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ブックマーク / www.sinseihikikomori.com (4)

  • 不倒城のしんざきが書く糞以下のテキストを、僕等はもう二度と目にしなくて済む事を祝う日。

    私達は、自らの体験について語る事に極めて抑制的である。私達というのは、ゲーマーであり、かつテキストを書いている人間のことである。そのような態度に陥らざるを得ない最大の理由は、老人の昔語りは美化された自らの人生歴史に対する言及に他ならず、即ちそれは自虐であろうとなんであろうと自慢である事を避けられず、私達によるゲームに対する言及は、年配者の自分語りによる自慢へと陥る事を避けられない。人は雑談をしているつもりが説教になるだとか、人は親身になってアドバイスをしているつもりがうざいだけの自慢になるといった、我が国に存在している当たり前の事は、当然のようにして私達の身に降りかかる。 こと、ビデオゲームはさらに大変である。 ビデオゲームは全てが接続されている。突然変異的にいきなり生まれたビデオゲームなどは存在しない。何かがあって何かがある。2018年に流行っているゲームのどれか1つを遡って辿れば

  • 捏造しキチガイ呼ばわりし誹謗中傷を行い逃げた挙げ句、俺は攻撃されたと言う24時間残念営業

    24時間残念営業の人には、キチガイと言われた事がある。 そのやり口があまりにも下劣だったのでよく覚えている。 24時間残念営業の何某は、僕が書いたブログのエントリーを取り上げて、「インターネットでは多くの人がこれを書いた奴はキチガイだと言っている」と書いたのだが、そんな発言はどこにも存在していなかった。件のエントリーを指して僕を気違いと呼んだのは24時間残念営業の人、ただ1人だけである。 たとえば誰かが、僕の事をキチガイと言うならば、それは全然構わない。そう思うのならそう言えばいい。そう書きたいなら書けばいい。好きにすればいい。インターネットとはそういうものだ。僕の事を気違いだと思う人が居ても、なんらおかしな事ではない。思った、書いた、というのなら誰でも勝手にやればいい。自由である。しかし24時間残念営業がやった事は、思った、書いた、というのとはまったく違う、別の話である。 「キチガイと言

  • 嫌われるというゴールを目指す人。

    誰かに好かれたい、誰かに愛されたいと思う事は、人間にとって一般的なよくある感情である。けれども、誰もが誰も、そのよう事を願い目指しているわけではない。中には、人から嫌われたい、人から憎まれたいと願っている人も居る。 彼等はどうして、嫌われたいと思うのか。 どうして、人から憎まれたいと願うのか。 それは、嫌われるという現実は、他人の心への干渉を意味するからである。負の感情は人の心を覆い、その奥底に覆い忍び込み、そしてやがては破壊する。憎しみという感情は、他の誰かの何かではなく、自らの心を壊してゆく。赤の他人を支配する為の最も簡単な手段。それが嫌われるというゴールであり、憎まれるという目標なのだ。 インターネットには、そういう人達が大勢潜んでいる。現実世界では極めて僅かな割合でしか存在しないそういう人達も、インターネットでは有り触れた存在。インターネットというこの世界は、現実世界ではあり得ない

  • ドラクエ9の合成はなぜ間違いで、ディアブロ2の合成はなぜ正しいのか。

    ビデオゲームの世界において、紙幣を刷り、硬貨を鋳造し、それを市場へと供給する、中央銀行としての役割を務めているのは誰だろうか。日銀の役割を果たしているのは誰だろうか。 それは、プレイヤーである。 JRPGにおいて通貨発行権を持つのはプレイヤーである。 プレイヤーは、お城へ行く。 王様と話しをする。 王様は言う。 「悪い魔王が復活した、勇者よ、魔王を倒してくれ」。 それにつき、王様はプレイヤーに僅かな資金とアイテムを供与する。 王様と話すだけで、プレイヤーは80goldの通貨と、20goldに相当するこんぼう、ぬののふく、ひのきのぼうを手に入れる。プレイヤーが王様の前に立ち、少しボタンを押すだけで、100goldの紙幣が刷られ、硬貨が鋳造される。通貨が世界へと生み出される。その機会を逃すプレイヤーは居ない。通貨発行権という、巨大な権力を行使すべく、誰もがこぞって王様と話す。通貨発行権を餌にプ

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