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ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (8)

  • 「不適切にもほどがある!」を観ての感想 - 紙屋研究所

    ドラマ「不適切にもほどがある!」を娘が観ていて、家族で観るともなしに観ていた(最近このパターン多し。「光る君へ」もそうだ)。 www.youtube.com 昭和末期の体育教師・小川が令和にタイムスリップしてくるという設定のドラマで、初回を観た時、ぼくはバスでタバコを吸ってしまう小川にちょっと笑ってしまった。 しかし、前半はとかく「令和のポリコレの息苦しさ」という味付けで語られ、ドラマへの批判も少なくなかった。バックラッシュでは、という人もいた。 だが、最終回。令和の歴史的進歩に心身を浸らせ続けてきた小川が昭和に戻ってきたとき、小川が身体感覚として昭和の生き方に強い違和感を覚え、その昭和の抑圧性に反発し、厳しく批判する様は、観ていて爽快だった。 一種の快楽でさえあった。快哉を叫んだ、と言ってよい。 つまり、ぼくは小川よろしく、令和までの価値観に心身を浸らせ切っており、小川と同じような気持ち

    「不適切にもほどがある!」を観ての感想 - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2024/03/30
    よく比較される「いだてん」は決定権のある女性スタッフがいたので女性寄りの意見が尊重された。「ふてほど」は男性ばかりで結局「男は不適切なのが好き」なのかな?と。あとミュージカル2回やったらダサくない?
  • 今年度の中学英語が大変になっている可能性はないのか - 紙屋研究所

    中2の娘の定期テストの結果を見る。 英語の最下位クラス(0〜29点/100点満点)にかなりの人数がたまっている。他の教科と比べても段違いだ。1学期・2学期・3学期とこの傾向は変わらない。 グラフにしてみた。 この学校だけ、英語の授業が悪いのだろうか? そういう可能性もある。 しかし、今年から中学校の英語が変わった、と前に記事で書いた。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com そのエントリで紹介した、日経新聞2021年9月28日付の「受験考」欄記事「ついていけず悩む生徒」を一部引用する。 学校の授業の流れはまず英語の歌を歌い、英単語ビンゴをする。そしてチャット(2人1組で決まったフレーズを言い合うが、細かな発音指導などはしない)。さらに教科書文の音声を聞き、簡単な和訳を教師が言う。これで授業終了。 教科書文はおろか受動態や現在完了形といった文法の丁寧な解説はない。しか

    今年度の中学英語が大変になっている可能性はないのか - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2022/03/20
    中学校以降の英語教育が旧態依然のままで、小学校英語教育との連携が取れてない。で、中学英語教育者が意固地で自分たちの教育法を変えないもんだから更にめんどくさいことに。/以前から起こってたはずだよ。
  • スポーツの本質的暴力性とどうつきあうか - 紙屋研究所

    リモート読書会は、川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』を取り上げた。 このについてはすでに2005年に書評を書いている。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com 例えば写真は、今年11月28日付の西日新聞夕刊の記事であるが、柔道の1984年五輪における山下・ラシュワン戦を振り返り、怪我をしていた山下の「右足は狙わないと決めていた」とするラシュワンの言葉を載せ、「その高潔な精神は世界で評価され、国際フェアプレー賞を受賞した」とする。1面のほとんどを使って、相手の弱点を狙わないことを「フェアプレー」として称揚している。 西日新聞夕刊2020年11月28日付(6面) 川谷は、この山下・ラシュワン戦を冒頭に題材にとり、「相手の弱点を狙わないことはスポーツマンシップに悖るのか」という問いを立てている。 川谷は、勝敗の決着こそがスポーツの内在的目的であり、それがスポーツのエトスだと

    スポーツの本質的暴力性とどうつきあうか - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2020/12/30
    週刊誌少年ジャンプなんて「努力友情正義」という暴力性てんこ盛りだけどね。虚構と現実は違うと言われそうだ。
  • 『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所

    書いていたら長くなった。 先に要旨をまとめておく。 マンガ『この世界の片隅に』は前半が戦前・戦時の日常の描写、後半が主人公の心象であり「記憶」と「想像力」をめぐる物語である。他方、アニメ「この世界の片隅に」は、戦前・戦時の日常をそのまま再現・保存することにしぼられた作品であり、原作のもつ後半部分は後景に退いている。両者は別々の作品(別個の価値をもつ作品)である。 戦争小説戦争をめぐる創作(マンガ・アニメ・映画・ドラマ・演劇…)は手法と題材を選ぶことで、何かを強調し、何かを切り捨てるので、どんな作品であっても批判は呼び起こされる。多様な書き手が多様に描くことでしかこのジレンマは解決されないのではないか。 以下は、映画・原作のネタバレが含まれている。 「暗い」「つらいから読みたくない」と「楽しくて何度も読み返したくなる」 「女性のひろば」という雑誌(共産党発行)の2017年1月号に「『この世

