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  • 貧困のことなど考えなくてもいい人と『下流老人』 | 生きづらい。それでも生きていく

    趣味で続けているカルチャースクールの展示会の受付で、年配のご婦人と一緒になった。 受付をしながら色々と話をした。品がよく聡明で溌剌として、聞いた年齢よりずっと若々しい。 ご婦人の友人と、友人の家族が作品を見に来てくれたらしく、受付に現れた。友人の孫と思われる可愛いらしい2、3歳くらいの女の子が受付にいる私たちに手を振ってくれる。 「可愛いですね」と私が言うと、婦人から「あの子はいいわよ。大事にされているから。でも母親が働きにいって育ててもらえない子は可哀相ね」という返事が返ってきた。 聞けばどうやら、母親が外で働いている子供は可哀そうで、専業主婦の子供は可哀そうではないということらしい。 母親が仕事で日中一緒にいられない子が可哀相という認識がない。 というか、日にはそういう境遇の子が多すぎて大半の子が可哀相な状況に当て嵌まってしまうと思えたので、「旦那さんの収入だけじゃやり繰りできない家

    貧困のことなど考えなくてもいい人と『下流老人』 | 生きづらい。それでも生きていく
    koganeisyobou
    koganeisyobou 2016/02/06
    (”藤田氏は、高齢者の貧困に限らず、年々日本における相対的貧困率や格差は拡大する傾向にあると警鐘を鳴らす。”)
  • 心理学とスピリチュアルの中間のようなセミナーに通い始めて感じたこと | 生きづらい。それでも生きていく

    以前の記事でも書いているが、一昔前に流行った自己啓発系セミナーがダメだ。(「自分を変えたくても自己啓発セミナーには参加したくない」) 前に会社の方針で参加させられて人前で自分の考えを話すのも苦手な私には当に合わないなと感じた。 それが高じてセミナー全般に苦手意識がある。 全ての自己啓発セミナーがそうではないと思うし、自己啓発セミナーに偏見があることを自覚もしている。 それでも好きにはなれなくて、なるべくセミナー関連には関わらないようにしてきたが、人間関係でうまくいかないことが多くて、自分の中の禁を破って心理学とスピリチュアルの中間のようなセミナーに通い始めた。 セミナーの内容については、今は勉強している途中だが、自分の中で咀嚼できればこのブログに書くかもしれない。 具体的な内容については触れていないけれど、そのエッセンスは既に少しずつ書いていたりもする。 (もちろん参加者の個人的な事情に

    心理学とスピリチュアルの中間のようなセミナーに通い始めて感じたこと | 生きづらい。それでも生きていく
    koganeisyobou
    koganeisyobou 2015/12/18
    「一見何一つ悩みなんかないようなきらきら輝いている人が、笑顔の影に悩みや不安を抱えていたりする。」って、本当にそうなんでしょうね。
  • 子供の頃の幸せな思い出を思い出す | 生きづらい。それでも生きていく

    四葉のクローバーのモチーフが描かれたマグカップを使っている。 便箋や友達へのプレゼントも割とクローバー柄を選ぶことが多い。 四葉のクローバーは、幸運のシンボルとして知られていて、形も可愛らしいが、何故無意識にクローバーを選ぶのか、その理由を考えてみると、クローバーが子供時代の幸せな思い出に結び付いているからだと気づいた 子供の頃は、運動ができなくていじめられっこだったので、あまりいい思い出がない。 楽しい思い出がないわけではないのだが、嫌な思い出に浸されて、楽しかったと心から言える記憶が少ない。 子供時代に戻してあげると言われても、戻りたくないと答えるだろう。 そんな中でも、叔母と過ごした時間は、無条件に愛してもらったかけがえのない幸せな時間だった。 小学校の一、二年生くらいの頃だっただろう。 他県に住んでいた母の妹は、ときおり家を訪ねてきて、私を色々なところへ連れて行ってくれた。 私が

    子供の頃の幸せな思い出を思い出す | 生きづらい。それでも生きていく
    koganeisyobou
    koganeisyobou 2015/11/19
    幸せな思い出・・、いいですね。
  • 時には自分の価値観を主張しなくてはいけないときもある | 生きづらい。それでも生きていく

