新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で死去した志村けん。熱心な音楽ファンとして知られる彼は、お笑いを通して日本のお茶の間にファンキーなソウルミュージックを届けていた。この記事では志村のお笑いについて音楽的に分析し、彼がなぜソウルミュージックと共振したのかなどを紐解いていく。 文 / imdkm イラスト / Terry Johnson 志村と音楽の関係2020年3月29日、志村けんが亡くなった。ザ・ドリフターズのメンバーとして、1人のコメディアンとして、長らく人気を博してきた志村の訃報は世間に大きな動揺を引き起こした。メディアやSNSでは、志村の業績を(その功罪両面から)振り返る声が上がった。 中でも改めて注目を集めたのは、志村と音楽の関係である。これはすでに多くの場で語り草になってきたトピックでもあって、輪島裕介「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」(NHK出版新書、2015年)や
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