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ブックマーク / www.vice.com (8)

  • ニュー・ウェイヴのススメ ③ ノー・ウェイヴ

    80年代後半。米国の地下で生まれた怪獣、珍獣、猛獣バンドたちが日に来襲した。まぁ、びっくりしましたよ。こんな毒毒モンスターが、実はウジャウジャ這っていたなんて知らなかったんだから。それまでの洋楽シーンといえば、〈=英国音楽〉だったわけで、THE SMITHSが解散すれば、「ギャ〜ッッ!!」と嘆き、THE JESUS AND MARY CHAINが登場すれば、「ガガ〜ッッ!!」とノイズに溺れ、PRIMAL SCREAMがガレージロッキン化すれば、「ムム〜ッッ!!」と戸惑い、ロバ夫(THE CURE)が短髪にすれば、写真持参で床屋に駆け込み、「こんな感じにしてください」「あいよ! スポーツ刈りね!!」とされたように、ジャパニーズ洋楽ファンたちは、英国シーンに踊らされていたわけです。そう、米国なんてアウトオブ眼中。だって、当時輸出されていた米国インディー・ミュージックは、R.E.M.とか、TH

    ニュー・ウェイヴのススメ ③ ノー・ウェイヴ
    kno
    kno 2017/12/24
  • パンク歴史学者はスキンヘッドをかく語りき

    トビー・モット(Toby Mott)はロンドン出身のデザイナー/ヴィジュアル・アーティスト。1983年にアート集団「Grey Organisation」を設立し、ROLLING STONES、PUBLIC NENMY、A TRIBE CALLED QUESTのミュージック・ビデオから、DE LA SOUL、INFORMATION SOCIETYなどのジャケット制作、更には世界各国での様々なアート・エキシビジョンを開催。個人になってからはファッション・レーベルTOBY PIMLICOをスタートさせ、マリ・クレール誌の付録では女子大喜びのバッグも製作した。 そんなセレブリティーな彼のもうひとつの顔こそがパンク収集家!「The Mott Collection」と称されるそのアイテムは、レコード、フライヤー、ポスターなど、膨大な数に渡り、展覧会も各国で開催されている。特に2011年にニューヨークで

    パンク歴史学者はスキンヘッドをかく語りき
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    kno 2017/11/12
  • ニュー・ウェイヴのススメ ②  ゴシック/ポジティヴパンク

    若かりし頃、ゴスっ子と付き合っていました。いつも真っ黒の装いでしてね、眉毛も細くてね。結構長いあいだお付き合いさせていただいたのですが、すっぴんはほとんど見る機会がなかったなぁ。貸切温泉でもばっちりキメていましたからねぇ。まぁ、可愛かったですけどね! そんなある日、「ゴスナイトに行こう!」と彼女に誘われました。確か王子の3Dだった気がする。結局、そのゴスナイトは、なんかトラブルがあって中止になったのですが、それはそれで当に良かった。なぜならその彼女、いつもよりマシマシで顔を白くしていたから。目の周りもマシマシのパンダになっていたから。MAYHEMもびっくりのコープス・ペイント…いや、もはやABBATHレベルかな、鉄拳かな。鉄拳なんかと一緒に歩きたくない。鉄拳の彼氏だなんて勘違いされたくない。当にそのイベントが中止になってホッとしました。まぁ、ド可愛かったですけどね! なんて私も、学生の

    ニュー・ウェイヴのススメ ②  ゴシック/ポジティヴパンク
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    kno 2017/10/17
  • バットホール・サーファーズ物語

    「想像力をフルに使って考えてみてくれ。もうほぼ人間じゃないだろうっていうくらいクスリでハイになったテキサスのイカれたヤツらと一緒に、EUになる前の無防備なヨーロッパをダラダラと旅したんだよ。あとほんのちょっと間違えれば、投獄されてもおかしくない状況だ。君の想像の1万倍ひどかった。クスリでおかしくなって、ジンでベロベロに酔っぱらったサイコパス4人と半年間もガッツリ寝をともにしたんだ。君の想像なんてかすりもしない」 これは数年前、サイケデリックバンドTHE BONGWATERを率い、インディペンデントレーベル〈SHIMMY DICS〉を設立し、更に、GALAXIE500やLOW、ダニエル・ジョンストン(Daniel Johnston)、ウィル・オールダム(Will Oldham)などのプロデューサーとしても知られるクレーマー(Kramer)に、BUTTHOLE SURFERSのツアーメンバー

