ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (16)

  • 広瀬さんのこと - jun-jun1965の日記

    『広瀬雅弘著作集』一巻が刊行された。私家版だが箱入りのである。 広瀬さんは阪大時代の先輩同僚で、いちばん信頼していた人だ。2004年春、脳腫瘍で52歳で亡くなってしまった。阪大を辞めてからもつきあいは続いていたが、その二年ほど前から、目がかすむ、と言って困っていた。それが脳腫瘍だと分かって手術した時にはもう手遅れだったようで、急逝してしまった。 それで同僚たちが論文を集めて著作集を出したのだ。 いま同書に附された年譜を見ると、 1952年、富山県生れ 1971年、富山高校卒業 1973年、東大文科三類入学 とあるから、二浪したのだ。見かけによらず、不器用な人だった。 1977年、文学部第三類卒業 とある。四年で卒業しているが、英文科卒となっていない。この書き方は、卒論を書かずに卒業する時のものだ。 それから東芝に就職して、78年7月まで在職とある。そして79年四月、大学院英文学専攻に入学

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    kokada_jnet 2015/05/07
    『広瀬雅弘著作集』一巻が刊行された。私家版だが箱入りの本である。
  • 『東大助手物語』人物対照表 - jun-jun1965の日記

    中島義道の『東大助手物語』は何だか売れているようだが、内容は『孤独について』(文春新書)に書いたことに、と実家の軋轢などを入れ込んだもので、目新しいのは東大から帝京技術科学大学へ移る時の騒動くらいである。なお人物一部仮名なので、小説扱いかと思ったが、そうではないらしい。人名は、苗字の一字を共通にする通例である。人物対照表を掲げておく。 ・糟谷教授ー谷嶋喬四郎 ・尾高学科長ー長尾龍一 ・塚教授ー城塚登 ・上野原助教授ー折原浩 ・高槻ー高幣秀知 ・卜部・文学部教授ー坂部恵 ・法政大の窪田教授ー浜田義文 ・山形大の平沼ー平田俊博 ・東北学院大の芦川ー石川文康 ・法政大の倉島ー長倉誠一 ・法政大の野呂ー牧野英二 ・上智大の橋ー大橋容一郎 - http://homepage3.nifty.com/fujikawa/a024.html なにが「ギッチョンチョン」だよ、俺は夜這いがなかったなんて言

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  • 「役不足」両用説 - jun-jun1965の日記

    水上勉『飢餓海峡』(1963)を読んでいたら、「役不足」の誤用を見つけた。新潮文庫版下巻126pで「力不足」の意味で使われている。 (活字化のため削除) - 『ガラスの仮面』の月影千草は、山安英がモデルだと言われる。つまり「紅天女」は「夕鶴」である。しかし、「紅天女」の作者尾崎一蓮は千種よりずっと年上で、自殺している。対して木下順二は、まあ確かに山の「愛人」ではあったが、山より年下で、山より長く生きている。となると、これは『女の一生』の作者で、早世した森薫と、その愛人でこれを演じ続けた杉村春子、とも言える。あるいは自殺したという点からは加藤道夫、とも言える。そうなると『なよたけ』になるわけで、まあそんな風にいろいろ綯い交ぜにしているということだろう。ただ残念ながら『なよたけ』は、一女優によるロングラン、にはならなかった。 杉村は『女の一生』を平淑恵に譲ったが続かなかった。森繁久弥

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    kokada_jnet 2014/04/04
    『ガラスの仮面』の月影千草は、山本安英がモデルだと言われる。つまり「紅天女」は「夕鶴」である。
  • 有島武郎情死事件(波多野春房は烏峰なり) - jun-jun1965の日記

    これは『文學界』2003年4月号に載せた「昭和恋愛思想史」の第一回の一部なのだが、『恋愛の昭和史』にする際、割愛したものだ。その後、波多野春房の正体が波多野烏峰だと分かったので、参考のため載せておく。あとでウェブサイトに移動予定。 作家・有島武郎の心中事件が起きたのは、その二年後、大正十二年である。を亡くした有島は、『婦人公論』記者の波多野秋子と恋仲になり、その六月九日、軽井沢の別荘で縊死心中を遂げ、一月たった七月七日早朝、発見されたのである。実はこの事件については、概略を記したのみで先へ進もうと思っていたのだが、調べてみると細部に曖昧な点、人によって解釈の違う点があるので、特に新資料があるわけではないが、少し詳しく述べてみたい。新聞の第一報は七月八日、相手の女性が波多野秋子であることが報じられたのは翌日である。秋子は三十歳(当時の記録なので数え年)、丸之内日連合火災保険協会書記長、当

