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Numberに関するklaftwerkのブックマーク (18)

  • オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)

    2017シーズン限りでプロサッカー選手としての生活を終えた羽生直剛氏。Jリーグ各クラブで活躍した彼のキャリアを語るうえで外せないのは、イビチャ・オシムの存在だ。 ジェフユナイテッド市原・千葉で見いだされ、「考えて走るサッカー」を体現したプレースタイルは、ジェフ時代、そして日本代表と多くのサッカーファンに知れ渡ることになった。 引退に寄せてのインタビューを敢行した際、なくてはならない恩師の存在について彼は「幸せなことだったのか、分からなくなってきた」と語っていた。その心とは――。 「お前はそのプレーで満足させられたのか?」 ――え、どういうことですか? 「偉大すぎて、自分もああなりたいと望んでもなれない、自分がちっぽけだということを思い知らされるだけだし(苦笑)、トレーニングひとつとっても、内容がすごく濃かったから、その後、どうしても物足りなさを覚えてしまって。もしオシムさんと出会っていな

    オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)
  • 羽生直剛が語る引退とサッカー人生。子どもに渡した「ごめんね」の手紙。(飯尾篤史)

    2018年1月5日、ジェフユナイテッド市原・千葉から1のリリースが発表された。 「羽生直剛選手 現役引退のお知らせ」 市原時代を含めた千葉、FC東京、ヴァンフォーレ甲府の3クラブでJ1計344試合に出場したMFは、どのクラブでもレギュラーの地位を確立し、ファン・サポーターに愛された。 その羽生が年明けのタイミングで、なぜ引退を発表したのか――。 現在、FC東京の強化部に籍を置く羽生氏。16年間のキャリアを振り返ってもらった。 インステップも思い切り蹴れない。 ――16年間の現役生活、お疲れさまでした。いつもジャージでしたから、スーツ姿の羽生さんと向き合うのは、違和感がありますね。 「自分でも着ていて違和感があります(笑)」 ――右膝のケガのために引退を決断されたそうですが、いつから膝を傷めていたんですか? 少なくともFC東京時代は、問題なくやれているように見えましたが。 「詳しく言うと、

    羽生直剛が語る引退とサッカー人生。子どもに渡した「ごめんね」の手紙。(飯尾篤史)
  • ポジショナルプレー、これが決定版。グアルディオラに直接聞いてみた。(田邊雅之)

    「ポジショナルプレーという単語を最近よく聞くんですが、あれは一体何物ですか? 記事やを読んでも、今ひとつわからなくて……」 最近、こんな質問を受けることが多い。 たしかに「ポジショナルプレー」というフレーズは、難解に響く。考え方自体は昔から存在していたが、日では使われてこなかったし、「戦術」や「ポジショニング」との違いもわかりにくい。 ポジショナルプレーとは何か。 自分なりに定義すれば、「攻守を問わずにピッチ上で優位性を創りだすために、戦術システムと選手の配置、組み合わせ方を考えた上で、監督が選手たちに実践させるプレーや細かなポジション取り、基的なノウハウの集合体」となる。 さらに補足するなら「監督が自らの理念に基づいて」という前書きや、「これまでの戦術的なアプローチが、さらに進化し、精緻化されたもの」と締めくくってもいい。 もちろんこれはあくまでも総論だし、まだイメージがつかみにく

    ポジショナルプレー、これが決定版。グアルディオラに直接聞いてみた。(田邊雅之)
  • 川崎の小林、大島ら獲得に教訓あり。内田篤人に“フラれた”名スカウト。(海江田哲朗)

    12月6、7日、JPFA(日プロサッカー選手会)トライアウトが行われたパロマ瑞穂スタジアムで、場にそぐわない人物を見つけた。名を、向島建。川崎フロンターレの強化部スカウト担当を務める。 トライアウトの趣旨は、所属クラブを契約満了となり、移籍先を探す選手とクラブを結びつけることに主眼が置かれている。すべての選手は大きく化ける可能性を秘めるが、少なくとも現時点ではJ1でタイトルを狙う強豪クラブの補強につながる選手はまずいない。 しかも、スカウトマンの仕事は若手有望株の獲得で、大学や高校の試合会場が活動の中心だ。 向島はトライアウトの視察に訪れた理由をこう話す。 「僕らの仕事は、幅広いレベルを見ておく必要があるんです。プロの上層だけを見て、そこに良し悪しの基準を置くと、若い選手の不足している部分ばかりに目がいってしまう。選手上がりのスカウトほどそうなりがちですね。あれがダメ、これが足りないと短