    バットホール・サーファーズ物語
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    kno 2017/07/31
    “「客たちは、俺たちの音楽に反応していたんだろうか? それとも俺たちの音楽が立ち向かっているものと同じものに反応していたんだろうか?」”
  • 驚愕の再結成を前にTHE SHAGGSを想う

    この間、恋人とふたりで〈YouTubeにある最もヒドい曲対決〉をした。DUNE RATS* のビデオをあれこれ、セッション・シリーズ〈LIKE A VIRGIN〉の魂のこもっていないカバーをあれこれ、そしてタシュ・スルタナ(Tash Sultana)がMGMTの「Electric Feel」を台無しにするのを確認したあと、私の恋人は勝負に打って出た。彼が次に流したのは、THE SHAGGSの「My Pal Foot Foot」だった。 * オーストラリアのパーティーガレージバンド。 そこには、こんがらがったドラムと挙動不審な安っぽいギターのメロディ、そしてとんでもなくぎこちないボーカルが、狂気の沙汰ともいうべき不協和音を放っていた。ベースが無かったのが不幸中の幸いだったかもしれない。音程は外れに外れ、ガチャガチャに掻き鳴らされ、ニューイングランド訛りの不自然な声で、〈フットフット〉と、行方

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    kno 2017/03/18
  • サーストン・ムーアがネクロブッチャーに訊いたMAYHEM

    MAYHEMのベーシスト、ネクロブッチャー(Necrobutcher)こと、ヨルン・ストゥッベルド(Jørn Stubberud)による初の書籍『The Death Archives:Mayhem 1984-94』のUS版が、サーストン・ムーア(Thurston Moore)のエクスタティック・ピース・ライブラリー(Ecstatic Peace Library)より発売された。悪名高いノルウェーのブラック・メタルバンドの歩みとともに、レアな写真、ダイアリーなどが満載の書は、オリジナル版が発売されて以来、数年も経たないうちに、既にブラックメタルファンの必読書となっている。ファン以外にも、バンドにまつわる一般的なイメージ、つまり殺人、教会放火事件など、センセーショナル* な歴史を超えたところにあるMAYHEMの真実について、より深く知りたいファンにとっては魅力的な著作だ。 * 1991年、当

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    kno 2017/02/25
  • DINOSAUR JR.を 「仕事」と語るルー•バーロウ

    DINOSAUR JR.が生まれてから30年。しかし、その歴史はこの先も続くだろう。こんな経歴のバンドは滅多にいやしない。11枚のフルアルバムをリリース。オリジナルメンバーは途中で脱退。活動休止期は10年間。しかし、そんな山や谷を乗り越えて復活したDINOSAUR JR.は、現在オリジナル・ラインナップで大活躍中。それぞれ50歳を越えたメンバーは、猛烈にロックしまくっている。J・マスキス(J Mascis)、ルー・バーロウ(Lou Barlow)、そして気さくなマーフ(Murph)は、最新アルバム『ギヴ・ア・グリンプス・オブ・ホワット・ヤー・ノット(Give a Glimpse of What Yer Not)』のリリース後、世界各地をツアー中。また、9月末にカリフォルニアで開催された『デザート・スターズ・フェスティバル(Desert Stars Festival)』では、大トリを務めた。

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    kno 2016/10/25
  • おじいちゃんの箱に入っていたリアル・パンク

    「亡くなった祖父宅の物置を整理していたら、偶然出て来た古いアルバム。そこには私が知るよしもなかった若かりし祖父の笑顔が映っていた。思わず涙が出た」…なんて感じのイイ話。あ、このおじいちゃんはまだご存命でした!「オレが若けぇ頃はよぉ~」なんて赤提灯で管巻いてるジイさんたちも、当に若けぇ頃はアレコレやってたんでしょうね。このときこそが人生のピークだとは思いたくないけど、間違いなく輝いていた頃のおはなし、おはなしー。 ※ 70年代後半、カリフォルニア芸術大学でビジュアルアートを専攻していたジョン・ロバーツは、暇な時間に、ベイエリアで正に花開いていたパンクシーンを撮影していた。ストリート、ポートレイト、コンサートなどをとらえた彼の写真からは、ヒッピー・ムーブメントとエイズ恐慌の間にあった街の様子が、彼独自の視点で伝わってくる。ロバーツの最高の作品は、ザ・デフ・クラブという名のバレンシア・ストリー

    おじいちゃんの箱に入っていたリアル・パンク
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    kno 2015/12/16
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