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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki (10)

  • ブログの「関連記事」は3本までにするのが読まれるコツだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■拾う文章と捨てる文章をフィルタリングする人間の認知システム いまやブログやSNSの記事は洪水のように氾濫している。その上、SBMや個人ニュースサイトからは、絶えず読むべき記事が流れ込んでくる。こうなると情報を集めることより、いかに捨てるか? が重要になってくる。 で、人間はこんな自動フィルタリング機能を備えている。 ネット上である程度の長文を読むとき、無意識に一定範囲の文章を選択したり非選択にしたりしている。選択すると色は反転するわけだからそこを強調して読もうとしているのかというと、別にそういうわけでもない気がする。でも、読んでいるところの前後を含めて選択したり外したりしているので、読む作業とは何らかの関係がある気もする。 ●kokokubeta;『ネットで文章を読むときの癖』 これは確かに私も無意識のうちにやっている。「選択した文章」だけを精読し、ほかの部分はナナメ読みして「次のブログ

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  • 「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■賛同のブクマはしても、コメントを書かないケースは多い 人間のネガティブな思考は、強いエネルギーをもっている。だからネット上で人物や意見に否定的な感情をもつと、ことあるごとに「彼」に対して嫌味や揶揄を連発するようになる。いわゆる「粘着系」の行動だ。 これは特に意見を表明するための敷居が低いネット上では、よく起こる現象である。 それに対して「好感をもちました」とか「おもしろかった」、「気に入りました」程度のポジティブな感想は、コメントとして発露しにくい。「思い」が負のエネルギーほど強くないから、単にブックマークしただけでコメントを書かずに素通りすることも多い。 よっぽど「感動した」「強く賛同します」的な気持ちが湧いた場合を除き、わざわざポジティブな意見をコメントに書くことは案外少ない。 ■9つの「無言ブクマ」より、1つのネガコメが印象に残る このネガ・ポジ比較論は、『はてブネガコメを嫌がるア

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  • ブログを公開するには「あきらめ」が必要だ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    アウトプットするには2つの難関がある ブログ記事を書いて投稿するまでには、2つの大きな難関がある。 1つはネタを考えつくまでの産みの苦しみ。もう1つは「もっとよくなるんじゃないか?」と思いながら書きあがった記事を、思い切って公開する踏ん切りだ。 前者については、ネタが思いつかなければ誰かの記事に反応することから始めてみるといい。創造物にインスパイアされ、他人の思考(記事)への感想から書き始めるのだ。すると自分にしかない発想って、案外、あとから湧いてくる。 だが問題は後者である。 ■完全主義者タイプは読ませるのをためらう 世の中には2種類の人間がいる。 完全主義者と、そうでない人だ。 何か行動するに際してあまり構えない人は、気軽に何でもやってみることができる。トライ・アンド・エラーで、走りながら考えることが可能だ。だからサクッと記事を投稿するのもわけはない。 だが走る前にあらゆる要素を熟慮

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  • あなたはブクマコメント派? それともブログにコメント派? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■ブログに書き込む行為は「筆者の手を握る感覚」だ ブログを読み、「おもしろい」と感じた。 じゃあ、あなたが次に取る行動は何か? 相手ブログのコメント欄に感想を書き込むか? それともソーシャルブックマーク(SBM)でコメントするか? それが問題である。 ブログを読んでいてコメントしたいな、と思うときが多々ありますよね。で、そんな時コメントする場所(方法)ってたくさんあるんですよね。(中略) 中でもブログのコメントとブクマコメントで迷いますよね。 ●まだ限界だなんて認めちゃいないさ『どこにコメントすべきか問題』 みんな同じだなあ。 たとえば私の場合、デフォルトはブクマコメントだ。SBMを使い始める前は相手ブログに書き込んでいたが、今ではよほど感銘を受けた/反発を感じたとき以外、そこまでしない。 すごく親しい人ならブログのコメント欄に書くが、たいていはブクマ・コメントで終わりだ。 私にとって相手

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  • ブログの記事はどこから書き始めるか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    みなさんはブログを書くとき、どんな書き方をしてるだろうか? 「人によってこんなにちがうんだなあ」と、興味深く感じた記事を見かけたので反応してみる。 僕は文章を書きながら考えをまとめるのが苦手で、ある程度、結論めいたものを考えてから書き始めます。「書き出し」にとりかかるのに時間がかかるんですね。その代わりに、「書く」ときには、言葉を選んだり構成を整えたりすることに集中しますので、書いている間に結論がぶれたりすることはほとんどありません。 ●FETISH STATION『「考える」ことと「出力」の間』 筆者のKenさんは、設計図を作ってから書き始めるタイプの人みたいだ。私の場合はKenさんと正反対で、後半部分(や結論)がまったく頭にない状態で書き始めることが多い。で、その部分にさしかかると、突然書くべきことが思い浮かぶのだ。 だから「おお、こんな結論になったか」みたいなこともしょっちゅうある。

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  • 書くときに役立つインスパイア源としてのSBM - すちゃらかな日常 松岡美樹

