2008年7月28日のブックマーク (4件)

  • 企業の広告予算が減り、セールスプロモーションに使われているという話 :Heartlogic

    企業の広告予算が減り、セールスプロモーションに使われているという話 4マス広告の予算が減った分は、ネットじゃなくて小売店での販促費に行っているのではないかという話。 業界のパワーバランスとして小売業が強くなっていることを考えると、「広告主であったメーカーが広告宣伝費をおさえて販売促進費に回さざるを得ないから」という回答の方が、「ネット広告へ流れているから」という回答より正解である度合いが高い気がするんですが、どうですかね? マス4媒体の広告宣伝費が伸び悩んでいる理由 - 田中慎樹のダイアリー はてなブックマークの関連エントリーで関連記事が見つかった。はてブGJ! しかし、最近どの企業のマーケティング担当者の話を聞いても、「広告費を削減して、店頭販促などのSP費を増加させている」というのです。  広告が消費者に響かなくなった今、店頭で消費者に直接語りかけることが改めて見直されているのは、とて

    kkbt2
    kkbt2 2008/07/28
    ここらへん原油高から来る企業のコストカットも入れておいた方がよいかと。テレビとネット云々より、予算削減→まず広告費→短期で売るために販促は残すか→販促系メディア(ネット含む)が難を逃れる、という
  • 新しい酒には新しい革袋:社会的合意形成にも新しいしくみを - H-Yamaguchi.net

    何かものごとを決める際、多くの人の意見を取り入れたいという場合がある。そのほうがいろいろな意見を反映することでよりよい判断につながるのではないかと期待できるし、集団の意思決定ならその構成員が皆で決めたほうが納得感もある。とはいえ、実際にこれをやろうとすると、なかなかうまくいかない場合がけっこうあるのではないかと思う。 以下の話は、そういう場合に私たちがどうしてきたかについて、こまごました部分をできるだけ省略して、わざとできるだけ一般化して書いてみたものだ。いろいろな文脈で読むことができるのではないかと思う。ある意味、「下書き」なので、いろいろ不充分だったりおかしかったりするところはあろうかと思うが、ま、とりあえず。 多くの人からの意見を取り入れようとするとき、よく問題になるのは、必ずしも全員が意見を出すというものではない、ということだ。むしろ、全員という場合はまれだろう。大きな声を上げるの

    新しい酒には新しい革袋:社会的合意形成にも新しいしくみを - H-Yamaguchi.net
    kkbt2
    kkbt2 2008/07/28
    非常に興味深い。予測市場は当否によって報酬があるけれど、そういう感じの報酬(自分の立ち位置に寄せた予想を防ぐ)ができれば、かなりおもしろいのではないかと思う
  • 欧米の広告会社はクリエイティブ手法で差別化する - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これは、私が外資系広告代理店で現在働いている理由でもあるし、それはまた、私にとっては、外資系広告代理店で働く息苦しさでもあって、微妙なところなのですが、今回の「広告のしくみ」はそんな欧米の広告代理店のクリエイティブ手法について書いてみたいと思います。 欧米の広告会社というのは、たいがいは、ある優秀なクリエイターが設立したものだったり、あるいは、成長のトリガーになるのが、その広告会社に所属するクリエイターの作品がヒットしたことだったりするので、そのクリエイターの方法論が会社の方法論になったりします。欧米の広告会社には、例えばDDBウェイだったり、広告作品に会社のカラーがあったりします。 現在だったら、ワイデン+ケネディの広告は、ある種のワイデンっぽさってありますよね。それに比べて、日の場合、電通っぽさとか、博報堂っぽさというのは、希薄ですよね。日の場合は、クリエイターによりけりです。 欧

    欧米の広告会社はクリエイティブ手法で差別化する - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    kkbt2
    kkbt2 2008/07/28
    すごくよいまとめになっていると思う
  • すぎやまこういち - Wikipedia

    すぎやま こういち(名:椙山 浩一〈読みは同じ〉[3]、1931年〈昭和6年〉[4][5]4月11日[1][6] - 2021年〈令和3年〉9月30日[7])は、日の作曲家・編曲家・指揮者。日作編曲家協会(JCAA)常任理事[5]、日音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日カジノ学会理事[8]、日バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。位階は従四位。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 1931年、東京府[4][5]東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ[9]、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省省に転じ、1952年に保安庁に出向

    すぎやまこういち - Wikipedia
    kkbt2
    kkbt2 2008/07/28
    「現在でも人々に長く愛され続けているドラゴンクエスト「序曲」のメロディは、出来上がるまでに5分とかからなかったという。しかしすぎやま曰く、それは「5分+54年」なのだと言い」