和製英語として普通に使われるようになった「コンテンツ」という単語。放送番組、映画をはじめ、いわゆるインフラに乗せる“中身”という意味なのだろうが、この単語が堂々とまかり通っている限り、日本の映像ビジネスの発展には大きな壁が立ちはだかることだろう。 わが国では今、至るところで「コンテンツ」という言葉が使われている。役所の公式な研究会の場でさえ、「コンテンツ流通の活性化」といった具合にコンテンツのオンパレードだ。映像ビジネスの場に限らず、「コンテンツ」という単語はもはや立派な「日本語」として、あらゆる所で通用している。 この言葉が使われるようになった経緯だが、おそらくは「放送と通信の融合」といった標語と同じように、ハードとソフトが対比される中で、いわゆるソフト(内容物)を指すものとして使われ始めたように記憶している。ただ、皮肉なことには、「コンテンツ」という単語がまかり通り出した辺りから、肝心
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