東日本大震災という呼び方を変えてほしい。岩手県陸前高田市で被災した村上仁子さん(63)が、そう訴えている。
東日本大震災という呼び方を変えてほしい。岩手県陸前高田市で被災した村上仁子さん(63)が、そう訴えている。
このウェブサイトは山口 浩の個人的な考えを掲載したものであり、山口が所属ないし関係する機関、組織、グループ等の意見を反映したものではない。本サイトは投資の勧誘ないし銘柄の推奨を目的とするものではなく、本サイトに掲載された情報(リンク先ないしトラックバック先の情報を含む)をもとにして投資その他の活動を行い、その結果損失をこうむったとしても、山口は責任を負わない。本サイトの記載内容は、予告なく追記、変更ないし削除することがある。本サイトに寄せられたコメントおよびトラックバックは、いったん保留した上で公開の可否を判断する。判断の基準は公開しない。いったん公開した後でも、一存によりなんらの説明なく削除し、当該IPを投稿禁止に指定することがある。 このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています(帰属 - 非営利 - 派生禁止 2.1 日本)。 震災以降いろいろなデマ
どたばたして更新が途絶えている間に、違法建築問題が盛り上がっている。特に規制緩和すべきではなかった、という議論が結構あるようだ。このあたり、構造改革ネタとかぶる部分もあるので少し書いて見たい(切込隊長氏からお財布バトンを頂戴しているのだが、流石に3週間も更新をサボった挙句に「財布の中身は2000円で~」とかやると石を投げられそうなので、こちらは次回に)。 とりあえず、いつ崩れてもおかしくないマンションは出てくるわ、当事者は責任の押し付け合いをしているわ、なんだか芋づる式に「次」が出てきそうな雰囲気はぷんぷんしてるわ、何かが間違ってしまったことは確かだ。ただし、悪者探しをするだけの知識も情報も筆者には無いので、そちらは武部幹事長とその道の専門家にお任せして、ここでは「そもそも誰が、何を間違ったのか」をもう一度整理して見たい。(12月6日文末に注4を追記) 結局、規制緩和は正しかったのか とり
↑今日までの累計です。 ・ 坂本 登さん訳『科学的広告法』(1966.10.05 誠文堂新光社)より ホプキンズと広告リサーチ (昨日のつづき) 単純性と複雑性 現実は複雑なものである。 したがって、さまざまな観察の非一貫性を抽象作用によって単純なエレメントに還元することが科学的方法の重要な役割となる。 最初、ちょっと見ただけでは複雑そのものに思えたものが、究極は単純なエレメントのさまざまな結合と理解されるようになる。 このように、真の科学的な考え方は複雑な現実を単純化することであり、似て非なる科学的思考は複雑さを喜び、尊しとする。 シロウトを喜ばせるのも、この複雑さである。 ところが、知的慰安を求めるわれわれの自然の欲求を満たしてくれるところまで現実のあらゆる面を単純化することは、科学的な考え方といえども無理である。 広告のメカニズムのように複雑をきわめた現象は、コピーを書いたりコピーを
今回の震災で被害に会われた方々に心よりお見舞い申し上げます。過去に例の少ない悲惨な被害と、過去に例の無い多くの映像記録とに圧倒されつつ、色々と思うこともありました。しかし私の個人的な感情には衆目に晒すほどの価値はありませんので、ここでは自分が書けることを書いていこうと思います。 少し前にニュースを読んでいたら、民主党の岡田幹事長が「計画停電に変えて価格制限を行うべき」と発言したらしい。確かに、現状の輪番停電はあくまでも緊急避難であって、今後より効率の良い方法を考えなければならないことに疑問の余地もなければ議論の余地もない。 ただし、それは「価格制限(価格メカニズムの活用)の方が議論の余地無く望ましい」という事ではない。価格メカニズムの活用は、経済学が得意とする効率的で「エレガント」な解ではあるが、非効率で野暮ったい数量統制(例えば配給制)の方が最適になるケースもあるということを、経済学は教
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く