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  • 【信夫山(福島県福島市)】三山詣りのはじめに羽黒神社【大わらじ奉納とわらじ信仰】 - ものづくりとことだまの国

    前回ねこ稲荷を紹介した福島県福島市の #信夫山 山中には #出羽三山 のお社(分詞社)がそれぞれ鎮座しています。まずは #羽黒神社からお詣り。御殿そばの高さ10数メートルの #大わらじ が目を引きます(2023年10月参拝) 目次 信夫山(しのぶやま、福島県福島市)の羽黒神社 大わらじ。わらじ奉納の信仰 文 信夫山(しのぶやま、福島県福島市)の羽黒神社 信夫山 案内板 羽黒神社 詳しい御由緒は不明ですが、第33代推古女帝の飛鳥時代(628)にはすでに鎮座していたらしく、信夫山は、平安時代に天台宗を東北地方に拡大した慈覚大師が薬王寺を開きました(857) 信夫山 羽黒神社への参道入り口 御祭神:(伝)渟中倉太玉敷命(ぬなかくらふとたましきのみこと、第30代敏達天皇)(福島県神社明細帳、明治11年) 敏達天皇との後継争いに敗れた兄・沼中太尊(ぬなかふとのみこと、またの名を箭田珠勝大兄皇子、

    【信夫山(福島県福島市)】三山詣りのはじめに羽黒神社【大わらじ奉納とわらじ信仰】 - ものづくりとことだまの国
  • 【奈良殿神地、ならどののかみのにわ】下鴨神社の銅鐸【舩島、ふなしま】 - ものづくりとことだまの国

    京都 #下鴨神社(賀茂御祖神社、御祭神は玉依姫命・賀茂建角身命)。古代山背の弥生時代に賀茂の氏神として創建されました。出雲の #賀茂氏 の神器は #銅鐸。#糺の森 の祭祀場 #奈良殿神地(#舩島)で厳かに鳴らされていました 目次 奈良殿神地(ならどののかみのにわ)舩島(ふなしま) 下鴨神社の銅鐸 文 奈良殿神地(ならどののかみのにわ)舩島(ふなしま) 下鴨神社、糺の森(ただすのもり)を進むと、目が醒めるような朱い楼門。 下鴨神社 朱色の楼門 下鴨神社境内図に開物が書き込み 楼門手前の杜の中に、奈良殿神地(ならどののかみのにわ)舩島(ふなしま)があります。 船型の周囲を、糺の森の水の流れが取り囲んだ「シマ」になっていて、古い水の祭祀場らしい、神なびた雰囲気が漂っています。 奈良殿神地(ならどのかみのにわ)舩島(ふなしま) 周囲東西18m先、南北25m、高さ1.6mの小島である。島の東西を流

    【奈良殿神地、ならどののかみのにわ】下鴨神社の銅鐸【舩島、ふなしま】 - ものづくりとことだまの国
  • 東西に並ぶ「ひめさま=下照姫」のお社(Ⅰ)【比賣許曽神社/比売古曽神社】 - ものづくりとことだまの国

    大阪市内 #上町台地 周辺に「ひめこそ」の名の神社史跡が三か所。「こそ(許曽、古曽)」は尊称で、今風に言うと「ひめさま」になるでしょうか。いずれも出雲の #下照姫 を祀る社ということになります 目次 大阪市内「ひめこそ」の神社・史跡 高津宮境内の比売古曽神社(中央区高津) 産湯稲荷神社の比賣許曽神社跡(天王寺区小橋町) 比賣許曽神社(東成区東小橋) 大阪市内「ひめこそ」の神社・史跡 大阪市内の上町周辺には「ひめこそ」の名の神社史跡が三か所あります。 大阪市内の「ひめこそ」(比賣許曽・比売古曽)史跡・神社 ・高津宮(こうづのみや)境内の比売古曽神社(中央区高津、こうづ) ・産湯稲荷神社の比賣許曽神社跡碑(天王寺区小橋町、おばせちょう) ・比賣許曽神社(東成区東小橋、ひがしおばせ) 大阪市内の千日前通(せんにちまえどおり)に沿ってほぼ東西に並んでいます。 高津宮境内の比売古曽神社(中央区

