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ブックマーク / hejihogu.hatenadiary.org (30)

  • 能力を分類しながら、自分に足りない部分を考える - 北の大地から送る物欲日記

    「さまざまな能力。自分がほしい能力は? - かみんぐあうとっ」を読んで。 自分の能力なんてものは、それが得意だったからか、好きだからか、欲しかったからか、必要だったからか、きっかけはいろいろあれども、自分が何かしら行動して手に入れるもの。中には気づいたら手に入ってた、なんてのもありますが。 自分がやりたいことに必要な能力は何か?足りてない能力は何か?ってことを意識するのは、自分の目標に向かって進む時に大事なこと。 参照記事では、そんないろいろな能力を思い付くままに書き連ねられていて、その数94。ずらーっと一列に並んでます。 こういうのを見ると、どうしてもなんか整理したくなってしまう、ってので、keynoteにそれぞれの能力を書き込みながら整理してみました。 やり方は単純で、 挙げられている能力をひとつずつテキストボックスで書き込む。 既に置かれている別の能力と比べて、近いものは寄せたり並べ

    能力を分類しながら、自分に足りない部分を考える - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2012/01/07
    トラックバックありがとうございます!わかりやすい分類だと思います。私は思いついて書き並べただけなので恥ずかしいです><
  • 進化を堪能し続けているゲームとネットを振り返ってみる - 北の大地から送る物欲日記

    「「昔のインターネットは面白かった」 - 琥珀色の戯言」を読んで。 何事においても、一番ドキドキワクワクするのはそれが目覚ましい勢いで進化していく時。今の30〜40代くらいの人々だと、ゲームやネットなんかが凄まじい勢いで進化していくのを直に体験した世代。 ゲームの場合 子供の頃のゲーム体験はゲームウォッチ辺り(30年ちょっと前)からでしょうか。 その後、ファミコン、セガマークIII辺りを友達の家に集まってやるのに続いて8ビットPCなんてのが流行ってました。NEC富士通、SHARP辺りが御三家か。画面を描写するのに線画描いて〜、色塗って〜なんてのを待つアドベンチャーゲームはその頃の話。(25〜30年前) そして、当時は最新技術を使ったゲームをプレイしたければゲームセンターへ!という時代。セガ、ナムコ、タイトー、カプコンなどなど色んなメーカーの最新鋭のゲームをプレイしに、自転車こぎこぎ小一時

    進化を堪能し続けているゲームとネットを振り返ってみる - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2011/12/02
    hejihoguさんの安定感のある文章好きです。
  • ブログをやっていて良かったこと - 北の大地から送る物欲日記

    「今週のお題は「ブログをやっていて良かったこと」です - はてなダイアリー日記」を読んで。 「週刊はてな」で連載してるらしい「今週のお題」、今回のテーマが「ブログをやっていて良かったこと」ってことで、つらつらと書いてみます。 いつからブログを書き始めたか ブログというのはウェブログの略で、時系列で出来事などをログ形式で書き残すスタイルのサイトの事を言いますが、日だと日記スタイルで更新されるホームページが海外でのブログブームの前から流行っていました。 形式的には、ブログとほとんど変わらない日記形式なホームページ、昔は無料ブログサービスみたいなものは無かったし、ブログツールみたいな便利なツールも無かったので、HTMLを手打ちで更新していくスタイルで、日記形式のホームページを始めたのが1998年の5月くらいだったかと。 最初は当時使っていたプロバイダDTI上で公開していましたが、2003年くら

    ブログをやっていて良かったこと - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2009/03/03
  • ネットに何を書いて、何を書かないかという話 - 北の大地から送る物欲日記

    ネットという世界中に向けて個人が自由に低コストで発言できる場ができてまだ十数年。 法に触れること(相手に訴えられるレベルの誹謗中傷、犯罪を助長する恐れのある情報など)以外なら、自分の書きたいことを自由に書けばいいんですが、じゃあ一体どんなことを書くのか、またどんなことは書かない方がいいのか。その辺、なかなか判断が付かないこともあると思うので、私が考えてる発言内容とそれを書くことについての話を。 ネットで書く情報の種類とそれに対してのリターン予想 自分の好きなモノ、趣味、話題 好きなことを書くのはネットに何かを書くときに一番無難で安全なジャンルと言えます。自分の好きなことを書いてるうちに、それを見にやってきた同じ物が好きな人と知り合って同好の士を見つけられるかもしれません。ただし、好きなモノを語るときに比較対象で別なモノを貶める書き方をしてると、そこからいざこざになることもあるので注意。 自