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  • 「現代文学論争」補遺2 - jun-jun1965の日記

    『忠臣蔵とは何か』論争と丸谷才一 丸谷才一(一九二五− )は、三島由紀夫や梅原猛と同年である。東大英文科の大学院を出て、國學院大学の教授をしており、作家として独立したのは四十を過ぎてからのことだ。若いころ、篠田一士らと同人誌『秩序』をやっており、一九五二年からそこに長編『エホバの顔を避けて』(のち中公文庫)を連載したのが、デビュー作ということになるがこれが単行として刊行されたのは六〇年のことである。その間、もっぱら、グレアム・グリーンやジェローム・K・ジェローム、また英文科の後輩で、のち東大教授になる高松雄一(一九二九− )らとともに、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を翻訳したことで、次第に名を知られていった。六二年に「彼方へ」を『文藝』に載せて文藝誌にデビューし、六六年に書き下ろし長編『笹まくら』を刊行し、好評を得て、河出文化賞を受賞した。 丸谷は、日の私小説批判で知られる批評家

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  • 「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記

    「現代文学論争」のために書いたのだが、分量の関係で割愛したものである。未完。 福田和也という謎 福田和也(一九六〇− )は、江藤淳、柄谷行人の衣鉢を継ぐ文藝評論家とされ、慶応義塾大学環境情報学部教授である。これまでいくつかの論争を行ってきたが、むしろ福田自身が、謎めいた人物、論争的な人物だと言っていいだろう。 福田は慶大仏文科の大学院に在籍して、修士課程で追い出され、実家の仕事を手伝いながら、フランスが一九四〇年にドイツに降伏したあとの、ナチス協力作家たち(コラボラトゥール)を論じた『奇妙な廃墟』(国書刊行会、のちちくま学芸文庫)を一九八九年に刊行した。福田は、このにはほとんど反響がなくがっかりしたと語っているが、実際には江藤淳がこれに目をつけ、翌九〇年七月号の『諸君!』に「遥かなる日ルネサンス」を「大型新人登場」という見出しとともに載せ、論壇デビューした。これは隔月で四回連載され、同

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    kokada_jnet 2010/11/10
    福田和也という謎
  • 途中で帰った上岡龍太郎 - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20100415/p1 なんかトラックバックがあったので見てみたが、『探偵!ナイトスクープ』の「心霊事件」は、もし私が観たものだとすると、ここに書かれているのとはちょっと違う。 これは、部屋に女の幽霊が出る、という医学部学生からの依頼で小枝が出かけたのだが、当然のごとくこの学生は精神を病んでいて、何もいないのに「ほら、女の人の幽霊が出ました」などと言い、小枝はオチをつけるために除霊師を読んでお祓いをした。上岡は、こういう除霊師のようなものを頼むことが、こいつらに市民権を与えることになってしまうのだ、と怒り、これ、ディレクター誰? と激しく怒りつつ、それは三つあるナイトスクープの二つ目のVだったのだが、そこで帰ってしまったのである。 公開番組だから、その後どうなるのかと思っていたら、誰もいなくなった夜のスタジオという設定で、小枝と北野

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  • 絲山秋子・豊崎由美に答える - jun-jun1965の日記

    オタどんに教えられて、書店へ行ったら、まだ先月3月号の『の雑誌』があったので、絲山秋子+豊崎由美の対談を読んだら、おお私の名前が出てくる。 絲山氏が、私がアマゾンのレビューで石川淳の『紫苑物語』に「誹謗中傷」めいたことを書いている、と口火を切っている。引用はないのだが、こういうものだ。 石川淳のどこが面白いのだろうか, 2009/1/28 石川淳は、フランス語、漢文ができてすごいが、それだけで、小説は面白くない、と言われて久しい。この「紫苑物語」を私は高校時代に読んで、こういう小説なら書けるかもと思ったが、要するに高校生の空想程度のものでしかないということだ。それでも石川淳が消えずに残っているのは不思議だが、もしかすると高校生が読んでいるのだろうか。大人の読みものとはとうてい言えない。非リアリズムも結構、泉鏡花くらいになれば見事なものだが、石川淳というのは非リアリズムのダメなほうの例とし

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  • 筒井康隆『ロートレック荘事件』など - jun-jun1965の日記