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  • 【枚岡神社 河内おいしいもん市】暗峠(高天原?)のお米と境内に湧く聖なるお水【出雲井の常若の水】 - ものづくりとことだまの国

    枚岡神社(東大阪市出雲井)で #河内おいしいもん市 が開催されていたので、奥さんと一緒にお参り。#ラジオ焼き #高井田ラーメン をいただき、貴重な #暗峠米 をゲット #常若の水 #出雲井 #若宮神社 目次 枚岡神社 河内おいしいもん市(2024年9月29日) 暗峠米(くらがりとうげまい) 若宮神社 出雲井の「天つ水」 文 枚岡神社 河内おいしいもん市(2024年9月29日) 最寄りの近鉄枚岡駅周辺のほか、隣の瓢箪山周辺、さらには東大阪市内、河内一帯のグルメが集まる年に一度のイベント。 先日の早朝の参拝の時とは雰囲気も大違い、参道にはたくさんの人たち。 枚岡神社 河内おいしいもん市(2024年9月29日) ラジオ焼きはタコではなく、牛すじが入った粉もん。 明治大正期に流行り、当時ハイカラ(最新流行)だったラジオに因んでラジオ焼きと呼ばれ、実は昭和生まれのたこ焼きのご先祖だそうな(wiki

    【枚岡神社 河内おいしいもん市】暗峠(高天原?)のお米と境内に湧く聖なるお水【出雲井の常若の水】 - ものづくりとことだまの国
  • 【もうひとつの天孫降臨】中臣寿詞(なかとみのよごと)に秘められた古代史の暗号 - ものづくりとことだまの国

    新天皇の即位と大嘗祭で #中臣氏 が奏上した #中臣寿詞(なかとみのよごと)。記紀にもないもうひとつの #天孫降臨 譚。#天の二上(高天原)の皇親からもたらされた #天の水 の物語には #古代史の暗号 が散りばめられています 目次 中臣氏が唱える天孫降臨(てんそんこうりん) 中臣寿詞(なかとみのよごと*1) 枚岡神社 境内の若宮神社と出雲井 天の二上(あめのふたかみ) 大阪市内から「生駒の大鳥」中央は天照山(2024年9月11日) 中臣氏が唱える天孫降臨(てんそんこうりん) 中臣寿詞(なかとみのよごと)とは、古代、新天皇の即位式と即位後初の大嘗祭(だいじようさい、おおなめのまつり)で、中臣氏が奏上した称えことばで「天神寿詞(あまつかみのよごと/あまのかみのよごと)」ともいいます。 平安時代、近衛天皇の大嘗祭に記録されているのが最古ですが、藤原京の持統期、あるいは、それ以前から、その内

    【もうひとつの天孫降臨】中臣寿詞(なかとみのよごと)に秘められた古代史の暗号 - ものづくりとことだまの国
  • 【太陽の姫巫女の社(Ⅱ)】和珥(わに)の地の春日率川宮【卒川神社】 - ものづくりとことだまの国

    推古天皇が創建した #卒川神社(いさがわじんじゃ)は #欠史八代 のひとり 第9代 #開化天皇 の #春日率川宮(日書記)の最有力候補地。現在の奈良市北部、春日野一帯はふるくは#和珥(わに、和邇)と呼ばれ、宮では #三輪山祭祀 に代わる #御蓋山祭祀 が行われていたようです #ヒメヒコ 目次 第9代開化天皇の宮跡 開化天皇 春日率川坂上陵(宮内庁治定) 春日宮との東西ラインはヒメヒコのマツリゴトのこん跡 和珥(わに、和邇)と呼ばれた春日の地 文 第9代開化天皇の宮跡 記紀で系譜はあるものの、詳しい事績が書かれていない第2代綏靖天皇(すいぜい)から第9代開化天皇(かいか)までを 欠史八代 といいます(wiki) 率川神社(いさがわじんしゃ、奈良市子守町18、大神神社境外摂社) 第9代開化天皇(稚日根子彥大日々天皇、オオヒビ)は春日率川宮(日書紀、かすがのいざかわのみや、古事記では

