【国策について】いずれも戦争協力した過去を教団の過ちと認識しているが、ほとんどの教団が国策や軍部の圧力について言及している。戦争協力については、当時は仕方がなかったという意見も多いが、自ら進んで協力したという指摘もある[16]。国策の影響は事実かもしれないが、反省の弁にしては責任転嫁や被害者意識がうかがわれる。 【アジアの人々について】アジア諸国の人々に対しては、1995年の村山談話でも「植民地支配と侵略」の被害者として謝罪がなされた。被害者としての認識が広く共有されており、教団の交流相手として意識されているためか、ほとんどの教団が犠牲者として言及している。仏教教団では「懺悔」が多いため謝罪対象が明確ではなく、懺悔以上に踏み込んで謝罪した教団は、曹洞宗と日本基督教団のみである。また、教団が直接の加害者として宣撫工作したなどの表明は、曹洞宗のみである。ただし、曹洞宗の歴史認識は後日に揺らいで