ブックマーク / heis.blog101.fc2.com (2)

  • なぜ日本ではテクニカル・ライティングの授業が行われないのか @heis.blog101.fc2.com

    「日語が亡びるとき」と「母の能」と「多様性」その昔三大普遍語に含まれていたフランス語とドイツ語は、要するに「できるとカッコいい外国語」である。日だけでなくアメリカでもそうだ。これには、歴史的経緯と、言語の背後にある「芸術・学問・文化」の蓄積が作用している。しかし、商売の役にはあまり立たない。これに対し、アメリカで習う外国語として手近なスペイン語は、たいして「カッコよくない」外国語。芝刈りやお掃除をする人々のコトバだからだ。 今注目は中国語だが、将来性は確かにあるものの、せっかくの長い歴史と伝統を過去1世紀ぐらい連敗が続いて帳消しにしてしまい、「カッコいい外国語」とはいえなくなっている。また、将来性でなく現在のことを見る限り、「中国語圏の富」の規模は、日語圏と比べてまだ小さく、その割に中国語のできる人の数が、日語のできる人の数より圧倒的に多い、つまり「そのコトバのできる人あたりアク

    kkbt2
    kkbt2 2011/08/12
    これって、身体感覚にも近いのかも。見たものを自分の体で再現する。正しく「見る」力と、見たものを「自分のものとして再現する」力。出来る人と、できない人がいるんだよな。
  • 「店の人に訊けば分かる」という常識の崩壊、賢くなければ生きていけないもう一つの理由、技術者という暴力 @heis.blog101.fc2.com

    注)引用部のハイライトは筆者注。 小売店に小物を買いに行くときに、目的とする品物のありかを、自分で探すか、それとも店員に訊くか、で迷うことがある。 「店員が店のことについてすべて熟知している」という仮定(この仮定は法的には当然に前提されるものかと)のもとでは、これは、「店員に訊く」という選択をしたほうが合理的だ。 しかし、実際にはこの仮定が成立しないことがある。 「○○というメーカーの、△△という型番のボールペンがほしいんですけど・・・」と、具体的な商品名を店員に対して入力して、「申し訳ありませんが、当店にはございません。」と言われたにもかかわらず、自分で店内を確認すると、あったりする。 私ははじめてこういう状況に遭遇したとき、キレそうになったのだが、あらためて考えてみると、前述の仮定が成立すると勝手に思いこんでいる私のほうにも責めがあるのではないかという気がしてきたのだ。 「頭のよさ」を

    kkbt2
    kkbt2 2009/01/20
    「つまり現代社会というのは、「人間たちよ、もっと賢くなれ!」「賢くなら/れないと仕事ができなくなるよ」という圧力(機械の側からの要請)が、これまでにない勢いで掛けられている状態」そういう見方もあるのね
  • 1