ブックマーク / atochotto.seesaa.net (7)

  • 「ユーザーのために」がUIを複雑にする時がある

    複雑なUIはなぜ生まれるのか? 以前から思っていたことですが、UIを設計する際に、「ユーザーのために」と思っているメンバーが集まっているにも関わらず、かえってUIの要素が増えることがよくあります。 一体なぜ、ユーザーのためにと思っている人が集まってもそういったことが起きてしまうのか不思議でした。不思議であるとともに、とても皮肉なことだと思いました。メンバーの思いがあるにも関わらず、最終的には要素が多く複雑なUIができてしまうからです。 そんなわけで、その理由を少し考えてみました。 「使いやすくしよう」が原因のひとつ 考えてみると、やはりUIが複雑になる原因のひとつが「使いやすくしよう」です。 ある不便なところをひとつ見つけたときに、「ユーザーのために」なにか対策を行おうとします。 ショートカットボタンの落とし穴 よくあるのはステップを短縮するショートカットのボタンをおくことです。 例えば、

    「ユーザーのために」がUIを複雑にする時がある
    kkbt2
    kkbt2 2012/04/23
    鉄則①ユーザーは自分の気持ちを語る専門家ではない。鉄則②ユーザーは解決策を考える専門家ではない。
  • なぜ作り手は「人」と「人が接するもの」の同化を拒むのか?

    「情報のデザイン」というときに、プロパガンダのようなことが話題になることがないのは不思議です。 といっても大体理由はわかっていてネーミングとは難しいもので、 「情報のデザイン」といっても言葉通りではなくある種の限られたカテゴリーを指すのが現状だからだと思います。(もしかしたら、情報デザインという名前がそのカテゴリーにあってないのかもしれません) さてさて、今回のテーマは「同化を拒む」です。 コンピュータ、演劇、アニメーション、マンガ、映画などを考えるときに一番単純な要素は何か?と考えると、「人」と「人が接するもの」になります。 例えばコンピュータの場合、ユーザーとシステム。演劇の場合、観客と舞台。アニメーションの場合、観客とアニメ映像。マンガの場合、読み手とマンガ。映画の場合も観客と映画。 さて、この中で、演劇やアニメーション、マンガ、映画のスタンダードな仕組みを考えてみますと今回マンガに

    なぜ作り手は「人」と「人が接するもの」の同化を拒むのか?
    kkbt2
    kkbt2 2010/10/27
    ひとは原理的にさびしさから出発すると聞いたことがある。人はだから一つになりたがる。共感もそのひとつということだろうか。たとえば、ダンスする間柄とか。
  • 価値の境界線はどこに?

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    価値の境界線はどこに?
    kkbt2
    kkbt2 2010/08/19
    「お金を払って、一日中、山を登っては、滑り降りてくるのがスノーボード。人によっては頼まれてもお断り。むしろお金を貰いたいくらいかもしれません」やったことない人がはじめて聞いたらまさに無価値。
  • 「世界を変えるデザイン展」 問題不在の時代

    前に『今日は何を作ったか? 』というエントリーで、Q-Drumという道具を紹介しました。 で、『Design for the Other 90%』というのを『世界を変えるデザイン展』という名前にして似たようなことを今東京でやってるので見てこようかと。 結論から言うと、哲学の問題です。 哲学というか考え方の問題です。デザインの問題ではありません。なので、デザイナーとして見に行っっても対して得るものはないんじゃないかと思います。 極限状態のデザイン 次に、社会的な活動とかそういった方向に流れがちですが、軍事的な面とも似ています。 なぜかというと、これは「極限状態」のデザインともいえるからです。 つまり、極限状態で水を飲めるものをデザインして良かったね、ということもあるかもしれませんが、それが軍事的に転用されることもあるでしょう。 もしくは、軍事的な目的で作られたものが転用されるという逆のことも

    「世界を変えるデザイン展」 問題不在の時代
    kkbt2
    kkbt2 2010/05/31
    「いつも、自分たちがやっていることは、問題ではないことを問題かのようにして解決してるだけなんではないのか?」
  • 秘密は面白さの源

    神社の中に、ほんとに鏡が入っている場合は、何もないに等しいです。そこを拝むという行為は面白いですね。 こういった秘密めいたことというのはなんとなく面白さの源なのではないでしょうか?なぜかというと、そこにはもともと何もないからです。なので、お参りにくる人のほうの想像にかかっています。 別の面から言えば、あると思っていたものがない!という場合は「虚像」といわれることもあります。こどもの頃に感じた「神様のはずが鏡だった!ちょっとショック!いないの!?」ということですね。 この想像も虚像も、思い描く人の中で起こっているということが面白いですね。 と、ここまでかきましたが、神社というのはそれでもなお、物質的な形を残しているところもまた気になるところです。 人は、物質と想像、あっちとこっち、象徴と虚像、記号と解釈、秘密と表象の間の境界に住んでいるのかもしれません。 関連記事: 小さな思い出は、あなたの

    秘密は面白さの源
    kkbt2
    kkbt2 2009/12/31
    「神社の中に、ほんとに鏡が入っている場合は、何もないに等しいです。そこを拝むという行為は面白い」「それでもなお、物質的な形を残しているところもまた気になるところ」
  • 「言葉も忘れる」あめちゃん(追記あり)

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    「言葉も忘れる」あめちゃん(追記あり)
    kkbt2
    kkbt2 2009/11/12
    「実は、よくわからないんだよね」「言葉は、受け手が意味を作る」わかったようになってしまう言葉。コピーライターとか、うかつな言葉に対して慎重だとか。
  • ポストイットで整理する手法ってどうなの?

    思考法として考えると ポストイットで何かを整理するという方法に接していて、のどに魚の小骨がひっかかった気分がずっとしていました。その理由はなんだろうな?と思っていたんですが、こんなことかなと思いました。 まず、自分にとってですがポストイットに書くという思考法が役に立つとは思いつつも決してメインの思考法ではないということなのだと思います。 役に立たない?というわけではない では、役に立たないかというとそうではない。 役には立つ。ただし、自分にとっては同程度で役に立つ手法はほかにもたくさんあるということです。 ポストイットに書き出すという行為は一体何をやっているのか?考えてみます。 どのような思考法なのか? まずは、単位化です。 小さな紙におさまるように書く。 しかし、実は単位化されたものの、キーだけが紙に残り、そのキーと照らし合わせるべき事象は、じつはその人の頭の中にあります。 これは、ほか

    ポストイットで整理する手法ってどうなの?
    kkbt2
    kkbt2 2009/11/11
    「単位化された事象のキーだけが紙に表されているので本人以外は、キーだけ見ることになるので理解ができない」Twitterの140字に近いものを感じる。
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