    人価値観は人によって違う。 人それぞれ多様な価値観が存在していることを皆頭ではわかっていると思うけれど、世の中には自分の価値観を絶対視している人がいて、その人の信じる価値観を押し付けられることがある。 「言われなくても常識で考えて」 「だってこれが正しいから」 「普通はそういう感じ方はしないんじゃない?」 その人の価値観の正当性を証明する為に、「普通」や「常識」や「正しい」といった言葉で、行動や考え方を断罪されるともやもやしてしまう。 そして始末に悪いのが、価値観を押し付けてくる人に悪気や悪意がないことも多いことだ。 もちろん悪意を持って人を支配しようとする人もいる。 けれど悪気なんかなくて、ただ自分の言っていることは正しくて間違いがないから、それを言うのが当然と思っている人に困惑してしまう。 多分価値観を押し付ける人は完璧主義で、正義感が強いのだ。 自分の考えは正しいから、周囲の人間にも

    時には自分の価値観を主張しなくてはいけないときもある | 生きづらい。それでも生きていく
    koganeisyobou
    koganeisyobou 2015/11/06
    (メモ: 「主張自体を理解して貰わなくていい。そのことに対して、何か思うところがあるんだと伝わればそれでいい。面倒くさそうだから触れないでおこうと思ってくれたなら、大成功だ。」
  • 生きづらい。それでも生きていく

    2024.3.27 私にはフリーランスは無理だった 2023.3.21そんなこんなで自死について考えてみた(投稿者/かずさ さん)2022.7.4 自罰的思考がいきすぎると苦しくなる2022.7.2 罰のように生きなくていい 2022.5.10 世人の支配から逃れて来性を取り戻す…ハイデガー『存在と時間』2021.11.7 共時性…偶然の一致に、他ならない自分が意味を見出すこと2021.10.24 私は欠陥品だなと思います(投稿者/まる さん) 2021.5.11 努力をしてきて幸せになれたはずなのに、今もつらい(投稿者/ありえる さん) 2021.5.5 4歳で生きるのを辞めました(投稿者/りょう さん) 2021.1.13 「余計な事を喋るな」という圧力でいっぱい(投稿者/pixy さん)2020.8.31 すべての人にOKの答えなんかない2020.5.12 このままどうなってしまう

  • 感情的に怒る人に対して、気の弱い人ができる身を守る簡単な方法 | 生きづらい。それでも生きていく

    感情的に怒る人に悩まされている人は多い。 波風を立てたり、事を大きくすることを好まない内気な人、内向的な人は、言い返すこともできずに、無防備に怒りの攻撃にさらされることになりがちだ。 以前「感情的に怒る上司に対して、気の弱い人ができる対処法」を書いたが、今回は、感情的に怒る人から最低限身を守る、ごく簡単な方法を教えてもらったのでシェアしたいと思う。 人はコミュニケーションをとるとき、言葉を使ったバーバルコミュニケーションと、言葉以外のコミュニケーション、ノンバーバルコミュニケーションの2種類を使っているとされる。 ウィキペディアを見ると、非言語的コミュニケーションとは、 「顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方…」 「身振り、姿勢、表情、視線に加え、服装や髪型、呼吸、声のトーンや声質など」 wikipedia『非言語コミュニケーション』より とある。

    感情的に怒る人に対して、気の弱い人ができる身を守る簡単な方法 | 生きづらい。それでも生きていく
    koganeisyobou
    koganeisyobou 2015/10/26
    これは実際に現実で役立ちそうな方法だと思いました。
  • はてなブックマークとブログを読む意味 | 生きづらい。それでも生きていく

    少し前までネットはただ読むだけのものだった。 小説を読んでそれが素晴らしく面白かったとしても、大抵の人は感想やファンレターを書き送ったりはしないだろう。 私もご多分に漏れずそういう考えで、ネットを書籍と同じように捉えていたから、紙の活字からネットのフォントに変わっても、書き手とのスタンスは変わらないままだった。どんなにお気に入りのブログがあって、コメント欄が設けられていたとしてもコメントを書いたこともなかったしトラバを飛ばしたこともない。 自分がブログを書くようになり、はてなというポータルサイトに出入りするようになって変化が起きた。 最初は、ブログを誰かに読んでもらう為に、検索エンジンのリンク集に登録するような軽い気持ちで使い始めたと思う。 はてなには、はてなブックマークというオンラインにブックマークを保存できるサービスがあって、ブックマークした記事にはコメントを残すことができる。 自分の

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