ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (11)

  • 「仮想空間の自由」と「すべてが自分に都合がいい世界」 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp この『はてな匿名ダイアリー』のエントリに対するトラックバックやブックマークコメント、そして、冒頭のエントリへの増田さん(『はてな匿名ダイアリー』の著者)の追記」を読んだ。 b.hatena.ne.jp これらのブックマークコメントをみていると、「他人と衝突しない世界なんて、オンラインでも幻想だ」と述べている人が多いし、僕もその通りだろうと思う。 人間対人間であれば、利害の衝突は起こる。お互いに悪意はなくても起こる。 たとえば、ひとりの女性をふたりの男性が好きになり、女性はそのうちのひとりを選ぶ、というシチュエーションになった場合、誰が悪いことをしたわけではないのに、選ばれなかったひとりは大変つらい思いをすることになる。まあ、だからこそ、「勝ち取る」ことに快感があるのだ、という考え方もあるだろうけど。 冒頭のエントリを読んで、先日読んだこののことを思い出

    「仮想空間の自由」と「すべてが自分に都合がいい世界」 - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2022/02/03
    人形と旅行したり二次元キャラと結婚式を挙げるのも、それをSNSで見せてリアクションを得るという動機が大きそうだが。フォロワーNPCからの「いいね」だけで人は満足できるのだろうか
  • 「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで

    kakuyomu.jp anond.hatelabo.jp 僕は「と学会」のを読んで、『ノストラダムスの大予言』というのは、どうも当たらないというか、けっこういいかげんなものらしい、ということに自信を持てるようになったのです。『水からの伝言』(水に『ありがとう』などの『良い言葉』を見せるときれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『悪い言葉』を見せると、きたない結晶ができる、というやつですね)へのツッコミも記憶に残っています。 「いい話」「教育上役立つ(と多くの大人が思い込んでいる)話」は、「噓でも良いじゃないか」というような欺瞞に対して、敢然と立ち向かっていった『と学会』の活動は、当時の僕にとっては、とても刺激的なものでした。 その後の『江戸しぐさ』論争などをみると、結局、人は同じようなことを繰り返すものなのだな、と考え込まずにはいられないのですけど。 fujipon.hatenadi

    「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2020/08/18
    と学会の中には、最初から「単に変なものを見つけて笑う派」と「誤りを正す派」がいて、でも後者がメインのような売れ方をしたのでややこしくなってる。前者の人らに正義を求めるのはお門違いでは
  • 「すべてが広告になってしまった世界」を生きるということ - いつか電池がきれるまで

    note.mu 「ニセ医学」から、どうやって身を守ればよいのか? 上記のエントリでも言及されている「はあちゅう」さんのインタビュー記事を読んで、「いやさすがにこれで『ステマじゃない』は通らないだろう」と思ったんですよ。 https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/hachu 「インフルエンサー」を自認し、その立場を利用して収入を得ていながら、自分が他者に拡散しているものに問題があることを指摘すると「私も被害者の面がある」「門外漢にはその治療が当に適正なものなのかどうかわからない」と、言い訳をするというのは、なんだか薄気味悪い。 WELQ問題のときもそうだったのですが、メディア、あるいはインフルエンサーとして、命や健康、高額のお金に関わる「情報」を拡散するのに協力して対価を得ているのに(はあちゅうさんの場合は、少なくとも編集長をやっていたメディアが利益

    「すべてが広告になってしまった世界」を生きるということ - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2019/11/11
    "「ニセ医学予防」の活動を続けている人を支援していくことが大事" 同意。「自分が大病したとき、医療情報を集めるとしたら?」って考えると、ニセ医学がはびこるのは、自分の命に関わる問題になる
  • 30年前の僕らは胸を躍らせて「ロードス島戦記リプレイ」なんて読んでいた。 - いつか電池がきれるまで

    mantan-web.jp 『ロードス島戦記』懐かしいな…… とはいっても、僕の記憶に残っているのは、最初のシリーズのことが主で、上のサイトをみて、「おお!パーンとディードリッド!」と一発回答できるくらいには、まだ覚えているんですよね。年取ると、昔のことはちゃんと思いだせるんだけどなあ。 1984年に『火吹山の魔法使い』、1985年に『ソーサリー』という「アドベンチャー・ゲームブック」のシリーズが大ヒットしたときには、僕も夢中になって読んでいたものです。ただし、サイコロを振るのがめんどくさいので、「ここは戦闘に勝ったことにしよう」と、先のページに進んでいました。あれ、真面目にルール通りにやっていた人って、どのくらいの割合だったのかな。 当時のマイコン雑誌というのは、僕のようなインドア系オタク予備軍少年にとって、「いろんな文化への入り口」みたいな役割を果たしていて、『ログイン』で、『銀河ヒッ

    30年前の僕らは胸を躍らせて「ロードス島戦記リプレイ」なんて読んでいた。 - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2018/04/04
    同世代。タイトルも含めて色々分かりすぎる。不揃いな心はまだ今でも僕らをやるせなく悩ませるのさ
  • 「愚かなパチンカス」だった僕の遺言としての「ギャンブル依存症」の話 - いつか電池がきれるまで

    plagmaticjam.hatenablog.com 僕自身もギャンブル依存的なところがあり、読んでいて、なんだか悲しくなってきました。 以前、こんなエントリを書いたこともあります。 fujipon.hatenadiary.com まあ、パチンコ・パチスロって、やっている人たちも、自虐的に「俺ってパチンカスだよなあ……」なんて思いつつもやめられないものではあるんですけどね。 個人的には、パチンコはけっして良いものではない、いや「悪いもの」だというのが僕の認識です。 人生で大事なものって、大きくわけて3つあって、ひとつは人間関係、ふたつめはお金、みっつめが時間です。 パチンコは、少なくともその2つのうちのお金と時間を激しく浪費するし、地道に何かを積み重ねて成果を挙げなくても、大当たりや連チャンで得られる快楽にハマってしまう。 普通に生きていると、「大当たりの瞬間」って、ほとんどないので。