    前回エントリ『あなたの「好き」を見つけてくれる個人ニュースサイトを探せ』では、個人ニュースサイトとソーシャルブックマーク(SBM)を比較した。で、ニュースサイトを中心に分析した。そこで今回は一方のSBMをテーマにしよう。 ■自分と異なる価値観に出会えるSBM 私にとってニュースサイトとは、「読むことを楽しむ」ためにある。それに対しSBMは、「自分が書くときに役立つ」メディアだ。 たとえばニュースサイトの場合、まず自分好みの「お店」を選ぶのが第一段階だ。で、そのサイトばかり閲覧するようになる。だから自然に趣味のため、好きなものを読むためのメディアとして機能する。 一方、いろんなネットユーザの「異なる好き」が集まるSBMには、自分のストライクゾーンからはずれた文体や発想、ジャンルが詰まっている。「えっ、そんな考え方があったのか?」と驚かされることも多い。 つまり私にとってSBMは、自分とは異質

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    klim0824
    klim0824 2008/12/21
  • 自分で自分の文章を解説するなんてイタイよねえ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    文章とは、読んだ人が自由に解釈できるところがすばらしい。筆者がどんな意図で書いていようが、読み手が思うままにイメージの翼を広げられる。それが読むことの醍醐味である。 まあ別に作文に限らず、芸術とはそういうものだ。だから自分の文章を自分で解説するなんてヤボだし、非常にみっともない行為である。 だけどたまたまブログ「北の大地から送る物欲日記」さんから、私が書いたコラム『初心者ブロガーが「ブログ青春時代」を卒業するとき』(ASCII.jp)に以下のような問いかけをいただいた。 ブロガーとして立派な社会人ってのが何を指すのかは分からないけれど、 ●北の大地から送る物欲日記『ブロガーとしての成長に卒業はない』 なるほど。あの原稿は比喩を多用したから、読んだ人に意味が通じてない箇所も多いのかも? そう気づいた。とても貴重なご意見をいただいたと感じた。こういうのは実際に読んだ人から言われてみないと、自分

    自分で自分の文章を解説するなんてイタイよねえ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • ソーシャルブックマークで忘れがちな3つのこと - すちゃらかな日常 松岡美樹

    インターネット上では時と場合によって、個室にいる感覚と広場にいる感覚の区別がつきにくい。特にソーシャルブックマークを使っている時にそれが顕著だ。その意味でブクマ・コメントを書くときに、うっかりしがちな3つのケースをあげてみよう。 ケース1. そのコメントは、「ブクマした記事の筆者人も読む」ってことを忘れてる 「あっ、これ人が読むんだな。やべっ」と思って書き直したりするのがこのパターンだ。不特定多数の第3者にコメントが公開されることは意識してるのに、なぜかブックマークした記事の筆者人が目にするんだってことが頭から抜けている。 ブクマ・コメントで記事に批判的なことを書いた人が筆者に直接からまれた時、「ええっ? ブクマくらいでなに怒ってんの? 怒らないでくださいよっ」などと意味不明なことを言ってごまかそうとするのがこのケースだ。 筆者人が読んでることをすっかり忘れているために、いざその筆

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  • 自分に気づくためにブログを書く - すちゃらかな日常 松岡美樹

    人はなぜブログを書くのか? 私の場合、「自分の中の自分に気づけるから」というのが大きい。もちろん理由はそれだけじゃないが、今回はブログによる気づきに絞って話を進めよう。 ブログを書くってことは、自分の考えを文章としてウェブ上に残すってことだけど、それによってより深く考えることになったり、ブログを読んだ人からの反応でより幅広く考えられるようになったりする。コメントやトラックバック、ソーシャルブックマークの反応からは、自分になかった視点の意見がもらえるし、自分が書いたものに反応して、いろんな方向に議論が広がっていくことだってある。 ●北の大地から送る物欲日記『ブログを書くということ』 ブログを書くことで気づかなかった自分を発見するパターンは、とすれば内発的な要因と外発的な要因に大別できそうだ。ではまず内発バージョンから見て行こう。 ■書くことは自分のインナースペースを旅するのと同じだ 人間がモ

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  • SBMはブログのコメント欄を滅ぼす - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)を使っていると、「おもしろいな」と思うエントリを見つけても、そのブログのコメント欄に何か書こうって気にならない。たいていはブックマークしたときに、ブクマコメントを書いて終わりだ。 わざわざコメント欄に書くのはよほど親しい相手くらい。あるいは荒らし(笑)とか。 で、いちいち相手ブログのコメント欄へ書きに行かない分、その時間と手間をより大量のブログを読むことに費やすようになる。するとだんだんコミュニケーションはブログを通じてじゃなく、ブクマコメントを使ってのみ行われるようになる。 だからSBM上ではよくコメントしたりされたりしてる関係なのに、その相手と直接コミュニケーションしたことが全くない、という奇妙なシチュエーションが生まれる。コミュニケーションのよそ行き化である。 さて、この話の結論はどこへ持って行くのか? パターン1. インターネットの闇(笑) SBMの

    SBMはブログのコメント欄を滅ぼす - すちゃらかな日常 松岡美樹
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