    川崎の小林、大島ら獲得に教訓あり。内田篤人に“フラれた”名スカウト。(海江田哲朗)
  • なぜブラジル戦はあの展開だったか。イレギュラーな瞬間の対応力向上を。(らいかーると)

    試合終了直後から選手からは「今日のブラジルは気じゃなかった」という声が聞かれた。ベルギー戦に向けて立て直すことはできるだろうか。 試合のオープニングは、ハリルホジッチらしい現象から始まった。ブラジル陣地からの日の果敢なプレッシングは、この試合における日の振る舞いを予想させるものであった。日のプレッシングに対してショートパスによる前進を試みたブラジルだったが、最終的にはマルセロがロングボールを蹴っ飛ばす形で試合は始まった。 日の守備の形は、大きく2種類にわけられる。 ゴールキックやスローインなどのプレーの再開時は、ブラジルの陣地深くからでもプレッシングを行う。相手がフリーな状態でボールを持っているときは、プレッシングの開始位置をハーフラインに定め、ブラジルの縦パスに対してボールを奪いにいった。 日のプレッシングに対して、ブラジルの対応はサイドハーフ(ネイマールとウィリアン)が中心

    なぜブラジル戦はあの展開だったか。イレギュラーな瞬間の対応力向上を。(らいかーると)
  • ポルトガルサッカー、絶頂から衰退へ。迷走する国内リーグで噴き出す諸問題。

    『フランス・フットボール』誌9月19日発売号は、オリンピック・マルセイユ(OM)を特集している。 OMはフランスでは特別な存在――フランス人の心のクラブであり、パリ・サンジェルマンやモナコには寄せることのない情熱と愛情を、人びとはOMに注いでいる。だからこそメディアも、成績の如何によらずOMを頻繁に取り上げる。 だが、ここで紹介するのは、昨年就任したフランク・マッコートオーナーのOM復活プロジェクトの検証でも、筆者(田村)による酒井宏樹インタビューでもない。OMとはまったく別の話題――ポルトガルリーグの現実である。 ベンフィカ、ポルト、スポルティングとそれ以外という二重構造のもとに、伝統的に成り立っていたポルトガルのサッカーが危機に直面しているという。いったいポルトガルで何が起こっているのか。ニコラス・ビラス記者がレポートする。 監修:田村修一 ユーロ王者にしてC・ロナウドの母国たるサッカ

    ポルトガルサッカー、絶頂から衰退へ。迷走する国内リーグで噴き出す諸問題。
  • 豪州担当スカウトが見た大迫の価値。「彼の1トップで日本は変わった」(田村修一)

    相手を背負ってボールを収める。シンプルだが日人FWが最も不得手とする類のプレーを大迫は難なくこなしている。 ロシアワールドカップ・アジア最終予選を通してオーストラリア代表のスカウティングを担当し、日本代表を観察し続けてきた今矢直城(37歳、早稲田ユナイテッド監督)。今矢が日の攻撃の主軸と見なし、チームの進化の原動力と位置づけたのは、田圭佑でも香川真司でも岡崎慎司でもなかった。また4試合連続得点と献身的な守備で、攻守にわたり新たな境地を示した原口元気でもなかった。 それは昨年11月、サウジアラビアとの大一番を前に、ほぼ1年半ぶりに代表に招集された大迫勇也であった。 それでは大迫は、ハリルジャパンにいったい何をもたらしたのか。都合3度、合計5時間以上に及ぶ今矢との議論から、オーストラリア戦の隠れたポイントに光を当てる。 <2017年8月21日> ――大迫のどこが素晴らしいのでしょうか?

