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ブックマーク / a-n-other.hatenablog.com (15)

  • なんでもRSSで手に入ると思ったら大間違いだ - 他人の脳内

    RSSなどのフィードに記事の全文を含めなかったり、そもそもRSSを提供しなかったりすると、どこからともなくハンドアックスが飛んでくる昨今ではある。確かに、RSSリーダーを常用している人にとっては、その方が格段に便利だし都合がいいからだ。僕だって職場では使っている。 でも天邪鬼な僕は、そんなふうにRSSを要求する声に触れるたびに、「なんでもRSSで手に入ると思ったら大間違いだ!」と思ってしまう。なんというか、「RSS原理主義」とでも言うべき、ある種の驕りを感じてしまう。全てのウェブ参加者がRSSリーダー利用者の都合に合わせる必要なんてない。もっと言うと、ウェブサイトの作者には「RSSを提供しない権利」さえあるはずだ。たとえば、表現の一環として、RSSリーダーという便利な乗り物から降りて、ハイパーリンクをクリックすることを読者に要求するとか。あるいはもっと悪意に走って、「RSS厨」へのいやがら

    なんでもRSSで手に入ると思ったら大間違いだ - 他人の脳内
  • 他人の脳内 - 2007年5月9日水曜

    FizzBuzzの応用を思いついたので記す。 #!/bin/perl use strict; use warnings; sub score($) { my $n = shift; my $score = 0; $score+=2 if $n% 5==0; $score++ if $n%10==0; $score+=5 if $n%11==0; return $score || 1; } for (1..104) { printf "%3d %s\n", $_, '*' x score($_); } メモリの一バイトが血の一滴ではなくなった現在、コードゴルフの能力は、残念ながら実務ではあまり必要とされない。時代は可読性。 「ソシュールのいわゆる能化と所化だ」というダジャレを思いついたけど、たぶんid:nandさんにしか通じない。 というか、いまこのダジャレを言ってから気がついたが、あの「能

    他人の脳内 - 2007年5月9日水曜
  • 我ながらいやったらしいことを言ってるかも - 他人の脳内

    自分が「損」をする方にお釣りを訂正させることを、僕はわりかし平気でやる。いや、僕に言わせればそれは「損」なのではなく、店員が間違えることによって得られる「利得」自体、元から存在しないものである。しかし、そんな訂正をわざわざする人はありえないと考える人は、どうやら世間には少なくないらしい。

    我ながらいやったらしいことを言ってるかも - 他人の脳内
  • 判断できません(2) - 他人の脳内

    前記事の結論はなんか自分でもヘタレっぽいなーと思っていたら、見事にシロクマ先生につっこまれてしまったので返答します。 ベタなんです まず最初に断っておきますが、前記事の主張はメタで言っているのではなく、そちらのコメント欄でumetenさんによるフォローが入っている通り、ベタに分からないと言ったつもりでした。しかも、「手動実行」に困難を感じているどころか、そもそも手動実行のためのソースコードさえ持ち合わせていない。別の比喩を使うならば、地図を持ち合わせていない、というのが偽らざる実感です。 「行動しろ」 シロクマさんのおっしゃることを一言で要約するなら「行動しろ」になると思います。これは全くもって正論ですし、これを前にしては僕が何を言っても詭弁になってしまいます。冒頭で「ヘタレっぽいなー」と記したのはそういう意識の表れです。 でも、地図くらい欲しいじゃないですか しかし、「行動」するにしたっ

    判断できません(2) - 他人の脳内
  • bloog-ranking - 他人の脳内

    bloog-ranking」をキーワード化したらユーザーからの怨嗟の声が続々捕捉できるかと思って立ててみたんだけど、どうしたものか、言及数の伸びははかばかしくない。不幸にもbloog-rankingにロックオンされてしまったはてなユーザーはあまりに少数なのだろうか? このままでは、スタッフから無視され続けてしまうかもしれないではないか。個々の怒りはあまりに強いのに! なお、彼らの悪行については、keyword:bloog-rankingの解説文およびb:t:bloog-rankingを参照せよ。

    bloog-ranking - 他人の脳内
  • ■ - 他人の脳内

    昨日は(も?)、会社の飲み→帰宅後即就寝で、はてなできなかった。今日もそうなるかもしれない。

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  • 悪態と馴れ合いのトレードオフ - 他人の脳内

    著者が好き放題悪口を言う自由を優先させるために、非友好的な態度を貫くブログというものがある。悪口がエンタテインメントとして完成されているものから誰が読んでも不快になるものまで、芸の達者さはピンキリだが。 しかし、そのような非友好的態度によって、ブロガー人が重要だと感じている「悪口の自由」の代価より、そのブロガーが他のブロガーと出会う機会を勝手に失っていることで生じている損失の方が、遥かに大きく思えてしまうケースがある。特に、そのブロガーが芸達者な人だった場合には、もったいなさもひとしおだ。そんな人を、数年昔の僕なら「一匹狼カッコイイ!」と捉えていただろうが、今の僕は「可哀想な偏屈者」としか思わなくなっている。まあ、人の勝手なんだけどね。

