今からちょうど800年前の1214年のこと。英国王Johnはフランス南西部から海軍船に乗ってブリテン島に向かっていた。当時、英国は大陸本土のフランス側にも領地を保有しており、彼はそれを拡大する野心を抱いて大陸に兵を進めたのだが、あいにくフランス王(当時は領地は小さかった)の反撃に屈し、結局撤退を余儀無くされたのだ。ようやく帰り着いた彼を待っていたのは、貴族諸侯やロンドン市民からの批判の嵐だった。すでに大陸の領地はほとんど失われていた。残ったのは不名誉と、傾いた財政である。税金を課そうにも、彼の重税や放埓は、すでに皆が辟易していたのだ。 結局彼は翌年、臣下である貴族諸侯と、ある取り決めをかわし、文書化する。いわく、 * 王の一存では戦争資金のための税金を集めることができません * 国王は議会を召集しなければなりません * イングランドの国民は法と裁判によらなければ、生命や財産の自由をおかされ
![組織におけるルールはいかなる機能を持っているのか | タイム・コンサルタントの日誌から](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/29613ed48da703225b2d49a3c17fab182db792b8/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpds.exblog.jp%2Flogo%2F1%2F200508%2F25%2F47%2Fe005844720050825233346.jpg)