時事番組を司会進行する際に「金は水のように流れる」という表現をよく使う。0.1%でも傾きが変われば無情に流れる水のように、ただ利潤だけを追求して流れる金の流れを人為的に変えるには、中途半端な介入を自制し、最大限冷静に経済政策を設計しなければならない、というのが筆者の主張だ。そこにこんな言葉を付け加えたい。金だけが水のように流れるのではない、文化も水のように流れる。 他のコラムでも指摘したように、韓国は工業製品や食べ物、映画、文学とは違って、歌だけは徹底して日本産を排撃した。軍部政権、民主政権、保守・進歩を問わず、日本の歌はいつも「放送不可」だった。それでも筆者が幼い頃、つまり1980年代を経て1990年代初めまでは、日本の歌はあちこちで実にたくさん聴いた。いちばん古い記憶は「ギンギラギンにさりげなく」というタイトルのダンス曲。1980年代、日本で最高の人気を博した美男子スター、近藤真彦の歌