あさおき@国際機関職員 @Asaoki_UN 世界ふしぎ発見でローマ時代の奴隷について、東大の教授が「貴重な働き手としてそれなりの待遇を受けていた。生かさず殺さず、働き手を増やすために子どもも作って欲しいという待遇。今で言えばサラリーマンみたいな存在」って結構凄いことをサラッと言ってた 2021-09-06 18:15:16
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あさおき@国際機関職員 @Asaoki_UN 世界ふしぎ発見でローマ時代の奴隷について、東大の教授が「貴重な働き手としてそれなりの待遇を受けていた。生かさず殺さず、働き手を増やすために子どもも作って欲しいという待遇。今で言えばサラリーマンみたいな存在」って結構凄いことをサラッと言ってた 2021-09-06 18:15:16
私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働で食いつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣食住付きで三百万円を支払う。仕事は日本の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う
マジかー。どんどん技術吸われてるなー。ITとは関係ないけど、俺が前に勤めてた光学機器メーカーなんか単に「売れるから」って理由で中韓に売りまくってたもんなー。勿論、社内情報や技術は流出しまくり。俺は派遣社員だったから、指摘してもどうにもならなかったんだろうけど流出しまくってるのは目に見えてた。例え指摘しても社内の人間は誰も俺の注意を聞こうとせず。俺が海外経験あったから日本のおかしな文化や脇の甘さは目に付いた。だが、当時20代で、もともと「童顔だ」と言われる俺には彼ら日本人社員の目には「生意気だ」と映ったらしい。結局、危機や脇の甘さを指摘し続けると、俺は社内で孤立し最終的には退職に追い込まれる事になった。社内には恐らく「駐在」と言う形で韓国人もいた。日の半分ぐらいは韓国と電話で話している。(話しているだけ)大体、現地人に聞かれて都合の悪い事は現地人のわからない母国語で喋るのがどの国の人間でもや
英国メイドの終焉を語る際には、「使用人問題」という言葉は欠かせません。英語では「The Servant Problem」「The Servant Question」と表記するこの問題は、時代によって「何が問題か」という意味が異なりました。 まず、19世紀末までに表面化した大きな問題は「優秀な使用人のなり手不足」です。こちらの見解は主に中流階級の女主人(=メイドの雇用主)の間で強い支持を受け、使用人個人の資質に対する攻撃や不満を含んだものでした。いわく、「昔の使用人は優秀だった」、いわく「メイドの質はひどく、訓練が足りない」など。 もう一つの視点が、同じ「なり手不足」でも、「メイドという職業全体」への需要に対する供給不足という、より高いレベルでの構造的問題を扱うものです。こちらが大きく顕在化し、政府が取り組み始めたのが第一次世界大戦に前後した時代で、1920年代以降はほとんどの場合、個人の資
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