北海道の実家に行くたび、帰路は無理をしてでも、鉄道を使ってきた。家から歩いて3分のところに札幌行きの特急バスの停留所もあったけれど、徒歩やタクシーで駅まで行き、1日に数本しかないディーゼル車に乗って帰路につくのである。 父の職場は駅。その駅の隣にあった粗末な鉄道官舎で生まれた。当時の駅舎は、すっかり姿を変えたが、跨線橋やホームは60年以上前のままだ。駅の裏手は雑草だらけになってしまったものの、往時の炭鉱の面影を残すズリ山が残っている。 父は徒歩で1分もかからない職場からでさえ真っすぐに帰宅したことはなかった。親不孝通りと呼ばれる飲み屋街を大きく迂回(うかい)して帰っては、すぐに夫婦のいさかいが始まる。そんな家は官舎に一軒二軒の話ではなく、どこかで夫婦けんかが始まるとすぐに怒号は響き渡って、それを聞いたおばさんたちが家を訪ねてきて「今日はうちでご飯食べようね」と、子どもの手を引いて自宅に連れ