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マスコミとblogに関するklim0824のブックマーク (5)

  • 無罪の人を報道被害から救うブログというのを考えてみた - Timesteps

    先々週くらいから『無罪・不起訴ニュース』というのをやっているのですが、これの延長線上で「こんなブログがあったらよいのではないか」というのを思いついて、ちょっと考えています。それは「無罪、不起訴含め報道被害を修正するブログ」。 この前「一度逮捕の報道がなされると、その後無罪、不起訴になっても名誉の回復が難しい」という報道に昔からつきまとう問題をネットでどうにか出来ないか、というので、前述のニュースを始めたと書きました。 ■参考:無罪・不起訴ニュースを実験的に始めてみます - Timesteps で、もうちょっとこれを発展させてゆくと、最近起きただけの無罪、不起訴ニュースだけではなく、過去に起きたそれら、もしくは「報道被害」と呼ばれるものに対して、それを救うためのものが出来るのではないかと思ったのです。 それは「ここに載っていれば、過去報道された内容は間違いで、その人は無実だとわかるようなブ

  • ブログの引用の自由をめぐって: やまもも書斎記

    2009/01/12 當山日出夫 私が確認したところで、読売新聞(YOMIURI ONLINE)が、報じている。この他、現時点で、Googleニュースでは、18件の関連報道がある。 テレビ朝日系で10日に放送の番組で、ブログ記事をスタッフが作って、それをあたかも、すでに一般にあるものであるかのように見せた問題。 記事から、一部「引用」すると、テレビ朝日の発言として、 >>>>> 実際のブログ作成者から撮影許可が取れなかったので、同じ情報を元にスタッフが『再現』した。そのことをテロップやナレーションで伝えるべきだった。視聴者に誤解を与えかねない表現となり、申し訳ない。 <<<<< いくつかの問題点がうかびあがってくる。 ・ブログ記事として、公開されたものの「引用」はどのようなルールであるべきか ・それは、文字データであるとしても、実際には、画面にレイアウトされたものとして、画像的な性格を持つ

  • Twitterはニュースソースにあらずと言い張る人々が未だにいるのには驚きだ

    Hours after rumors started circling in China about a possible stepdown of Alibaba’s chairman and CEO Daniel Zhang, the ecommerce behemoth confirmed midday on Tuesday that the executive will hand Vimeo, the video hosting and sharing platform, is embracing AI in a major way. This week, Vimeo announced a suite of AI-powered tools designed to help users create scripts, record footage using a buil

    Twitterはニュースソースにあらずと言い張る人々が未だにいるのには驚きだ
  • ネットユーザーたちが暴き始めた「客観報道」というまやかし=佐々木俊尚 - 雑誌記事 ニュース:@nifty

    言論フラット化 取材現場の様子も、自らの取材対応もブログで叩かれる ネットユーザーたちが暴き始めた「客観報道」というまやかし=佐々木俊尚 2008年11月25日(火)0時0分配信 SAPIO 掲載: SAPIO 2008年11月12日号 4ページ中 1ページ目 前のページ | 1 | 2 | 3 | 4 | 次のページ -PR- 文=佐々木俊尚(ジャーナリスト) ネットの普及、IT技術の進化により、一般の人が目撃したマスメディアの取材現場がネット上に晒されるケースが増えている。また、報道に疑問を持った読者、視聴者がマスメディアに電話をかけ、その対応をネット上に掲載するケースも多々ある。従来は覆い隠されていた取材現場、被取材者としての対応が暴かれることで、マスメディアは大きな危機を迎えている。 化けの皮が剥がされる 「高邁な社会正義」 今年6月8日、秋葉原で無

  • ブログ的不安と矜持 - 雑種路線でいこう

    毎日RSSリーダーで数百件の記事を読む。そのうちいくつかに反応してブログエントリを書くんだけど、そんなことばかり続けていて大丈夫かと不安になる。結局のところブログってフローの情報で、条件反射的に書く自分のブログもまたフローの漠とした印象論でしかない。 積み上がらないし、矛盾しているし、膨大なガラクタに過ぎないのかも知れない。時には人々を励まし、建設的な議論を惹起し、あとから読むに耐える文章もあるとしても、多くのエントリはその時期のコンテクストに依存し、なぜそんな細かいことにこだわっていたのか不思議になることもある。個人的な日記だってそういうものだが、日記と違って他者の視線を前提に書いているし、ホッテントリに入るか一喜一憂しながら書いている分、余計に足を取られる危険を感じる。 このところ特にそういうことを考えるようになったのは、自分の言説があまりに典型的であることに気付かされたからだ。ひとつ

    ブログ的不安と矜持 - 雑種路線でいこう
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