    豪州担当スカウトが見た大迫の価値。「彼の1トップで日本は変わった」(田村修一)
  • ジェフ千葉から消えた脂身と白米。監督が持ち込んだ食事革命が凄い。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    9年ぶりのJ1復帰を目指すジェフユナイテッド千葉は、今季、いままでにない大改革を進めている。 エスナイデル新監督が率いるチームは、極端なまでのハイラインで守り、猛烈なハイプレスをかけ続ける。前にも後ろにも、とにかく走るのだ。夏場でも、その運動量が落ちることはない。なぜ、そこまで走れるのか――。 監督は「そこにミステリーはない」と言葉に力を込める。厳しいフィジカルトレーニングを課しているのは想像に難くないが、それだけではない。強度の高い練習をこなす体作りから見直し、徹底して事改善に取り組んでいるのだ。 現役時代、イタリアのユベントス、スペインのレアル・マドリーなど、欧州の名門クラブでプレーしてきた元アルゼンチン代表にとっては、当たり前のことを当たり前にしているだけだという。 脂身、濃い味、白米が並ぶ事に監督があ然。 きっかけは、シーズン開幕前の沖縄キャンプだった。 「なぜこんなに味付けが

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    klaftwerk
    klaftwerk 2017/09/08
    ハイラインサッカーはフィジカル無いと無理そうだもんな……
  • トップ下回帰でのデビュー戦ゴール。本田圭佑、ミランでの轍は踏まない。(西川結城)

    歓喜と落胆は、紙一重。 田圭佑がメキシコ・パチューカでのデビュー戦でゴールを決めた。その瞬間、こんな言葉が頭をよぎった。 すぐに目に浮かんだ光景がある。今から約3年半前。2014年1月、冬のイタリア・サッスオーロは厳しい寒さで覆われ、夜霧が立ち込めていた。CSKAモスクワからミランに移籍した田が、初めて名門の一員としてピッチに立った試合。あの時も今回のパチューカデビューと同様に、後半途中からの出場だった。 その83分だった。中盤でボールを持った元イタリア代表のモントリーボからパスが送られる。ペナルティエリアの外側で受けた田は、前を向くと左足を一閃。低い弾道のシュートがゴールに向かったが、無情にも右ポストに直撃した。 この試合、ミランは逆転されてビハインドの展開だった。ところが田が投入されると、攻撃は活性化。そんな流れの中で迎えた好機だった。残念ながら、新天地での初陣を自らのゴールで

    トップ下回帰でのデビュー戦ゴール。本田圭佑、ミランでの轍は踏まない。(西川結城)
  • 日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。 (Number Web) - Yahoo!ニュース

    25年前の夏、1人の高校球児が千葉県大会予選を戦っていた。甲子園を目指して……。いや、正確には目指していたのかどうか、人でもわからなかったのである。 「周りのチームや選手たちを見ていると『ああ、自分の高校では甲子園には行けない』と、わかってしまったというか……。だから、投げていても全然、甲子園を想像できなかったんです」 前沢賢。とある高校にピッチャーとして推薦入学した。エースとなり、ベスト16まで進んだ。だが、この投手の悲しさは周りが見えすぎて、壮大な夢を描けなかったことである。 卒業後、とある大学にやはり野球推薦で入った。同期にはいわゆる「甲子園組」が大多数だったが、実力では自分の方が上だと感じることもあった。なぜ、彼らは甲子園に行けたのか?  「彼らに聞いたら『だって甲子園に行くつもりで高校に入ったから』と……。僕とはそこが決定的に違いました。つまり自分が想像できないことは達

    日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。 (Number Web) - Yahoo!ニュース
    klaftwerk
    klaftwerk 2017/08/16
    凄く面白い企画。企画が実現したら行きたくなるなあ。
  • 「浦和が優勝できない理由」を潰す。遠藤航が始めた、チーム改造計画。(佐藤俊)

    ユーティリティは武器だが、遠藤航の中で「職」は今でもボランチ。スタメン2人の壁は高いが、あえてそこに波風を立てにいく。 沖縄キャンプ中、遠藤航の練習での気迫がすごかった。 どんな練習も一切、手を抜かず、100%。やろうとしてもなかなかできることではないが、遠藤はキャンプの期間中それを徹底していた。 そのせいか、練習後の表情には出しきった疲れが色濃く出ていた。 「レッズ2年目で心の余裕はできたけど、体の余裕はまったくないっすね(苦笑)」 そう言ってバスに乗り込む毎日だった。 なぜ、練習からそこまで自分を追い込んでいるのか。 「レッズが優勝するために必要なことだから」 遠藤は、そう言った。 「昨年は年間勝ち点1位になって、ルヴァン杯を獲って、ひとつ結果を残した。でも、チャンピオンシップで鹿島に逆転負けをして、悔しさが残るシーズンになりました。大事な試合で勝てるチームになるというのは、僕が来る

