昨春、使わなくなった息子の部屋を片付けていた山瀬功(49)は、数冊の分厚いノートを見つけた。ポルトガル語と日本語の入り交じった走り書きに、人とボールの動きを示す図。今やアテネ五輪代表の司令塔となった長男・功治(22)がブラジルに留学していたころのサッカー日誌だった。 「電話は月に1回。サッカーの話はほとんどしなかったけど、マメにやっていたんですね」。功はしみじみとつぶやいた。 功治がサッカーを始めたのは5歳。きっかけは偶然だった。「何かスポーツをさせたいと思っていたら、たまたま自宅の前が札幌サッカースクールの送迎バスコースだったので」 この選択が、功治の運命を決定づけた。スクールには3人の日系ブラジル人コーチがおり、功治は本場仕込みの技をどんどん吸収した。ブラジル留学を進めたのも、校長の柴田勗(つとむ)(71)だ。 「4年生の時、6年生のチームに入って得点王になった。この子を教えられる指導