前回の記事の末尾にも書いたが、「マネジメント・テクノロジー」という言葉を発案して、わたしに教えてくれたのは、今秋惜しくも亡くなられた勤務先の同僚、故・秋山聡氏である。秋山さんは、この語を《マネテク》と縮めて、『まねてくニュース』なるメールマガジンとデータベースを、社内に発信し続け、多くの愛読者を持っておられた。 秋山さんは高専を卒業後、大学の工学部に編入して修士号を得た、バリバリの理系教育を受けた人だった。日揮に入社後、海外プロジェクト・マネジメント部門で活躍されたが、ある時期より、ライン業務から一切手を引き、PM業務の標準化を中心としたスタッフ的役割に専念するようになった。プロマネ経験者こそが最大の出世コース、と思われているエンジニアリング業界にあって、これは随分と勇気のある処世だったと思う。 日揮においては「プロジェクト・マネジメント技術部」という部門が、一種のPMO的な機能を担ってき