    「浦和が優勝できない理由」を潰す。遠藤航が始めた、チーム改造計画。(佐藤俊)
  • 「情熱は衰えた」ある有名作家の告白。高齢化、中毒化するプレミアリーグ。

    1月31日発売の『フランス・フットボール』誌は、プレミアリーグの停滞を巻末で特集している。 清潔だが無味乾燥なスタジアム、そのスタンドを埋め尽くす海外からの観光客たち、法外な値段のチケット、減少する観客数……。圧倒的な資力に基づく経済的な繁栄とは裏腹に、プレミアはその内側から蝕まれようとしている。今こそイングランドの伝統を見直し、原点に回帰しながら未来を模索すべきではないのか。その問題意識のもとに、プレミアリーグの現状を分析している。 特集の最後を飾るのが、フィリップ・オクレール記者による小説家ニック・ホーンビーのインタビューである。 『ぼくのプレミア・ライフ』の著者として日で知られるホーンビーは、1957年生まれの59歳。英国を代表する作家であり、またアーセナルの熱烈なサポーターである彼の言葉は、決して「昔は良かった」という類の旧い世代のたわごとではない。 プレミア以降(ヨーロッパで

    「情熱は衰えた」ある有名作家の告白。高齢化、中毒化するプレミアリーグ。
  • 1対1なしでボールを奪うのが最先端!?29歳の監督がブンデスの文化を覆す。(遠藤孝輔)

    ツヴァイカンプフ(1対1)なしにボールを奪う――。 ことさらに「デュエル」の重要性を説く日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督にとっては、寝耳に水のような言葉かもしれない。だが、「それこそが自分が理想とするサッカー」と力説する指導者が、欧州サッカー界の最先端で異彩を放っている。 ドイツの最高峰リーグで上位争いを演じているホッフェンハイムの指揮官、ユリアン・ナーゲルスマンだ。'16年2月11日に弱冠28歳でブンデスリーガ史上最年少監督になった風雲児は、ドイツサッカーの美徳とされるツヴァイカンプフの信奉者ではない。むしろツヴァイカンプフは偶然に左右される側面が強いと考えているのだ。 例えば、激しい対人戦が起きたとする。一連のプレーがフェアかどうかをジャッジするのはレフェリーだ。その審判が選手同士の接触に過剰反応を示すタイプなら、いくら対人戦に強い選手でも、ファウルを取られて持ち味を活かせなく

    1対1なしでボールを奪うのが最先端!?29歳の監督がブンデスの文化を覆す。(遠藤孝輔)
    klaftwerk
    klaftwerk 2016/11/23
    29歳の選手時代の実績無い理論派監督なんて日本じゃ潰されるだろうしなあ(下位カテゴリーから上に上がれない)。
  • オシム、叙勲受章とサウジ戦に寄せて。「スピーディに、強い規律を持て」(田村修一)

    イビチャ・オシムが旭日小綬章を受章したことは、すでにさまざまなニュースで伝えられた。そのオシムに、電話で話を聞くことができた。彼の喜びの声と、日サッカーへの変わらぬ思いをここにお伝えしよう。 ――元気ですか。叙勲おめでとうございます。 オシム:今、家族でささやかな祝いをしていたところだ。勲章を貰ったが、正確にはこれはどういうものなのだろう? ――日政府によるもので、とても名誉のあるものです。 オシム:とにかく関係者の皆さんには、くれぐれもよろしく伝えておいて欲しい。 ――ええ、外国人サッカー関係者の叙勲はとても少ないです。 オシム:身に余る光栄だ。よく聞かれるのは、どうすれば勲章を貰えるのかということだが、しっかり仕事して努力するしかないとしか言えない。天皇陛下をよく知っているジャーナリストと知り合いになるのもいいかも知れないが(笑)。それは冗談として、もう一度感謝の意を表したい。 と

    オシム、叙勲受章とサウジ戦に寄せて。「スピーディに、強い規律を持て」(田村修一)
  • 最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))

