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ブックマーク / anemone.dodgson.org (5)

  • 無印のプログラマという夢 - steps to phantasien

    単なる「プログラマ」でありたいと願っていたが、その夢が破れつつあると感じる。今の自分はモバイル・プログラマである。今から他のものになるのはだいぶ大変。 気のせいかもしれないが、世の中からも単なる「プログラマ」は姿を消しつつあるように見える。だいたいもうちょっと限定がついている。Frontend engineer, backend engineer, SRE, data scientist とか、いわゆるインターネット企業の中だけでもこれだけある。自分が学生だった 15-20 年前にこうした細分化はなかった気がする。もちろんゲームとエンタープライズのような業種の壁はあったけれど、それ以上は細分化していなかったような。 自分の視野が狭かっただけで、昔からそれなりに色々あった可能性はある。逆に、自分と同年代の知り合いにもたとえばガラケー向け組み込みから現代的なモバイル、ウェブ、今はクラウドバック

    koogawa
    koogawa 2020/01/12
    無印のプログラマというファンタジー
  • 嫌いなものに美点を見出す - steps to phantasien

    自分は Twitter や Facebook などのソーシャルメディアが好きではないが、これらが発明した良いアイデアには目を向けたほうが良いと最近は心を改めた。 Twitter の良さ: 文章は可能なら短い方が良いと示したこと。そして短い文章を映えさせるためにコンテンツ体以外の装飾を取り払ったこと。 Twitter 以前は、文章は長い方がエラかった。これは単純化しすぎた主張だが、長い文章を書いたり読んだりする方が偉い風潮は少なくとも一部にはあった。今やオンラインでそういう立場を取る人はマイノリティになった。これは Twitter だけの功績ではないかもしれないけれど、果たした役割は大きいと思う。 長い文章はしばしば読むよりも書くほうがラクなので、短い文章は書き手の負担が大きい。コンテンツが希少な時代は書き手に権威があったので長文を書き散らすことができたが、コンテンツ過剰な現代は書き手がエ

    koogawa
    koogawa 2020/01/12
    “自分は Twitter や Facebook などのソーシャルメディアが好きではないが、これらが発明した良いアイデアには目を向けたほうが良いと最近は心を改めた” 面白い
  • プログラミング言語の習熟 - steps to phantasien

    C++ を書いていると、数年のブランクがあるにもかかわらず妙な安心感がある。自分は間違っていない、というと語弊があるが、自分の間違っている程度を自分はわかっている、というような。コードの質もなんとなく高い気がする。 仕事Android アプリの Java を書いているときはそこまでの confidence を感じない。そこそこだろうとは感じている。 Python とか JS を書いていると、我ながらこのコードはダメだなと思う。しかしどう良くしていいか検討もつかない。似たような話を前に書いた気がする。 最近のモダンメインストリーム言語、すなわち Go, Swift, Rust, TS とか全然使えない。Kotlin は Better Java として使っている範囲ではそこそこだと思いつつ、Kotlin を活かしている感じはない。 自分は学生時代、 C++ の習得に莫大な時間を費やした。学

    koogawa
    koogawa 2020/01/12
  • 技術書への不満という濡れ衣 - steps to phantasien

    最近はプログラマ向けの技術書を読んでもムカついたりがっかりしたりばかりで、読みたい技術書を探すにも良い技術書評家はいないし、もうプログラマ向け技術書というジャンルは終わってしまったのだろうか。それはなぜか。 ・・・というような不満をもっていたが、考えているうちにこれは概ね濡れ衣に思えてきた。端的にいうと、一線を退いた元おたくが「最近のアニメ(などの得意だったおたく分野)はつまらん」というのと同じ現象が自分に起きているだけな気がする。 キャリアの停滞 まずマンネリ化。自分はキャリア初期のたくさん学ぶことのある時期は終わってしまった。これは雇用という点では良いことだが、学びのあるに出会う確率を下げてはいる。多くの人が「これは必要」と思う話題ほどたくさんのが書かれる。中身はどれも似通ってくる。新しい読者が必要なものに出会う確率はあがるが、必要なものを読み終えた読者は同じものの繰り返し、すなわ

    koogawa
    koogawa 2020/01/11
  • 丁寧に書かない練習 - steps to phantasien

    自分は丁寧に(大げさに)コードを書きすぎる傾向があって、それは premature-optimization であったり over-engineering であったりしてよくない。でもガっとでかい関数を書いたりクラスを定義せず tuple で済ませたりする脳の負荷が苦手で、大げさに書く方に逃げてしまう。結果として見通しの悪いコードができあがることが多々ある。 逆の傾向を持つ人もいるだろう。雑に書きすぎて、いわゆる「汚いコード」になってしまう。世の中的にはこっちが多いことになっているけれど、自分は大げさサイドなので正直そうなる人の気分はわからない。 そのバランスは最終的にはリファクタリングして正せばいい、というのはその通りなのだけれども、自分の傾向を把握して意識的に初期値を決めてやるのも自分のバイアスを治していく上では必要に思える。大げさに書く傾向のある人は意識的に雑に書き、逆もしかり。 あ

    koogawa
    koogawa 2018/01/05
    “ガっとでかい関数を書いたりクラスを定義せず tuple で済ませたりする脳の負荷が苦手で、大げさに書く方に逃げてしまう”
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