    『ロートレック荘事件』のアマゾンレビューで、今まで読んだ中でいちばん面白かった推理小説、と書いたら、kokada jnetさんから、あれは叙述トリックで先行作が、と言われた。確かに私も、あまり絶賛されることがないし、推理もの好きからしたら、どうってことはないのかな、と思っていたので、どういう先行作が、と訊いたら、横溝正史『夜歩く』、高木彬光『能面殺人事件』などを挙げられたが、いやそうじゃなくて、筒井より凄いのはあるのか、と訊いたら、昨年死んだ中町信のを挙げられてこれは読んでいないから今度読む。しかし海外にはないのであろうか。『アクロイド殺人事件』は、何度も言うがこれを読んで怒りのあまり十年間推理ものを読まなくなった作であって論外である。 ツイッターでは「自分」なんて書き間違えているが、日最初の叙述トリックは谷崎先生の「私」という短編である。もっとも、「ルパンの逮捕」はこれより前である。

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  • 誰が何と言おうと『逝きし世の面影』は愚書である - jun-jun1965の日記

    図書館へ新聞を見に行ったら、読売、日経、東京の三紙が、渡辺京二の『黒船前夜』をとりあげていた。 渡辺京二といえば、あの愚書『逝きし世の面影』で、これはそれに続く大著だという。私は『逝きし世…』がもろに「江戸幻想」であり、史料の扱いも杜撰で中身は間違っていると論じ、論文の抜き刷りも渡辺に送ったが梨のつぶてである。これは『なぜ悪人を殺してはいけないのか』に収めた。 しかしこのを礼賛する人は跡を絶たない。読売は、三ページある書評欄の一頁目で、半分近くを使って黒岩比佐子、日経は田中優子、東京は平川祐弘である。『黒船前夜』について言えば、私は間宮林蔵伝も書いているからだいたい知っている個所だが、別に新史料はなく、ただ先行研究をまとめて叙述しただけのである。田中の書評は、さすがに、普通に論じているだけ。平川は、『逝きし世…』に批判があることに触れつつ、そういう批判は科学的と称して実はイズムを背負

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  • 童門冬二・驚異の文筆術 - jun-jun1965の日記

    だいたい直江兼続を主人公にするなら、南原幹雄か童門冬二の原作があるだろうに、なんでまたと思いつつ、童門冬二(1927- )について調べていて驚嘆した。童門は元都庁職員で、今年82歳、55歳過ぎてから厖大な量の著作を書き始め、主として歴史人物もので、一時期は成美堂から『親鸞 歴史と史蹟をたずねて』のような「歴史と史蹟」シリーズを出していたが、ほかに「歴史人物に学ぶ経営術」みたいなビジネス書を量産、単行は学陽書房人物文庫や成美文庫、集英社文庫やPHP文庫に入り、また別の文庫で出るということをくり返し(これは量産作家にはよくあること)、『春の波濤』以後は、大河ドラマにあわせてきっちり2,3冊は関連書を出し、1997年からは、日放送出版協会、即ちNHK出版から関連書を出すようになっている。 ・大政奉還 徳川慶喜の二〇〇〇日 1997 ・真説・赤穂事件 →元禄繚乱 1998 ・徳川三代諜報戦 →

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  • 大河ドラマに革命が起きた - jun-jun1965の日記

    うーんまた坂龍馬かよと思っていたら驚いた。『坂の上の雲』もそうだったが、NHKに何が起きたのか。この20年「江戸ブーム」で、それ以前の、厳しい身分制社会、貧農史観は過剰に見直されてしまって、インテリでさえ「お江戸でござる」的にみんな明るく楽しく生きていたみたいな江戸幻想を抱いている人がおり、大河ドラマもその例に漏れず、お姫さまが下級武士デートしたり、家臣のが信長の前へしゃしゃり出たりとえらいことになっていたが、ガラリ変わって、下級武士の貧しく汚い生活をきちんと再現しているではないか。これだこれだ、これが当の徳川時代だ、俺が言いたかったのはこれなんだ、これで「江戸幻想」も吹き飛ぶぜと随喜したぜよ。 上士が下士を切り捨て御免でお咎めなしなんて、ありえないと思うが、シナリオは手だれだ。あるいは、たいてい大河ドラマに出てくる女はみなきれいきれいなお化粧をしていたのが、あの寺島しのぶの砥粉で

