Wikipediaの「聖徳太子」記事は、研究者ではない古代史ファンの人たちが書いているようで、学術的でなく問題だらけであって、最新の研究状況を反映していない点は変わっていませんが、論調はこの10年ほどでかなり変化しました。 当初は、「聖徳太子はいなかった、実在したのは厩戸王だ」説が正しいとする立場を柱としていたものの、最近は虚構説には反論が多いこともとりあげており、ネット上で読むことのできる私の説も紹介してくれています。 たとえば、2021年7月22日現在のWiki記事では、 用明天皇紀では「豊耳聡聖徳[注釈 1]」や「豊聡耳大王」という表記も見られる[7]。『厩戸王』という名の初出は更に30年下った『懐風藻』であり[5]、歴史学者の小倉豊文が1963年 の論文で「生前の名であると思うが論証は省略する」として仮の名としてこの名称を用いたが、以降も論証することはなく…… と書かれており、注7