    ネットに何を書いて、何を書かないかという話 - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2009/02/15
  • ニュースサイトにリンクされる頃には、過去ログの彼方な時も - 北の大地から送る物欲日記

    「ニュースサイトにリンクされたら、そのあとの記事が実は大事。 - かみんぐあうとっ」を読んで。 ブログの場合、ニュースサイトにリンクされたあとの次の記事が実は大事なんですよね。 ニュースサイトにリンクされたら、そのあとの記事が実は大事。 - もっこもこっ ニュースサイトにリンクされて、普段よりたくさんの人がブログを読みに来てくれたあとの次の記事が大事って話、感覚的に分からなくもないのですが、ちょっと違うのかな?と思ってます。 自分がニュースサイト経由で記事を見に行ったときの行動 自分がニュースサイトで紹介されている記事に興味を持って見に行った先で取る行動を考えてみると・・・、リンクされてたお目当ての記事を読んだ後、「ああ、これはいい記事だった」と思ったら、次の記事ではなく、その作者のプロフィールやブログでおすすめしてる記事、またははてブでそのブログの人気エントリなんかを見ることが多いのです

    ニュースサイトにリンクされる頃には、過去ログの彼方な時も - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2009/02/14
  • 気に入ったブログは滅多に見つからないから求めて彷徨う - 北の大地から送る物欲日記

    「ブログ。ブログを見にいくきっかけ。 - かみんぐあうとっ」を読んで。 巡回先に入っていない誰かのブログを読みに行くのって、まだ行ったことのない美味しいラーメン屋を新しく開拓する、みたいな感覚にも似ていて、いろんなきっかけからいろんな人のブログを辿って読む。 ウェブ上のどこか(ブログやニュースサイト、Twitterなど)で見つけた紹介リンクからふらっと訪れることもあれば、自分に対しての何らかのアクション(コメント、トラックバック、Twitterのフォローなど)を起こしてくれた人がどんな人かを知るのにその人のブログやサイトを辿って見に行ったり。 「ウェブ上にはつまらない記事しかない、ホントくだらねえ・・・」と、はかなんでいる暇があったら、一つでも多くの記事を読んで「お!」と思えるものを発見したいと思うから、暇さえ見ればあちこち見たことないブログやサイトを彷徨う日々。 そんな風に見てても、RS

    気に入ったブログは滅多に見つからないから求めて彷徨う - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2009/02/14
    「まだ行ったことのない美味しいラーメン屋を新しく開拓する、みたいな感覚」←そうそうそんな感じです!
  • あなたに見えているネットはあなたの姿を映してる - 北の大地から送る物欲日記

    web上でのコミュニケーションって、どこかしら鏡を相手にしてるようなものなのではないだろうか? 周りに罵詈雑言まき散らす人は周りからも同じ罵声を浴びるし、他人に敬意を払わない人はやはり敬意をもって扱われない。何かを発信し続ける人の所にはそれに関する情報が集まってくる、などなど。 hejihogu on Twitter: "web上でのコミュニケーションって、どこかしら鏡を相手にしてるようなものなのではないだろうか? 周りに罵詈雑言まき散らす人は周りからも同じ罵声を浴びるし、他人に敬意を払わない人はやはり敬意をもって扱われない。何かを発信し続ける人の所にはそれに関する情報が集まってくる、などなど。" ネットに限った話ではなく、日常生活一般などもそうなのだろうけど、自分が周りに接している態度、行動なんかは、それが廻り回って自分に返って来てることが多い。 引用したtwitter発言中に書いた「周

    あなたに見えているネットはあなたの姿を映してる - 北の大地から送る物欲日記
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    komoko-i 2009/02/03
  • このエントリを書いたのは誰だッ!? - 北の大地から送る物欲日記

    「ブログは料理。サイレントマジョリティと海原雄山。 - かみんぐあうとっ」 「ブログ主は料理人 - タケルンバ卿日記」を読んで。 同じ題材やテーマを元にしながらも、書く人によって全然違うエントリが出来上がってくる、確かにブログのエントリってのは料理人が作る料理みたいな物なのかも知れません。 エントリを書く度に「ドスドスドスドスこのエントリを書いたのは誰だッ!?」的に海原雄山がやって来ても困ってしまいますがw、自分の書いた物に対して何か反応を返してくれる人が現れて欲しいってのはブログを書いている多くの人の思うであろうところ。 アクセス数が多くても、それはそのエントリを開いたってだけのことであって、もしかしたら最初の一行で閉じられてるかもしれない。書いたものは、最後まで読んでもらって反応が欲しい。だから、単なるアクセス以上の意味を持つリアクション(はてブ、はてスタ、コメント、トラバなどなど)は

