◆ 憔悴し、途方に暮れた様子の宮崎駿 あんなに憔悴し、途方に暮れた様子の宮崎駿を見たのは初めてだった。5月15日に「三鷹の森ジブリ美術館」で行われた「高畑勲 お別れの会」でのことだ。 「迷路のように入り組んだ美術館の中に、どうやって人を入れるんだろう」と思っていたが、予想に違わず、招待された弔問客の大半は館外のテントで、モニター越しに会の様子を見守ることになった。 たぶん宮崎駿は、大きな斎場で、見知らぬ人々と一緒に高畑勲を送ることが、どうしても我慢ならなかったのだ。自らの手がけた美術館の中で、少数の親しい人々だけと共に、高畑との「最後の別れの時」を過ごしたかったに違いない。そんな宮崎の思いを、いったい誰が責められるだろうか。 1990年11月、インタビューに答える高畑勲氏と宮崎駿氏 ©共同通信社 宮崎の高畑を送る言葉は、その大半が、高畑の初演出作品「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年)
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