    【太陽の姫巫女の社(Ⅱ)】和珥(わに)の地の春日率川宮【卒川神社】 - ものづくりとことだまの国
  • 【枚岡神社】藤原氏(中臣氏)の血脈の謎を辿る(Ⅱ)元春日の出雲井【若宮神社】 - ものづくりとことだまの国

    「元春日」と云われる #枚岡神社は東の #神津嶽 を遙拝します。#天忍雲根命(あめのおしくもね、中臣氏二代目)を祀る #若宮神社 御神域の #出雲井 は鎮座地の東大阪市出雲井の由来 #春日の暗号 #真名井 目次 枚岡神社(東大阪市出雲井) 若宮神社 出雲井 春日の暗号 文 【2021年 枚岡神社 参拝】 www.zero-position.com 枚岡神社(東大阪市出雲井) 西の大阪平野を見晴るかす生駒山麓の枚岡神社(ひらおかじんじゃ)。 近鉄奈良線 枚岡駅前からすぐ。向こうに大阪市内のビル群 創建は初代・神武天皇(神日磐余彦、かむやまといわれひこ)の即位三年前と伝えられます。 枚岡神社 中臣氏(藤原氏)の祖神・天児屋根命(あまのこやね)、二代目・天押雲年命(あまのおしくもね)に続く三代目・天種子命(あまのたねこのみこと)が創建したと御由緒に書かれています。 枚岡神社 御由緒 水源地の

    【枚岡神社】藤原氏(中臣氏)の血脈の謎を辿る(Ⅱ)元春日の出雲井【若宮神社】 - ものづくりとことだまの国
    kohanatoharu
    kohanatoharu 2024/09/22
    ヤブミョウガ、初めて知りました。白い花と濃い群青の実がきれいですね。
  • 【率川神社(Ⅱ)】参拝後、三輪明神に【三つ鳥居】をご教示いただく!? - ものづくりとことだまの国

    父母娘神を祀り子守明神として知られる #率川神社(いさがわじんじゃ)。奈良時代、藤原是公が #阿波 より #事代主神 を招いたのは、隠された御父神の鎮魂でしょうか。#玉櫛姫 #媛蹈鞴五十鈴媛命 #三つ鳥居 目次 率川神社(いさがわじんじゃ)子守明神【大神神社境外摂社】 境内摂社 率川阿波神社 大神神社・三つ鳥居が理解できた瞬間! 文 www.zero-position.com 率川神社(いさがわじんじゃ)子守明神【大神神社境外摂社】 当社の御殿は三殿横並びで、こちらから向かって 左殿に 狭井大神 (さいのおおかみ、御父神) 右殿に 玉櫛姫命 (たまくしひめ、御母神) 中殿に 媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ)が祀られています。 率川神社 御殿 先日「三輪のおだまきの糸」の回で紹介しましたが、御父神の狭井大神(さいのおおかみ)とは、大物主神(おおものぬし)であり事代主神(ことしろ

    【率川神社(Ⅱ)】参拝後、三輪明神に【三つ鳥居】をご教示いただく!? - ものづくりとことだまの国
  • 東西ラインに並ぶ春日大社本宮神社−猿沢池−率川神社【太陽の姫巫女の社(Ⅰ)】 - ものづくりとことだまの国