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    komoko-i
    komoko-i 2008/12/02
  • ブログを読んでもらうためには - 北の大地から送る物欲日記

    「ブログ。長文を書くとき気をつけたいこと。 - かみんぐあうとっ」を読んで。 文章を読む場所ってのはいろいろあって、新聞、書籍など紙媒体に書かれたもの、PCならブログやいろんなサイト、また携帯電話でもブログやサイトなどがあります。 紙媒体では比較的見通しがいいことや、文章を書くときのフォーマットがきっちり決まっていて読みやすく作られていることなどから、長文でも苦労せず読めますが、これがPC上ともなると結構長文を読むのは大変です。まして、携帯電話などになると長文はまずありえません。携帯小説を紙媒体に書き起こすと、ものすごい短文ばかりになってスカスカになりますが、あれは携帯電話で読むためにはあれくらいの量が最適だということで特化されている文章なのでしょう。 ブログにおける長文 PCで読むブログということで考えると、ブログというのは作者の思い通りのデザインやフォーマットを選択することができるので

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    komoko-i 2008/11/17
  • 可視化された興味で繋がってるのが見えるのが楽しい - 北の大地から送る物欲日記

    「いつも読んでいるブログの人にはてブされると、嬉しいよねっていう話 - 海ノ藻屑」を読んで。 自分が書いた記事を誰かがはてなブックマークなどのソーシャルブックマークサービスでブックマークしてくれるというのは、誰にブックマークされようと何らかの興味を持ってもらえたという意味で嬉しい。(思う存分貶されてる場合などはこの限りじゃないけど) よくはてスタをもらう人とか、はてブしてもらう人ってのは、自然とアカウントやファビコンを覚えるし。他人と区別する意味でファビコン(id名と一緒に表示される小さなアイコン)を設定しておくというのは、結構大事だったりする。 そして、そのブックマークしてる人が、自分が日頃観測してる(よく見ている)ブログの作者だったり、気になる活動をしている人だったりするとなお嬉しい。自分の側からだけ見てた片思い的な状況が両思いにでもなったかの様な感覚。 実際には一つ二つの記事をブック

    可視化された興味で繋がってるのが見えるのが楽しい - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2008/09/20
  • ネットの人と会うことのパターン - 北の大地から送る物欲日記

    「ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない」を読んで。 ネットで知った人とリアルで出会うことについての話題。 「友達になりたい」と「あの人を見てみたい」の違い 関連する話題をいくつも眺めてて思ったのが、ネットで知った人とリアルで会うことってのは「友達になりたい」、「あの人を見てみたい」という二つのパターンに分けられるということ。 「友達になりたい」ってのは、ネット上で何かを発信している人を見て、その人と交流を持ちたい、よしんば友達になりたいと思う心境。 「あの人を見てみたい」ってのは、ネット上の有名人がどんな人なのかを一度見てみたいってのや、芸能人とファンみたいな関係をネットで知った人(芸能人)と自分(ファン)の間で考える場合。 このパターン分けに大きく関係してそうなのが、その人がネットをどう捉えているかという意識。ネットをリアルの一部、もしくは延長線上として捉えている

    ネットの人と会うことのパターン - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2008/09/16
  • 月間数万PVくらいのブログはこんな風に書いているよって所を語ってみた - 北の大地から送る物欲日記

    昨日書いた「月間数万PVだけどブログでアクセスを集める秘訣を語ってみた - 北の大地から送る物欲日記」の続きっぽいのを。 元記事が優れてたのと、元々この手のアクセス話は知りたがる人が多いので、たった一晩でかなりの数のアクセスや反応が得られた記事でしたが、あれは「私が実践しているアクセスを集める秘訣」ってのとはちょっと違うんです。 約5年ほどで、数カ所、数千記事分のブログを自分で書いたり、その何倍もの量の他人のブログを読んできた経験から、こうしたらアクセス増えやすいだろうな、と思ったところを綴ったのがあの記事。だから、「あの記事に書いてることを実践したら月数万PVになったよ!」ってのではありません。 アクセス数に関わる大きな要素としてもうちょっとだけ追加しておくと、一番大きいのは「取り上げる話題のジャンル」。あるジャンルの話題を好んで読む人の数ってのはある程度決まっていますから、ここは自分の

