近代史について、それ程詳しいわけではないが、一通りは勉強した。 老人が語った時代の背景も、教科書に書かれている程度のことは知っている。 十九世紀末から二十世紀にかけて清朝が迷走していた頃、日本も急激な近代化の中でやはり迷走し、両者の関係は日清戦争と満州事変を経て、大きな戦争に突入した。それが日中戦争である。 1937年のことだ。 政治家も科学者も、霊的な存在を否定して久しい時代である。 が、その一方で、呪術的な攻撃で敵国に打撃を与えることができると信じている者も根強く居た。 大日本帝国陸軍においても、公には存在しないが、霊的作用を担う部隊があった、と老人は語る。 具体的には、敵国の土地を人や動物の血などで穢し、土地神の力を削ぎ、ひいては国力を削ぐ、といった工作をするのである。 実際に、そういった工作が戦闘に先んじて行われ、効果があったのかどうかについては分からない。 しかし、呪術に見せかけ
岡山から〈特急やくも〉に乗り換えて二時間半。 松江駅に到着した時は、奇妙な既視感みたいなものに襲われた。 地方都市の駅にありがちな(そう思うのもテレビからの知識なわけだが)ロータリーといい、背の低いビルといい、何故かどんより曇った天気といい、とてつもなく平凡な風景なのに、強烈に胸にこみ上げてくるものがある。なんだろう、これは。 再三言っているように、俺は生まれてから東京を出たことはない。だから、これはテレビで見た記憶かなにかだろう。きっとそうに違いない。 「やっぱり尾けられてるね」 松木さんが、陸橋のあたりを見ながら言った。 「え? 清香さんですか?」 「部下の方々ね。あの人は、田舎嫌いだからここまでは来ないよ」 確かに、そんな感じの人だった。 バスの本数が少ないこととか、舗装されていない道路とか、二十四時間営業しないコンビニに文句を言いそうな。 でも、俺は結構そういう女性は好きなのだった
生きているのか、死んでいるのか分からぬ心地でズルズル正月を迎えた。 弟たちには悪いと思ったが、電車で二時間の実家には帰らず、主に自分の下宿とレイコさんのマンションで過ごしていた。 実を言うと、あの家には、もう二度と戻るつもりはなかった。 今となっては嫌な思い出しかない。理不尽な暴力と、悲鳴と、恐怖に満ちた記憶――。 一月の後期試験が始まる頃になって、俺はあれこれ死ぬ方法を考えていたのだが、どれもこれも痛そうで苦しそうで、とてもやり遂げられる自信がなかった。 最終的には、やはり、アルコールの力を借りて、寒空の下、半裸で眠っていれば死ねるだろう、と考えたのだが、一度それをやって見事に失敗した。 東京はどこも人が多くて、親切な人がすぐに凍死しそうな酔っ払いを見つけて通報してくれるのだ。 おかげで、俺は中年の警察官に一時間説教され、通報したオバチャンにも「これだからイマドキの学生は……」という顔を
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