1747年:アフマド・シャー「イランから独立するで!」 →アフガニスタンの建国 1838年:イギリス「ロシアがインドを狙っとるからアフガンにイギリス軍を置かせてくれや」 →交渉決裂 →イギリス「ほな戦争や!」 →第一次アフガン戦争 1842年:イギリス「あかん、とりあえずアフガンを占領したけど、反乱が多すぎるから撤退するわ」 →和睦 1878年:イギリス「今度のアフガン国王はロシア寄りっぽくて怪しいわ! また戦争するで!」 →第二次アフガン戦争 1881年:イギリス「今回は勝ったけど、めちゃくちゃ苦労したわ…」 →イギリスがアフガンを保護国化 1919年:アフガン国王「世界大戦でイギリスが弱っとるみたいやで! いまこそアフガンから追い出す好機や! ジハードや!」 →第三次アフガン戦争 →アフガン国王「あかん、勝てへんわ。和睦するで!」 →イギリス「こっちも戦争はうんざりやし、もう独立してえ
2021年8月15日、タリバンがアフガニスタンの首都カブールを掌握しました。 私は仲間達と一緒に2001年から2013年ころまで、日本に逃れてきたアフガニスタン難民の代理人を複数担当し、その過程で、タリバンが少数民族ハザラ人や女性に対して、どのような仕打ちをしてきたか、信頼できる資料に基づき、裁判などで主張・立証してきました。その活動の一部は以下の書籍で紹介していただいています。 それから15年あまり。事件対応に必要がなくなったので、アフガン情勢について追いかけていたわけではなく、今のタリバンが当時とは違っているのかどうか詳しくは知りません。 ただ、タリバンによる市民への人権侵害は、イスラム教スンニ派の教えを厳格に守ることに起因していますので、その根っこが変わっていなければ、残念ながら同じようなことが起きるのではないかと暗澹たる気持ちです。 タリバンが政権を握っていたのは20年も前の話なの
アフガニスタンで政権を握っていたタリバンは2001年、アメリカ主導の軍によってその座を追われた。だがここ数カ月間、攻勢を続け、ついに権力を奪還したと宣言した。
アブドゥール・ラフマン(アラビア語:عبد الرحمن, ラテン文字表記:Abdul Rahman, 1953年 - 2002年2月14日)は、アフガニスタンの政治家。 概要[編集] 反ターリバーンの北部同盟の政治家として活躍し、2001年12月22日にアフガニスタン暫定行政機構のハーミド・カルザイ暫定政権下で航空観光大臣に就任した。 2002年2月14日、インドのデリーへ向かう為に、カーブル国際空港に駐機していたアリアナ・アフガン航空のエアバスA300型機に搭乗していたところ、サウジアラビアのメッカへ向かう便が立て続けに欠航した事に憤慨し暴徒化したイスラム教徒の巡礼者に取り囲まれて撲殺され、遺体を滑走路に投げ捨てられた。この事件は世界各国で報道され、衝撃を与えた。 しかし、カルザイ暫定行政機構議長は「事件は暴動に見せかけた暗殺である」として、政府メンバー6人を告発した。そのうち3名は逮
アフガニスタンの首都カブールの大統領宮殿で、権力分割合意文書に署名し文書を交換するアシュラフ・ガニ大統領(右)と政敵のアブドラ・アブドラ氏(左)。アフガニスタン最高執行官室提供(2020年5月17日撮影)。(c)AFP PHOTO / Afghanistan's Office of Chief Executive 【5月18日 AFP】アフガニスタンのアシュラフ・ガニ(Ashraf Ghani)大統領と昨年の大統領選での政敵のアブドラ・アブドラ(Abdullah Abdullah)氏は17日、双方で権力を分かち合う合意文書に署名した。これにより、政治危機をもたらした数か月に及ぶ対立に終止符が打たれた。 【関連記事】アフガン産科襲撃は「産婦ら殺すため」 国境なき医師団が非難 ガニ大統領はこの日はアフガニスタンにとって「歴史的な日」と述べ、今回の合意は国際的な仲介なしに達成されたと強調した。こ
アフガニスタンの支援を行う福岡市の非政府組織「ペシャワール会」は9日、現地代表の中村哲医師(73)=福岡県出身=が、同国のガニ大統領から同国市民証を授与されたと発表した。長年にわたる用水路建設などの人道支援が評価された。駐日アフガニスタン大使館によると、日本人への授与は異例。今後は査証(ビザ)が免除されるなど名誉国民として待遇される。 中村医師はアフガンを襲った大干ばつを受け、2003年に東部ナンガルハル州の大河クナール川周辺で用水路建設を開始。事業で潤った土地は、福岡市の面積の約半分に当たる約1万6500ヘクタールに及ぶ。 会によると、中村医師は7日、首都カブールの大統領官邸で開かれた式典に出席。ガニ大統領は、洪水が頻発するクナール川の特徴を踏まえ「狂った川を、愛をもって制したのですな」とユーモアを交えて話し「最大の英雄」「最も勇敢な男」とたたえた。最後に「いつでも官邸に来て、困ったこと
こんばんは。児島です。 ここ最近、電気周り、ならびにネットがとても不調で、 アクセス中に接続が切れたり、 更新や読み込みに非常に時間がかかるなど、操作に往生していたので、 なかなかブログのアップができなかった。 今日当たりから、やっとネットの調子が戻ってきた。 ブログのアップが出来ない間に、 サリプルでは寒い日がめっきり少なくなり、 サリプルの中心部のあちこちでアーモンドの花が咲き始め (これがなんとも美しい花なのである) 春の到来が予感されるような気候になってしまった。 写真:こんな寒い冬ももうすぐ終わる。 冬らしい話題をブログに書こうと思っていたのに もう、すぐ春になりそうなので、 本格的に春が来る前に、あわてて冬らしい話題を紹介しておこうと思う。 *** アフガニスタンで見られる冬の風物の中で、 日本とあまりに似ていて驚いたものをひとつ挙げるなら、それは炬燵である。 炬燵は、アフガニ
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