    久しぶりに彼と会ったのは夏の盛りだった。兵庫・芦屋の焼き鳥屋で知人と飲んでいると、不意に姿を見せた。あどけない表情は消え、あごひげを蓄え、ハンチング帽がすごく似合う。貫禄すら漂い、すっかり大人の男に変わっていた。 「あの後、どうしていたんだ? 」 柔らかい関西弁は相変わらずだった。懐かしさもあって、つい聞き込んでしまう。無理はない。彼と長々と話したのは、もう7年前なのだ。日付も克明に覚えている。'09年10月1日。広島カープを取材していた昼すぎ、携帯電話が鳴った。 「お世話になりました。俺、トライアウトを受けます。まだまだ頑張ります」 そうか、ダメだったのか……。辻賢人が阪神にドラフト8巡目で指名されたのは'04年秋だった。無名どころか、中学3年の学年にあたり、ドラフト史上最年少の15歳で指名されると世間は驚き、一躍、脚光を浴びた。在籍5年間の奮闘実らず、タイガースを戦力外になった。前向

    最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))
  • 細貝萌がトルコで手にした充実の時。理不尽な冷遇から、新天地で得た愛。(二宮寿朗)

    サッカーの神様は、細貝萌に何度、試練を与えるつもりなのか。 2015年夏。 彼は“飼い殺し”状態になっていたヘルタ・ベルリンに戻っていった。ストレス性発疹で入院した経緯がありながらも、「チームで活躍したい」と決意を持って束の間のオフを過ごした日を離れた。苦しんだ分だけドイツの地で希望を見出すシーズンになると、誰もが思った。 だが、事態は一向に変わらなかった。紅白戦になれば「ハジは向こうで走ってろ」と、仲間と一緒にサッカーをすることさえ許されなかった。いつの間にかまた、発疹が肌に表れるようになっていた。いくら忍耐強い彼でも、心情を察するに余りあるものがあった。 彼は夏の移籍期限ギリギリで、トルコリーグのブルサスポルへと渡った。 スタメンにらいつき、必死に闘い、彼はサッカーをやれる喜びを体で感じながら欧州でも有数の「熱いリーグ」で自己を燃やし続けた。 オフで帰国した細貝の顔つきは、前を向こ

    細貝萌がトルコで手にした充実の時。理不尽な冷遇から、新天地で得た愛。(二宮寿朗)
  • 小野伸二が語る“運命を変えた一戦”。「プロサッカー人生でピークは……」(Number編集部)

    18歳でのサッカーワールドカップ出場は、いまだに日人最年少記録である。 小野伸二のサッカー人生は、日サッカーの発展と軌道をほぼ同一にして、上昇曲線を描いていた時期がある。けがのために表舞台から一時、退くことはあったが、長らく日サッカーの大黒柱の一人であり続けてきた。 『NumberPLUS(「スポーツノンフィクション2016 運命を変えた一戦。」5月12日発売)』の取材で、久しぶりに小野伸二に会った。天才フットボーラーの20年にわたるサッカー人生を振り返るとともに、小野伸二というアスリートの「運命を変えた一戦」を描き出す取材だ。 キャンプ地・沖縄と拠地・北海道での二度にわたるロングインタビューで、小野伸二は自身のサッカー人生を振り返ってくれた。そして小野伸二と深いかかわりのある5人の関係者を取材してまわった。それは同時代に、サッカーを主な担当として雑誌『Number』を作っていた

    小野伸二が語る“運命を変えた一戦”。「プロサッカー人生でピークは……」(Number編集部)
  • 元フィジカルコーチが語る日本代表。驚いたのは乾、武藤、そしてヤット!?(豊福晋)

    「日人はサッカーに適した、アスリート向きの人種です」 そう断言するスペイン人がいる。 ハビエル・アギーレが日本代表監督を務めていた頃、フィジカルコーチとして日本代表に帯同したフアン・イリバレンだ。 アギーレの右腕として、オサスナやエスパニョールでフィジカルコーチを務めてきた。現在はアラブ首長国連邦のアルワハダでアギーレと共に働いている。 日本代表のフィジカルコーチに就任する前、イリバレンは日人のフィジカルについての知識はゼロだった。日のクラブに携わったことも、欧州で日人選手と仕事をしたこともなかったからだ。 2014年夏、日に渡った彼は選手を近くで見て、触れ、言葉を交わし、あらゆる種類の測定を行った。彼はまず、日人のフィジカル、その特性を見出そうとした。 遺伝的に突出した爆発的なスピードと持久力。 そこでイリバレンを驚かせたのは、ふたつの数値だった。 「スピードと持久力です。ヨ

    元フィジカルコーチが語る日本代表。驚いたのは乾、武藤、そしてヤット!?(豊福晋)
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