    春日大社の信仰の根源が #御蓋山(みかさやま)山頂の浮雲峰【宮】であることを紹介する中で、マップを眺めていて西の #猿沢池 #率川神社が東西ラインで並んでいることに気がつきました 目次 東西ライン上に並ぶ春日大社宮−猿沢池−率川神社(いさがわじんじゃ) 猿沢池は龍穴か? 率川神社(いさがわじんじゃ) 文 【前回】 www.zero-position.com 東西ライン上に並ぶ春日大社宮−猿沢池−率川神社(いさがわじんじゃ) 前回、春日大社の信仰の根源が御蓋山(みかさやま)山頂の浮雲峰【宮】であることを紹介する中で、 マップを睨んでいて、宮が 猿沢池(さるさわのいけ)、率川神社(いさがわじんじゃ)と東西のライン上に並んでいることに気がつきました。 座標値(緯度34度40分53秒)もピッタリ。 東西ライン上に並ぶ春日大社宮−猿沢池−率川神社(いさがわじんじゃ) 猿沢池は龍穴か?

    東西ラインに並ぶ春日大社本宮神社−猿沢池−率川神社【太陽の姫巫女の社(Ⅰ)】 - ものづくりとことだまの国
  • 【春日大社】藤原氏(中臣氏)の血脈の謎を辿る(Ⅰ)春日の暗号「浮雲」「押雲」【若宮神社】 - ものづくりとことだまの国

    お盆に #鎌足公 のお墓(阿武山古墳)に参拝して以来、藤原氏(中臣氏)の歴史をあらためてたどり始めています。#春日大社 の御祭神で藤原氏の祖神 #天児屋根命 の御子神 #天押雲根命 を祀る #若宮神社 へ 目次 春日大社 御間道(おあいみち) 春日大社 若宮神社 文 春日大社 神護景雲ニ年(768年)、藤原不比等の孫の永手が春日大社を創建したというのが通説ですが、 春日大社 幣殿と由緒書 この春日一帯は藤原氏の氏神が祀られていたところで、実際の創建(宮、御蓋山山頂の浮雲峰を遥拝する祭祀場)はそれ以前、間違いなく平城京(710年)以前であると個人的に考えています。 春日大社の祭祀の質は、御蓋山山頂の浮雲峰 を遥拝することであると考えるからです。 春日大社 境内図 真上の殿が並ぶ西側の奥に浮雲峰(御蓋山山頂の宮)遙拝所 御間道(おあいみち) 御蓋山の山頂に「浮雲」=創建の年号になった

    【春日大社】藤原氏(中臣氏)の血脈の謎を辿る(Ⅰ)春日の暗号「浮雲」「押雲」【若宮神社】 - ものづくりとことだまの国
  • 【古事記】美和の大物主の伝説(Ⅱ)おだまきの糸【記紀解読】 - ものづくりとことだまの国

    異名同神。同じ神なのに違う名前で伝承される。神社ではよくある話ですが古事記の#赤い矢の伝承 も #おだまきの糸の伝承 も主役の男女は同じであるのに違う名で書かれています。編者の #太安万侶 は私たちに何を伝えたかったのでしょうか 目次 三輪山伝説、オダマキの糸 おだまきの糸の主役二人は赤い矢の伝説と同じ 文 【前回】 www.zero-position.com 前回の続き(古事記、崇神天皇、三輪の大物主)。今回はNo3。 1. 疫病に悩む天皇の夢枕に大物主神があらわれて、オオタタネコが三輪山の祭主になるまでの話 2. オオタタネコが大物主を祖とする話 3. 大物主がイクタマヨリヒメと結ばれ妊娠した話(三輪山伝説、オダマキの糸) 三輪山伝説、オダマキの糸 古事記、崇神天皇、三輪の大物主より。 ・・・オホタタネコが神の子であるとわかったのは、イクタマヨリヒメは美しいお方でした。ある晩、姿形の

    【古事記】美和の大物主の伝説(Ⅱ)おだまきの糸【記紀解読】 - ものづくりとことだまの国
  • 【古事記】美和の大物主の伝説(Ⅰ)【記紀解読】 - ものづくりとことだまの国