    『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2016/12/12
    アニメ映画はリアリティを追求し過ぎて「怖い」と思うところがあった。例えば憲兵さんのシーンとか原作ではもっとコミカルだったよな?とか。それでも出来るだけ「こうの文代作品」をアニメ化してる、と思ったよ。
  • 文書にして出すということ - 紙屋研究所

    娘が保育園を卒園した。 0歳児から6年間預けた。子どもは一人しかいないので、おそらくこれで保育園とはおさらばだろう。 保護者会の会長を最後の1年間つとめた。 園の存続が大問題になり、ぼくとしてはこれに明け暮れた1年だった。いったい保育園が消えてなくなるかもしれない、という事態なのに、「保育の向上」を組織目的にかかげる保護者会が何もしなくてどうする、というのがぼくの思いだった。 今はまだ詳しく書けないが、かなりのことができたと思う。しかもそれはぼくにしかできないことでもあった。支えてくれる人がたくさんいて、心底うれしかった。 組織体としてもPTA的形骸化が進みつつあった中で、久しぶりに自主的な運動の息吹をとりもどしたと感じた。 この運動の中で感じたことは、「文書にして意思を示す」ということの大事さだった。特に、お役所との関係では、決定的である。 地域(地元の町内会のようなもの)に要請というか

    文書にして出すということ - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2014/03/22
  • 宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』 - 紙屋研究所

    ※ネタバレがありますので注意してください。 2011年12月5日付の「民医連新聞」のコーナー「この一冊を読んでみた」で宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』(祥伝社)を紹介した。 『うさぎドロップ』は、祖父の葬儀にいった30の独身男・ダイキチが、祖父の子であるというりんを引き取って育てる話である。6歳で引き取られたりんが高校生になってからのいわば「第二部」的な話が、5巻からはじまり、9巻で完結する。 「育ての親と結婚する」という結論への嫌悪 『うさぎドロップ』の結末が気持ち悪いというのがつれあいの感想である。つれあいは、このマンガについて常々この種の結論が出されることを「最悪」と評していた。なぜなら、りんが父親役であるダイキチのことを好きになってしまい、ダイキチも結局その気持ちを受け入れて結婚を約束してしまうからだ。 つれあいとの会話。 「りんは、一度家族をすべて失い、その後ダイキチに引き取られなが

    宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』 - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2011/12/18
    作者の示した結末ってのは、大体において作者自身の願望であったりするわけで。そしてそのある意味欲望であったり渇望ってのは、読者のそれと合致しなかったりするわけで。/例えば吉田基已の「恋風」とかね。
  • 再び、尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所

    『ONE PIECE』について書いたらSBMやコメントがどっときた。こ、これが炎上というやつですか。お前ら、ホント『ONE PIECE』好きなのなw このブログのコメントもSBMのコメントも、あとツイッターでのコメントもいろいろ見させてもらった。まあ、もうあんまし何度もエントリを重ねるつもりはないけど、もう1回だけ考えたことを書いておこうか。 「バトルマンガ」である以上、バトルをなぜスポーツとして描ききらないかという疑問 もともとぼくが海賊冒険のマンガ『ONE PIECE』に違和感をもったのは、このマンガの主要な側面を「戦闘(バトル)マンガ」だととらえたからだ。バトルとは勝敗という形での優劣の決定だから、質的にスポーツであり、スポーツである以上、勝つための努力があり、そうであれば科学的な努力というものが見せられて然るべきだという気持ちがぼくにはあったのだ。 言うまでもなくスポーツマンガと

    再び、尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2010/07/03
    いや、私、任侠漫画だからこそ好きなんですけどねワンピース。社会にのさばる悪を懲らしめる悪漢達に、格好良さを見出せなければ面白くないよね。/ここまでくると、個人的嗜好の領域だよなぁ。
  • 尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所

    『ONE PIECE』は言うまでもなく最も売れているマンガである。まわりに「何のマンガが好き?」と聞いてもたいていのやつは『ONE PIECE』と答える。 そもそもぼくは『ONE PIECE』と相性がよくない。人気マンガというので数年前に読み始めたのだが、途中で挫折した。はっきり言って全然面白くないからである。「それでもまあ人気マンガだから」と今回再度がんばったのだが、27巻でくじけた。 少年マンガの感性についていけなくなっただけか 少年マンガだからお前の感性がついてけなくなったのだろう、とお前ら言うつもりだろう。まあ半分くらいはそうなんだろうよ。でもなあ、『NARUTO』や『銀魂』はそれなりに楽しく読めるんだよ。『バクマン。』や『いぬまるだしっ』はかなり愉快に読める。なのに、『ONE PIECE』は……ちっとも面白くならないのである。ぼくにとって。 「50巻くらいまで読まんと真価はわから

    尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所
    kohgethu
    kohgethu 2010/06/29
    ルフィは、苦境に陥っている脇役キャラ達を助けるための手段であり力であり屁理屈であり、それら全ての漫画世界における御都合主義を体現したキャラなんで、それが大嫌いな人には受け入れ難いと思う。
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