2009年8月23日のブックマーク (4件)

  • ゲームとジレンマ - レジデント初期研修用資料

    ゲームとは 問題の中心にジレンマがあって、参加者が、自らの選択を通じてジレンマの解消を試みるとき、その状況は「ゲーム」であると言える。 ゲームにはルールがある。ルールとはジレンマの設計であって、よくできたルールは、 ジレンマの観察が容易で、「誰にでもできる簡単なことをふたつ同時に行おうとすると難しくなる」状況を内包している。 ジレンマ解消の先にあるもの ゲームのルールがルールとして機能している時期、ジレンマに対する最適解がまだ見つかっていない時期のゲームは楽しい。 多様な戦略が提案されて、その多くは失敗するけれど、全ての失敗もまた、経験として参加者に蓄積される。試行のコストは低く、 失敗しても、失うものは少ない ルールの中心に見えていたジレンマが解消されたそのとたん、ゲームはいきなり地獄になる。多様性を競った時代は終わり、 定番となったある戦略に、全ての参加者が収斂していく。アイデアの価値

    kkbt2
    kkbt2 2009/08/23
    フロー理論みたいなことを考えるに、当事者にとって見渡せる範囲の、楽しいと感じられるジレンマのサイズというのがあるように思う。そう考えると、コミュニケーションというのはサイズ可塑性があるよいジレンマ?
  • 情報の「純度」を高めるワークフローとは?―はてな副社長・川崎裕一さんの仕事術(後編)

    「最近iPhoneにしました」という川崎さんは、ナンバーポータビリティでiPhoneに一化した「漢持ち」状態。「はてなtouch」「ポケット」など、一般ユーザーが開発したはてなブックマークのアプリもインストールされていました ブックマーク→グループ→ダイアリーで関心の高い情報を抽出 ――ここまではてなブックマークについてお聞きしましたが、それ以外のはてなのサービスは、どのように活用されているのでしょうか? 川崎:はてなブックマークでブックマークを続けていき、あとでそれを見渡してみると、自分自身があまり意識しないうちに、「あ、自分はこのトピックに関心があるんだ」という気付きが生まれることがあります。そういったトピックについては、自分用のグループが作れる「はてなグループ」に、コメントを付けて投稿するようにしていますね。 ――いったん集めた情報の中から、「これ」というものをコミュニティに投げて

    情報の「純度」を高めるワークフローとは?―はてな副社長・川崎裕一さんの仕事術(後編)
    kkbt2
    kkbt2 2009/08/23
    「カメラとテレビ、そして机の位置を調整して、会議中はあたかもテレビの画面内で机がつながっているようにセッティング」「カメラが会議の時間だけでなく、常につながっている」こういうの、興味深い。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    kkbt2
    kkbt2 2009/08/23
    暗号的な用語なのか、コピペ改変とかなのか、わかるひとにはわかる的なものを埋め込んでいく手法はあるのかもしれないけれど、それはそれでわかりにくい、わかるようにしろ・・という指摘を受けたり。難しい
  • リアルスキルが蓄積できるネトゲを作ってほしい | fladdict

    MMOを今から始める奴に危機感を感じさせるコピペ」を読んだわけだけど、大分おそろしい世界。 これさ、ひょっとしてなんだけどさ・・・ ネトゲ内の刑法とか税務とか。 そういうものを現実のシステムと酷似したものにしたら、ネトゲ廃人は知らん間に、現実のスキルも積める! みたいなことにならないのだろう。 ヒーラーのスキルを取得するのに試験があって、医学部の1年生程度の知識が要求されるとかそういうの。 まぁあんまり現実的にしすぎるとまた微妙なんだろうけど、ネトゲのシステムの中に起業家精神だったり、リーダシップや、グループマネジメント、投資論みたいな、そういうものを育成する仕組みってうめこめないのかなぁと思うのです。 ネトゲじゃないけど、マジック・ザ・ギャザリング(MTG)はその辺はよく出来てたと。 MTGゲームのプレイを通じて、市場原理やらコスト対効果やら、リスク管理、メタゲーム的な駆け引きやら色

    kkbt2
    kkbt2 2009/08/23
    教育ゲームとか、なぜかいまいちリアル教育っぽくならないのはなぜなんだろう。ゲームから知見を引き出している人ということだと、ひろゆきがイメージできるのだけれど、そういう方向性はないだろうか