    月間数万PVくらいのブログはこんな風に書いているよって所を語ってみた - 北の大地から送る物欲日記
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    komoko-i 2008/09/08
  • 消費の速度が上がった先にあるもの - 北の大地から送る物欲日記

    「www.さとなお.com(さなメモ): ぼくたちは何だかあっという間に消費しちゃうね」を読んで。 世の中に流れる情報量が爆発的に増えて、人々がもう右から左へと流す様に情報を消費していくことしかできなくなった今、確かにほんのちょっと前のことでもずいぶんと昔のことに感じられるようになった。 今や、ネットでの個人による情報発信のメインとなったブログも、次から次へと時系列で情報を発信できるから、どんどん更新される新しい情報に押しのけられて、少し前のこともあっという間に過去となってしまう。 こうして、浴びるように大量の情報に晒されている我々だが、人が認識して処理できる情報量なんてたかが知れている。溢れんばかりの情報を見て、もう何が自分に必要な情報か判断できなくなり、ただ流されるがままになってしまう人、自ら考えることを辞めてしまう人、何か確かな物が欲しくて人との繋がりを求める人、好きな情報だけ集めて

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    komoko-i
    komoko-i 2008/09/08
  • 文章の長さの極意 - 北の大地から送る物欲日記

    「長文ブログは嫌われる?ほどよい文章量とは? - かみんぐあうとっ」を読んで。 ブログにおける文章の長さの話。 ほどよい文章量ってのは、存在してるようで実は存在していない幻みたいなものかと。 読む人によって快適に読める文章の長さ(の限界)は違うし、文章で取り上げられている話題への興味によって、同じ量でも長く感じる場合もあれば短く感じることもある。長い文章なのに、つるるっと素麺をすするがごとく自然に読ませてしまうものもあれば、たいしたことの無い長さなのにどうにも読み進まない文章もある。 長文なのに読み疲れしない、読ませてしまう文章ってどんなものなんだろう? 読んでる人を思わず引き込んでしまう巧みなネタや言い回し? よどみなく筋が通っていて、すっと読める展開? 当は長い文章なのだけれど、読んだ後にそれを忘れさせるような驚きの展開や結末? そば打ちの名人の話で「その日の天候や温度、湿度によって

    文章の長さの極意 - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2008/09/05
  • Webほどホームレスから抜け出すのがたやすい場所は無い - 北の大地から送る物欲日記

    「webホームレスという人種」を読んで。 web上で有名な人がTwitterにたくさんいるというのを知り、その輪に加わろうとした人の話。 噂どおり、twitterには名の知れたはてなーがたくさんいた。 好きな同人作家とかもいたし、ニュースサイトの管理人もいた。 興奮は留まる事を知らず、とにかくフォローだフォローだ!と息を荒げたわけだよ。 独り言だぞ。著名な人の独り言が聞けて、あまつさえなんか良く分からないけど、 その輪みたいなものに、サイトも何も持ってない俺が入れるんだ!!!! 確かにTwitter上を見てると、Web上でいろんな活動(ブログやニュースサイトをやってる人、動画やイラストなんかを作る人など)をしてる人がいっぱいいる。Twitterってのはそういう人達がつぶやく発言を自由に見られる場。 ただ、輪って言ってしまうとちょっと誤解があるような気がする。発言を自由に見る事はできるけど、

    Webほどホームレスから抜け出すのがたやすい場所は無い - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2008/07/29
    まずははじめてみること。 行動を起こすことだと思う。
  • Twitter廃人の夜は更ける - 北の大地から送る物欲日記

    Twitter廃人の朝は早い - 北の大地から送る物欲日記」が好評だったので、続きをば。 息子は、父親の仕事のことでいじめにあい、二人とも家出した。 たった一人残ったも、二年前に他界した。 「今はもうこいつだけですよ」 どこか寂しげに笑いながら、彼は膝の上のネコを抱いてみせた。 Twitterでメンテの度に現れるネコたちを見てるうちにネコを飼うことを決めたそう。 「つぶやき・・・つぶやきをね・・・伝えたい」 彼は入力の最中、そうつぶやいた、その小さなつぶやきこそ 現代の日に失われつつあるものではないか。 「自動返信なら早いし簡単なんだけど、やっぱり感触が違うんだよね」 そう言いながら、タイムラインを流れる大勢のフォロワー達の挨拶への返信をつける。 地元新聞でも取り上げられ、最近は企業の社内交流の一環としてもにわかに注目され始めている。 最近では、近所の子供にも使ってもらおうと、Twi

