慶応三年は10月に大政奉還があって、その翌月には江戸の新吉原で大事件が発生した。 吉原は遊里として知られた地域だ。はじめ吉原は日本橋地区に位置していたが、浅草地区に移転した。区別するため、歴史通は移転後を新吉原と呼ぶ。その新吉原へ数百人の歩兵が押し掛けて発砲沙汰にまで発展した大事件だ。 その様子は『嘉永明治年間録』巻16の該当箇所によると、事件が起きたのは11月13日のことだった。 ・幕府陸軍の歩兵たちが浅草あたりで「酒食を貪り横行」したので食物店は追々戸を閉めた ・その後、歩兵たちは新吉原に移り「不法有し故」何者かに喧嘩を売られ、大勢の袋叩きに遭って、「吉原土手所々に於て歩兵を十余人打殺し」という事態に至った。 新吉原は町奉行の手が及ばない地域だったから、手に余るほど暴れる客に対処するのは裏稼業の人々だ。すさまじい対処だが、用心棒たちにとっては平常業務の延長上のことともいえる。 ・袋叩き
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