現役引退を決めた大関・魁皇=名古屋市緑区鳴海町の友綱部屋で2011年7月19日午後7時1分、兵藤公治撮影 「攻める気持ちが足りなくなった」。この言葉が、すべてを物語っていた。 琴欧洲の左差しを嫌い、左に回り込むと体が離れた。そこから足が出ない。琴欧洲の突き放しをいなそうと左に、左にと逃げたが、一度も前に出られずに土俵を飛び出した。取組直後、「全然思ったような相撲にならなかった」と話した魁皇だが、この時点で引退を決意していたのだろう。その表情はさっぱりしていた。 魁聖を相手に場所中としては異例の関取との三番稽古(げいこ)をし、取組後は奈良県の整骨院に毎日通うなど、あらゆる手を尽くした。「体調が悪いけど、場所が始まってからも、やれることはしっかりやった」。無念さは、もう残っていなかった。 最後の相撲を土俵下で見た三保ケ関審判長(元大関・増位山)は「頑張れるだけ頑張ってほしい」と話し、ある元大関