    記紀の #古事記 崇神天皇(第10代)に #美和の大物主 の伝説が書かれています。#三輪山祭祀 と #神氏(みわうじ) #鴨氏(かもうじ) のはじまりのお話。#オオタタネコ(意富多多泥古)が語った賀茂の血脈と #出雲口伝 の系図を比較してみると興味深い歴史が見えてきます 目次 古事記「美和の大物主」 古事記で語られたオオタタネコの血脈(出雲口伝と比較) 二つの系図から見えてくる歴史 文 古事記「美和の大物主」 三輪山祭祀の始まりに関するお話が、古事記・崇神天皇(第10代)記に紹介されています。 神氏(みわうじ)・鴨氏(かもうじ、賀茂氏)の始まりと血脈に関するお話です(記事は1回目。1と2について) 1. 疫病に悩む天皇の夢枕に大物主神があらわれて、オオタタネコが三輪山の祭主になるまでの話 2. オオタタネコが大物主を祖とする話 3. 大物主がイクタマヨリヒメと結ばれ妊娠した話(三輪山伝

    【古事記】美和の大物主の伝説(Ⅰ)【記紀解読】 - ものづくりとことだまの国
  • 【春日大社】参道のシカたちのそれぞれの朝【藤原氏と藤の樹と鹿】 - ものづくりとことだまの国

    早朝の #奈良公園 。 #春日大社 参道の樹々の間から朝の光が射し込む時間、神の使いの #シカ たちはそれぞれが目覚めた場所でノンビリ。立派な雄ジカが #藤 の樹をバリバリべる様子を目撃 #御蓋山 目次 春日大社参道のシカたち 春日大社の創建 発見!藤の樹とシカの関係 文 春日大社参道のシカたち 朝イチの電車とバスを乗り継いで奈良公園へ。 春日大社の参道には東の御蓋山(みかさやま)の方から朝の強い光が差し込みます。 春日大社参道 この時間、鹿たちはそれぞれが目覚めた所で、ぼんやりしていたいようです。 写真を撮るのに近づくと、多少警戒されますが、逃げるようなことはしません。 アクビをしているのもいました シカがアクビをする時の声が聞こえるんですよ😀 春日大社の創建 春日大社のシカは神の使いとして創建時(768年、神護景雲二年)から大切に扱われて来ました。 春日大社 鳥居前 神鹿の像 御

    【春日大社】参道のシカたちのそれぞれの朝【藤原氏と藤の樹と鹿】 - ものづくりとことだまの国
    kohanatoharu
    kohanatoharu 2024/09/08
    人の近くに生活する野生の動物として鹿の外に猪・狸・狐などがいるのですが、鹿が神の使いと考えられた理由は何なんでしょうかね。ひょっとして、猪なども祀る対象になっていますか?
  • 【防災の日】にちなんで【京都大学阿武山地震観測所】見学ツアー【阿武山古墳】 - ものづくりとことだまの国

    今日は #防災の日。先日参加した #京都大学阿武山地震観測所 見学ツアー(要事前予約、無料)。地震学の歴史や地震のことなどを学んで来ました。10月13〜14日の特別イベント情報。#阿武山古墳(#藤原鎌足 公墓) 発見話も面白かったです 目次 阿武山地震防災サイエンスミュージアム(京大阿武山地震観測所) 観測所内見学ツアー(阿武山古墳 発見秘話) 秋の特別イベントのお知らせ 文 阿武山地震防災サイエンスミュージアム(京大阿武山地震観測所) (34.8620567, 135.5697837)/大阪府高槻市奈佐原944/①JR摂津富田駅。高槻市営バス<公団阿武山・日赤病院><大阪医科薬科大学>行きで「消防署前」下車。徒歩約30分(約2キロ、坂道)/駐車場あり(見学会の時以外は一般の立ち入りはできない) 【毎週土日の見学会は下記サイトより要予約】 www.npo-abuyama.org 阿武山中

