午前7時。地下パーティ会場に足を踏み入れると、DJの音楽に合わせ、300人近い男女が踊りまくっている。ニューヨークで話題の「Daybreaker」とは、いったいどんな朝活なのか。
ゲームなんてものを作ってますと、わりとよく、「なんでも反論する人」にでくわします。アメリカ来たから一安心かと思いきや、やっぱりいるんです。とにかく否定から入ってくる。でも、いくら話しを聞いても何を批判してるのかわからない。困ったもんです。この手の人たちはなぜか企画系に多いですな。 「頼まれてたエネミーの仕様ですけど、こんな感じでどうでしょう?」 (しばし読む) 「んー、ちょっとアレだねー」 「アレっすか、いまいちですか?」 「あー、いまいちってわけじゃないんだけどさー、攻撃がアレかなー」 「普通すぎとかですか?」 「いやー、普通すぎってわけじゃないよね、別に……」 (ハァ?) 「それでIDA-10さあ、このエネミー倒せるんだよね?」 「まあ、ゲームですから倒せないとバグですよね」 「そうかな?」 「え?」 「え?」 いや、ほんとにいるんですよ、こういう人。特に主張があるわけでもないのに、と
クリスチャンの同僚何人かとバイオレンスゲームを作ってることについて話すきっかけがあった。俺はカリフォルニアのベイエリアで血がどばどば出るゲームとか作ってまして、実は彼らがどうやって折り合いつけてるのか気になってて、会話の中になんとなく答えがあったのでメモ。もちろんアメリカの会社なんで、表向きは個人の宗教観に触れるのは思いっきりタブーなんだけど、そのへんはまあ深夜のバカ話の勢いで。 テストプレイ中、敵の首をまとめて刎ねる時"YES!"って叫んじゃう。 人を殺すアニメーションを作るとき、事前に赦しを乞う(ask forgiveness)こともあるけど、基本は無心。 あまりにも酷いシーンをつくった後は教会で懺悔することもある。 でも、生活するためだから神様は赦してくれるはず。 バーチャルで罪を犯すことで、現実で罪を犯す過ちを避ける助けになることもあると思う。 ゲームとして、遊びとして面白いものを
NYのサウス・ブロンクス地区で生まれたヒップホップ・ムーヴメントは、時代の流れと共に大きな影響力を持って世界に飛び火し、いまや国際的な広がりを見せている。厳格な宗教国としてのイメージが強く、ヒップホップとは縁が薄いと思われた中東でもそれは例外ではないようだ。 これまで紹介されてこなかったヒップホップ文化を描いたドキュメンタリー映画“Mic Check: Hip-Hop In The Middle East (Dubai, UAE)”が現在制作中とのことで、その予告編動画が公開されている。この作品は中東のなかでもUAE(アラブ首長国連邦)、特にドバイのヒップホップ・シーンにフォーカスを当てたドキュメンタリー映画で、米ロサンジェルスとドバイを拠点に活躍するラッパー、ディーン(Deen)のプロデュースによるもの。予告編には「5年前には1人、多くても2人のヒップホップ・アーティストしかいなかった
Maybe all three of these things are part of the same problem. I would like to say that I intend to flesh out each of the following bullet points in such a way as to minimize hate mail, though that would be undermining the creativity of hate mailers. Instead, I'll just say that, yes, I live in Tokyo and I have for many years, and that I do understand that many of the complaints here are maybe parti
渡米直後のこと。 日本では警察につかまったことは一度もなかったが、まだ慣れない高速道路でスピード違反でつかまった。これがメチャメチャ怖かった。 会社から家へ向かう深夜のフリーウェイで、法定速度ちょうどくらいの100キロほどのスピードで帰宅中、妙にぴったりついてくる車がいて、あおられてんのかなーと思い、120キロまで一気に加速した刹那、その車の屋根で赤いランプが閃いた。パトカーだった。 55マイル制限の道路を80マイルで走行。時速にして40キロオーバー。文句なしのザ・スピード違反。とりあえず、車を路肩に寄せ、停車。パトカーもすぐ後ろに停車。ハイビームにされ、バックミラーにうつるのは、やたらまぶしいライトと、せわしなく赤と青に点滅するランプだけ。 見た見た見た!コーエン兄弟の映画とかで見た見た!「ファーゴ」であったよこんなん!これかー。後ろなんも見えねー。うわなんか、すげードキドキする! 車か
2年ほど前、新人研修からアメリカ駐在まで世話になった会社を辞めて、同じくアメリカに所在するゲーム会社に現地採用で入社した。これは同時に、異国でのややこしい税金処理、乗用車、はては住居まで、至れり尽くせりの駐在員生活に決別し、すべて自己責任で生活することの選択でもあった。そして、その第一歩が、返却した社用車の代わりになる、通勤用の車の購入だった。 アメリカで初めて買う車はボロボロのアメ車でなければならぬ。俺はそう決めていた。車は分相応でなければならぬ、と頑なに考えていた。贅沢な話だが、駐在員時代には、どこか分不相応な処遇への違和感があった。社用車を与えられ、治安の良い地域に、広い住まいを与えられていた。自分の実力と無関係に与えられた、何かふわふわした暮らしだった。 まずは車から、自分の覚悟を表したい。そう思っていた。 で、思うだけで、仕事を辞めた後処理の忙しさにかまけて何もせぬまま、新しい会
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