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    komoko-i
    komoko-i 2008/07/12
  • 本とウェブが融合する未来 - 北の大地から送る物欲日記

    「ところてん - 日記/2008年07月02日/ハチロク世代がやらなくてはならないこと」を読んで。 ハチロクより前の世代の勉強のためのツールはであった。 は過去の失敗を蓄積し、ナレッジベースとして高い価値を持っている。 ハチロクよりも前の世代では、インターネットに載っていない情報があることは知っており、勉強をしたいと思ったらを読む。 インターネットは補助的に使い、学習のメインはを使って行う。 今までの膨大な量の情報が残されているという媒体。そして、たった10〜20年ほどの間に恐るべきスピードで情報の蓄積が行われてきたウェブ。今後も情報の蓄積は進んでいくのだろうが、とウェブの両方が共存する時代は今後も数十年の間は続くはず。 の良さ まとまった知識を得られる 持ち運びしやすい 読むための装置を必要としない ウェブの良さ 情報の更新、修正などが容易 低コストで多くの人が読める 双方

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    komoko-i
    komoko-i 2008/07/02
  • ネットの使い方で大きな差がでるこれからの時代 - 北の大地から送る物欲日記

    「Life is beautiful: 自分で考える前にググっていませんか?」を読んで。 何か問題を与えられたときに、その答えをネットの向こう側に期待しググってこようとすることへの危機感の話。 ほんの十数年前には一般の人が何かを知ろうとしたら、誰か人に聞くか、図書館などでを調べるか、実際に自分で体験したり調査したりするかしかなかったのが、今ではネットでちょっと検索するだけで世の中のたいていのことを知ることができるようになった。 人が自分の頭の中に蓄えられる知識には限界があるが、ネットに蓄えられた知識を検索によって引き出すと言う手段は、さまざまな知識に人が到達できるようにしてくれる魔法の辞典のようなものなのかもしれない。 自分がかしこくなったと勘違いしてしまう危険 でも、勘違いしてはいけないのは、ネットの登場によってあなたの頭の中の知識が増えたり、一昔前よりぐんとかしこくなったという訳では

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    komoko-i
    komoko-i 2008/06/21
  • 北海道と食べ物と聞いたらだまってられない - 北の大地から送る物欲日記

    北海道民が味覚障害者だらけなんだが:VIPPERな俺」(白い戯言経由)を読んで。 北海道で生まれ、北海道で育ち、ちょこっと東京に出て、また北海道に戻って来た私向けな記事だなあw 書かれてることに反応してみる。 >>1 >焼いたもちにはバターをつけてべる ええ?聞いたことないべ方だなあ。北海道っていやあバターってイメージはありそうだけどもw >茶碗蒸の中に入れるのは銀杏ではなく栗で、茶碗蒸自体もひどく甘い あるあるw 道外で栗入ってない茶碗蒸しべるとなんかがっかりするよ。 >ペヤング焼きそばが売ってない 焼きそばって言ったら焼きそば弁当だろう!!(という道民の声)。ペヤングもべたことあるけど、やっぱ焼きそば弁当だなあ。麺を戻すお湯でスープを作るってのは偉大な発明だ。 >節分には大豆ではなく落花生をまく あるあるw 大豆より落花生の方がうまいじゃん!(そんな理由かよ) 落花生は殻に包

    北海道と食べ物と聞いたらだまってられない - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2008/06/18
  • 書きたいから書く - 北の大地から送る物欲日記

    「不特定多数に送るメッセージのむなしさと期待 - インターネットの真の姿とは」を読んで。 一方で、不確かではありますが、多くの人に伝わっているかもしれない、という漠然とした期待もまた同時にあるわけですよ。この期待感をおおく持てる人が、Webで不特定多数に情報や意見を発信する人なのかなあと、私は思っています。自分の書いたことを見てうれしく思っているかも、ひょっとしたら反応してくれるかも、もしかしたら自分に何かしてくれるかも・・・そんな若干夢見がちな期待を持てる人が、どんどん発信を行う。 確かに、自分が何かを書くことでそれが多くの人に伝わるかもしれない、という思いもあるのですが、何故ホームページやブログなどを書かずにいられないか?って言われたら、「書かずにはいられないから」ってのが一番先に思い浮かびます。 「好きだから好き」「欲しいから買う」みたいな問答無用な理由。 読まれることに関する期待と

    書きたいから書く - 北の大地から送る物欲日記
    komoko-i
    komoko-i 2008/06/16