    【防災の日】にちなんで【京都大学阿武山地震観測所】見学ツアー【阿武山古墳】 - ものづくりとことだまの国
    kohanatoharu
    kohanatoharu 2024/09/01
    昔、巨大なフーコーの振り子を見たことがあります。不思議な揺れ方は自転の影響でしたか。
  • 亡き後も国を見守る【藤原鎌足公】。日本古代史における【藤原氏(中臣氏)】とは? - ものづくりとことだまの国

    阿武山古墳が #藤原鎌足 公の墓と考える理由と #多武峰略記 の記述に反して改葬されなかった理由についても考察 #偽装作戦 から自身が亡き後も国を守ろうとした人物像が浮かび上がります #藤原氏とは #記紀解読 目次 阿武山からの眺望 鎌足公が葬られるべき所。阿武山 藤原氏(中臣氏)とは? 文 www.zero-position.com 阿武山からの眺望 先日、阿武山古墳のすぐ近く、山腹の地震防災サイエンスミュージアム(旧京大地阿武山震観測所)の施設見学に参加して来ました。 阿武山地震防災サイエンスミュージアム(旧京大阿武山地震観測所) 目印となる高い観測棟は、阿武山古墳からも見えます。 阿武山古墳から見える地震観測所の観測棟 大雨の翌朝の蒸し暑い日でしたが空気が澄んで、遠く瀬戸内海の淡路島を見ることができました。 阿武山から。六甲山系、淡路島。太陽の塔(吹田市) 大阪の中心部(大阪城、難

    亡き後も国を見守る【藤原鎌足公】。日本古代史における【藤原氏(中臣氏)】とは? - ものづくりとことだまの国
  • 【三島溝咋神社(Ⅳ)】「西の宮」から妻子を見守る父神【摂社 事代主神社】 - ものづくりとことだまの国

    三島 #溝咋神社 最終回。#日書紀、溝咋神社の御祭神伝承 #出雲伝承 は共通して父神を #事代主 としています(#古事記 は #大物主)。境内摂社 #事代主神社 は西側(西の宮?)から子が祀られる御殿を見守っています #八尋熊鰐 目次 鴨(賀茂、加茂)の祖神(おやがみ) (境内摂社)事代主神社 日書紀 八尋熊鰐(やひろわに) 古事記 大物主神(おおものぬしのかみ) 暗喩がヒントとなる隠された出雲 数々の異名を持つ事代主(コトシロヌシ) 文 www.zero-position.com 鴨(賀茂、加茂)の祖神(おやがみ) 前回記事の系図に父神と妹神の名を加えました。 溝咋神社HPと出雲伝承の系図は一致しています。 天日方奇日方(クシヒカタ)以降、鴨(賀茂、加茂)と呼ばれた系図は、事代主(出雲)と玉櫛姫(活玉依姫、三島)を祖神として始まります。 【溝咋ロイヤルファミリー】溝咋神社HPと

    【三島溝咋神社(Ⅳ)】「西の宮」から妻子を見守る父神【摂社 事代主神社】 - ものづくりとことだまの国
  • 【三島溝咋神社(Ⅲ)】葛城鴨の始まり【天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと)】 - ものづくりとことだまの国

    前回からの続き #溝咋神社 三回目。#媛蹈鞴五十鈴姫 の兄 #天日方奇日方(あめひかたくしひかた)は父亡き後、母妹らとミシマに帰り、葛城の山麓に移住し #葛城鴨 のクニを拓きます。#鴨都波神社 #下鴨社 #積羽八重事代主命 目次 ミジマのクニのロイヤルファミリー系図 天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと) 鴨(賀茂・加茂)の始まり。鴨都波神社 謎の父神(境内の事代主神社) 文 www.zero-position.com ミジマのクニのロイヤルファミリー系図 溝咋神社 案内板の御由緒 茨木市教育委員会の案内で家系図をつくってみました(妹神は後に紹介しますので参考までに) 姫巫女の母神と娘神を御祭神、祖父神・兄神は相殿神として祀られています。 なお「先祖にあたる」とされているスサノオについては出雲伝承は明確に否定していますので系図から外しています。 溝咋神社のロイヤルファミリー ww

