆる
Latest topics > 実名を公表する事のリスク 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « XUL/Migemo 0.7.7 Main ICカード » 実名を公表する事のリスク - Jul 22, 2007 Web の匿名と実名、公開することのリスク、めもを読んで思った事。 実名でWebの社会に関わり始めた時期と、実名でWeb以外の社会に関わり始めた時期とが、近ければ近いほど、それらの間が密接にリンクしているほど、「実名バレ」のリスクは小さくなるのではないだろうか。逆に、それらが離れていれば離れているほど、関係がなければないほど、リスクは大きくなるのではないだろうか。そんなことを僕は思っている。 僕は高校1年の時にWebサイトを作り
モヒカン族 - MOHI-FACT - 断片部に書いたことを批判されても… で書いたことと重なるんだけど。 「俺とおまえは違う問題」の根は「ネガティブ言及するな問題」だよね これは僕の経験則なんだけど、「ひっそり書いているんだから言及するな」と言うスタンスが見え隠れするブログには、「私は何かに対して批判するけど、このブログはひっそり書いているんだから言及しないで」という謎のローカルルールを訴える所が多いです。自分は他人に噛み付きたいけど、自分は噛み付かれたくないために作り上げている身勝手なルール、こんなルールは当然守られるはずもない。 こういう人を見かけるともうニヤニヤが止まりません! 「全力で観察せよ!」 自分の個人的な体験とそれに関する感情や考察などをブログで書いたとする。それに対して、誤読をされたり、筆者の意図を想像した上での批判をされたりして、愚痴を書くのはわかる。これは本人内で完
Google Videoに「 How Open Source Projects Survive Poisonous People (And You Can Too)」という54分のビデオがありました。 Subversionの開発者達が、オープンソースプロジェクトを運営上の注意点を解説していました。 面白かったです。 ボランティア開発者の集合体によって実現しているオープンソースプロジェクトを運営する方法を解説するという題目ですが、 最後のオチでは、「これはオープンソースに限らない」と言っていました。 確かに、一般的な開発でも参考になる部分は多いと思いました。 また、掲示板やブログのコメント欄でも一部は適用できそうなノウハウであると思いました。 要約してみましたが、結構いい加減で間違いなどがあると思うので詳細はビデオをご覧下さい。 「Poisonous People」は「有害な人」と訳してみま
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