    悪態と馴れ合いのトレードオフ - 他人の脳内
  • viet - 他人の脳内

    google:ヴィエトナム→80200 google:ヴェトナム→10200000 google:ビエトナム→10 google:ベトナム→10600000 google:ソヴィエト→265000 google:ソヴェト→32300 google:ソビエト→1420000 google:ソベト→194

    viet - 他人の脳内
  • 引き裂かれつつある実存 - 他人の脳内

    はてなで皆さんに見せているanotherという人格と、職場での人格とが、このところ深刻な矛盾を見せ始めているので、ちょっと悩んでいる。 はてなでの僕は、見ての通り、一応ITな職業に就いているくらいの情報はリークしながらも、それでも技術的なことにはそれほど興味を示さないようにしているし(anotherとしては)、しかもはてな政治(笑)の場にあっては、技術云々よりユーザーを大切にする方が先決、という側の意見に与しているし、場合によっては技術畑な人々の心証を害するような発言だって辞さない。 ところが、職場での僕は、まさにその技術畑であるばかりか、「Web2.0でアジャイルな開発を!」みたいなスローガンが気で飛び交う場所に居合わせてたりする。 そうなると、例えば、今anotherとしてオフ会に出ているくらいの積極さで、その種の技術系のカンファレンスとかに積極的に参加した方が、絶対にスキルアップ

    引き裂かれつつある実存 - 他人の脳内
  • 技術者としての適性がないかも - 他人の脳内

    例えばこのサイトの(一定以上の分量のある)記事を書くにあたって、僕はいつも、 エディタにテキストを書く ブラウザで自分のサイトを呼び出す 「編集」あるいは「日記を書く」ボタンを押して編集画面にする コピー&ペーストによって、エディタから編集画面のテキストエリアに原稿を貼りつける 「この内容を登録する」ボタンを押す という作業を毎回律儀に行っているのだが、一説によると、こういう作業を自動化/効率化しよう*1という考えがまるで起きない人は、Larry Wallの言う短気の徳や怠惰の徳を欠いており、立派なハッカーとは到底言えないらしいのだ。困ったね。 *1:例えば、はてなダイアリーライターを使うとか、それに相当するツールを自分で開発してみるとか。

    技術者としての適性がないかも - 他人の脳内
  • かわいそうなことを言ってますね、この人は - 他人の脳内

    僕にとってネット活動とは、内面的なひねくれを解消して、堂々とひなたを歩ける人間に、なるとは言わないでも近づくためのリハビリテーション。あるいは、リアルタイムでやり損ねた青春を、無理矢理やり直す試み。でも、そもそも、そう思う人がはてなを選ぶべきじゃなかった?

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  • ネットが対面コミュニケーションに及ぼす悪影響二題 - 他人の脳内

    会話の遂行に不都合が出る ネットにおける意思伝達の方法は、圧倒的に文字を介して行われる。Podcastingなどもあるとはいえ、それは例外に留まっている。文字情報を読解する速度は各読者の裁量に任せられ、難解な部分は何度読み返してもいいし、文脈が紛れたら、一時的に数段落前に戻っても構わない。だから、文章によるコミュニケーションに慣れてしまうと、必要最低限以外の文脈を平気で忘れるように脳細胞が再結線されてしまう。しかし口頭言語では自分の勝手で巻き戻しをするわけにはいかず、聞き手は、話し手の発話速度につきあいつつ、話し手の述べたコンテキストをひととおりバッファに残しておくというオーバーヘッドを迫られる。故に、文章言語に慣れ過ぎると、最悪の場合、会議やミーティングを遂行する能力に支障が出てしまう可能性がある。 後出しジャンケンをやってしまう ネットは時間を縮めると同時に伸ばしてもいる。ネットがなけ

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  • 松永さんに関する雑感 - 他人の脳内

    人間の連続性ということについて考えてしまう。つまり突き詰めると、昨日のおまえと今日のおまえは同一人物なのか、ってこと。人間は成長して変わることができる。 「ネットにおける輪廻転生」とか「ネット前世の宿業を持ち出すのは是か非か」とかちょっと考えてみたけど、まとまらなさそう。ていうか、ちょっと不謹慎かも。 当に有名になってしまうと、人格のリセットをさせてもらえないみたい。 でも、僕にとって彼は彼以外の何者でもない。 ジェームズ・アレンのおかげで一般人の世界に戻ってこれたのかな。と邪推。 彼が2chを異様に憎んでいるのは、そういう絡みもあってのこと? 「抜けて身の潔白を証明すべき」って言うの簡単すぎ。ああいう団体を正式に抜けるのって、とても面倒くさいんじゃないだろうか。それだったら、むしろだんまりを決め込んでしまうという選択肢はありうると思う。下手に動くとかえって刺客を送り込まれたりとかありそ

    松永さんに関する雑感 - 他人の脳内
  • 自分であるということ - 他人の脳内

    ある時期から、「○○さんに嫌われたらもうおしまいだ、僕はもうネットで生きていけなくなる」みたいなことを考えなくなった。誤解されかねない表現だが、発言に気を遣わなくなったということではない。あくま自分は自分であって、人様のご機嫌を伺いながら発言するものではないのだ、と思うようになったということだ。 でも、僕のガラが少し悪くなったと感じられるようでしたら、きっとこれが原因かもしれません。

    自分であるということ - 他人の脳内
  • ブックマークコメントに反応してみる - 他人の脳内

    非モテ議論の質。他の人はみなこの切断操作を当然の正義だと思っているから話題にすらならないんじゃないだろうか。 自分の経験に照らして申し上げるのですが、「切断操作」が完全に機能している人ならば、非モテな論議がいくら為されていようとも、「ふ、なにか浅ましい愚民どもが何かサカってほざいているな」としか認識できないのだと思います。むしろ「切断操作」の不備を感じたからこそ、人は率先して「非モテ論議」に参加するのではないでしょうか。 例えば僕の場合、そんな「切断操作」を13歳から27歳まで当然の真理と見なしていたせいで、たとえ好きな人が出来ても、そのたびに何年も片思いを続けるだけ、ということを、長年にわたって繰り返しておりました。好きだから思いを伝えたい、でも「求愛行動」をすると自分がDQNに堕ちてしまう。そんな、今にして思うとあまりに下らない板挟みに、ずーっと苦しんでいたのです。で、あるとき切断操

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