    【三島溝咋神社(Ⅲ)】葛城鴨の始まり【天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと)】 - ものづくりとことだまの国
  • 【三島溝咋神社(Ⅱ)】媛蹈鞴五十鈴媛とは【謎の古代史考察の分水嶺】 - ものづくりとことだまの国

    三島(大阪府茨木市)#溝咋神社 の二回目。御祭神 #媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずのひめのみこと) #銅鐸 の名を持つ #姫巫女 は神武天皇皇后としてヤマト #出雲屋敷 に住み #三輪山 を遥拝する祭祀の祭主になりました 目次 娘神・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 三輪山の初代祭主(姫巫女、日女巫女) 謎の日古代史考察の分水嶺 文 www.zero-position.com 娘神・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 玉櫛姫(たまくしひめ、活玉依姫)の娘神。 日書紀に初代神武天皇(ヒコ)の皇后(ヒメ)となった記されている姫巫女。 古事記では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)または富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)。 たくさんの名前でヤヤコシイですが😅 日の謎の古代史を

    【三島溝咋神社(Ⅱ)】媛蹈鞴五十鈴媛とは【謎の古代史考察の分水嶺】 - ものづくりとことだまの国
  • 【三島溝咋神社(Ⅰ)】ヤマトに繋がる「ミシマのクニ」のロイヤルファミリー - ものづくりとことだまの国

    三島(大阪府茨木市)の #溝咋神社 は #溝咋玉櫛媛命(タマクシヒメ)と #媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)の母娘神が御祭神。相殿に祖父神(ミシマノミゾクイミミ)、兄神(アメヒカタクシヒカタ)を祀る最古級の神社 目次 溝咋神社(みぞくいじんじゃ) 祖父神・三島溝咋耳命(みしまみぞくいみみのみこと) 母神・溝咋玉櫛媛命(みぞくいたまくしひめのみこと) 文 溝咋神社(みぞくいじんじゃ) (34.81301940154068, 135.5886570941846)/大阪府茨木市五十鈴町9−21/【徒歩】阪急茨木市駅から東に徒歩30分【バス】阪急茨木市駅発、先鉾橋下車。南に徒歩5分 溝咋神社(大阪府茨木市五十鈴町) 御祭神:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと、娘神)、溝咋玉櫛媛命(みぞくいたまくしひめのみこと、母神) 溝咋神社 御由緒 安威川(あいがわ)の流れのすぐそば、溝咋

    【三島溝咋神社(Ⅰ)】ヤマトに繋がる「ミシマのクニ」のロイヤルファミリー - ものづくりとことだまの国
  • 【藤原氏】サクセスストーリー始まりの地【水紋様】に見る鎌足公の夢と憧憬 - ものづくりとことだまの国

    摂津国島下郡であった現在の #大阪府茨木市 には #春日神 を祀る神社が多く、その始まりは #藤原鎌足 公であり、平安時代には #摂関家 の領地でした。鎌足公の墓から出土した #水紋様の古代レンガ を考察 #中臣氏 #海人族 #阿武山古墳 目次 摂津国 島下郡 鎌足公の墓(阿武山古墳)が水紋の古代レンガで覆われていた理由 文 摂津国 島下郡 大宝律令(701年、大宝元年)で定められた摂津国島下郡(せっつのくにしましものこおり)は、現在の茨木市、摂津市、吹田市。 摂津国島下郡(せっつのくにしましものこおり) 平安時代の延喜式神名帳に、島下郡の十八座が式内社として記載されており、うち現在の茨木市には十二座が残っています。 茨木市の神社(茨木市立文化財資料館パネル) 茨木市立文化財資料館パネルの『摂関家領』とは平安時代の藤原家のことで、藤原家の氏神が春日神*1であることから、春日神社が多いと書

    【藤原氏】サクセスストーリー始まりの地【水紋様】に見る鎌足公の夢と憧憬 - ものづくりとことだまの国