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  • 幻の序文 - jun-jun1965の日記

    『翻訳家列伝101』の「明治・大正期の翻訳家」の序文は、書いておいたものがゲラにならず、私も書いたことを忘れて新たに書いてしまったので、残っていた。重複するがもったいないから掲げておく。 第一章 明治期の翻訳家たち 幕末から明治初期にかけての、日の指導的人物たちの、西洋文明の良いところを取り入れようという努力は、感動的である。ペリーの黒船来航の際に、異人排斥でいきり立っていた者たちが、いざ実地に西洋を見て回り、現在の日の国力ではとうていこれに太刀打ちできないとたちまちに悟り、攘夷を捨ててそれらの文明を取り入れるべく動き始めるのが、実に迅速である。 ところで、明治前期の知識人たちの英語力は非常に高い。福沢諭吉なども、蘭学をやっていたが、横浜が開港されると、今や英語が世界語であることに気づいてすぐに英語をやり始める。明治維新後に近代的な学校が作られると、西洋人を教師として招き、「お雇い外国

    幻の序文 - jun-jun1965の日記
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    kokada_jnet 2009/12/20
    『翻訳家列伝101』の「明治・大正期の翻訳家」の序文
  • 中島ギドーの小説を読む - jun-jun1965の日記

    中島ギドーの、角川『の旅人』に連載された『ウィーン家族』が単行になったので入手、読み始めたらえらく読みにくい。それに、冒頭で語られる、ウィーンでがベランダから飛び降りて大怪我をした事件は『続・ウィーン愛憎』(中公新書)に書いてあって、ほぼそれと文章も同じである。 ギドーは文学については素人だから小説の書き方が分かっていないようで、余計な情景描写で読みにくくしているのと、結局はいつものエッセイを、登場人物を変名にして書いているようなものだ(まあ、俺の小説も人によってはそうなんだろうが)。 それに、1998年のこの事故に、いきなり結婚した時のことが混じってくるからむやみと読みにくいのである。そこで時系列に直すと、 1977年 31歳 東大哲学科修士課程修了。 1979年 33歳 予備校教師をしていたが、ウィーンに私費留学 1980年 34歳 七人の女からいっぺんに求愛・求婚されるが、なぜ

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  • 二人の竹田出雲 - jun-jun1965の日記

    「竹田出雲」は、少なくとも二人いる。初代と二代目である。初代は『菅原伝授手習鑑』の作者筆頭、二代目は『義経千桜』『仮名手忠臣蔵』の作者筆頭である。ただ、実際に作者の中核にいたのは、並木千柳(のち宗輔)、三好松洛である。 以前、橋治が『考える人』に浄瑠璃の話を連載していた時、二人の竹田出雲を一人だと勘違いしているのに気づいて、編集者に伝言を頼んだ。しかし、今回また連載が始まったのを見ていると「近松門左衛門と近松半二の間に竹田出雲がいる」とあって、やっぱり一人だと思っているようなのだ。しかも、門左衛門と半二の間、といっても、一般的には宗輔を挙げるものだが・・・。 - さて、妹尾好信『王朝和歌・日記文学試論』(新典社、2003)に入っている「『蜻蛉日記』と『更級日記』の執筆契機考」(初出1989)を見てきた。しかし骨子はもちろん今西が書いているのと同じで、『蜻蛉日記』は兼家への恨み言を述べ

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    kokada_jnet 2009/04/06
    『砂の器』の監督は、市川崑ではなく、野村芳太郎です。
  • 昭和30年代へ行け樋口康彦 - jun-jun1965の日記

    樋口康彦『崖っぷち高齢独身者−30代・40代結婚活動入門』(光文社新書)というのを先日からぼちぼち読んでいる。著者は1965年生、関西大学および大学院出、専門は教育社会心理学、おそらく数年前から、富山国際大学専任講師。五年前から、お見合いパーティーや結婚相談所で約300万円の金をかけて結婚相手を探したが成婚には至っていない。書はその自己ルポと、著者がひねり出した教訓を書いたものである。 だいたい、関西大学の大学院へ行くなどというのがかなり危険な行為である。関西では二流かもしれないが、全国的には三流大学で、そんなところで大学院へ進むのは、半ば人生を捨てたようなものだ。ただ樋口の場合、1980年代、バブル経済期のことなので、一概には責められない。 しかし樋口は身長170cm、体重59kg、顔もそうまずくない。酒も煙草もギャンブルもやらないという。 ところが、読んでいくと、どうもこの方の考え

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