    「愚かなパチンカス」だった僕の遺言としての「ギャンブル依存症」の話 - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2018/01/11
    それだけ危険なものなら、やはりパチンコ打つことの忌避感を植え付けていくしかないのでは。麻薬みたいに
  • 「侍ジャパン」が苦手だ。 - いつか電池がきれるまで

    www.japan-baseball.jp ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が盛り上がってきていて、僕も「身近な人がどこのチームのファンだか確認せずに応援できる日本代表」って、応援しやすくてラクだよなあ、なんて思いながら観戦しております。 でも、こういう大会のたびに、僕はちょっと引っかかってしまうところがあるんですよ。 それは、チームの「愛称」のこと。 今回は、野球の男子日本代表チームは「侍ジャパン」という愛称で呼ばれているわけですが、まあ、なんというか、「今の日に侍なんていないだろ、外国人に『日といえばフジヤマ、ゲイシャ』って言われたらムカつくのに、なんで『サムライ』はOKなんだ?」とか思ってしまうのです。 そもそも、大部分の日人(そして、代表チームの選手たち)の祖先は「侍」じゃなかったはずだし、侍がえらい、すごいというのは身分制度を肯定していることになるのでは。 多く

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    kotetsu306 2017/03/16
    別に侍が偉いからそう名付けたわけじゃなくて、戦う日本人だから侍なんじゃないの? / 日教組の過剰な反戦教育がクソだが意識に染み付いてしまうのは同意
  • 僕は「新しいゲームが生まれない時代」を生きているのかもしれない - いつか電池がきれるまで

    いま、PS4で『ニューダンガンロンパV3』を熱心にやっているのですが、まあなんというか、素晴らしく面白いけれど、とても殺伐としたシーンが多いゲームでもあるんですよね。 PSVITAでやった『カオスチャイルド』というゲームも、すごくよくできた物語でのめり込んでしまったのですが、けっこうキツい残酷描写が目立っていました。 「面白い」のは確かなのだけれど、こんなに殺伐としたゲームがものすごく売れてしまうのって、なんだか不思議な気がします。 『シュタインズ・ゲート』をはじめてプレイしたとき「僕は楽しいけど、『2ちゃんねる』用語が平然と並んでいるようなテキストが延々と続くゲームが、こんなに売れているのか」と驚いたのを記憶しているのです。 僕は「テレビゲーム」をかれこれ35年くらいやっているのですけど、最近よく思うのが、「新しいジャンルのゲームって、しばらく見ていないなあ」ってことなんですよ。 その代

    僕は「新しいゲームが生まれない時代」を生きているのかもしれない - いつか電池がきれるまで
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    kotetsu306 2017/01/14
    オンラインゲームがUOの子孫ばかり、って?FPS、RTS、格ゲーだってネット対戦が主流だろ / 21世紀だと、WCCFやカードビルダーみたいな物理的なカード使って操作するゲームに新しさを感じた
  • 「金八先生の教え」と「江戸しぐさ」の境界 - いつか電池がきれるまで

    www.daily.co.jp 僕は『3年B組金八先生』が「理想の教師像のひとつ」として信奉されていた時代に小学生で、この回もリアルタイムで観ていました。 そのときは、子どもなりに「ありきたりだけど、いい話だなあ」と感じた記憶があるのです。 で、この記事を読んで最初に思ったのは、「でもさ、フィクションのドラマの話だし、そこまで目くじら立てるような話でもないんじゃない?」ということでした。 あのときみんなが感動したのは「学術的に正しかったから」じゃなくて、「人という存在に対してのある種の真理だと感じたから」だと思うし。 それを、いまさらこうして「嘘でした」ということで謝罪されても…… どうせなら、ずっと騙してほしかった、かもしれない。 しかしながら、あらためて考えてみると、やっぱり、こういう発想って、『江戸しぐさ』のような「嘘だけど、いい話」を肯定しているってことなのかもな、という気がしてき

    「金八先生の教え」と「江戸しぐさ」の境界 - いつか電池がきれるまで
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    kotetsu306 2015/04/20
    あの「人という字は~」を学術的な漢字の成り立ちの説明だとする解釈に驚いた。ありゃ「愛は真心、恋は下心」と同じ種類の駄洒落(でもちょっとイイ話)でしょ
  • 『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 - いつか電池がきれるまで

    『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 風評被害の拡散などを考えれば、ああいう描写は好ましくないとは思うのです。 取材者は、自分の都合のよい「被爆で鼻血が出るようになった人」ばかりを選んで採り上げているようにもみえますし。 ただ、僕はこの件について、水を得た魚のように「『美味しんぼ』を回収しろ!」「『スピリッツ』を廃刊にしろ!」「小学館を潰せ!」と叫んでいる人たちに、諸手をあげて賛同する気にもなれないのです。 僕がネットでみた範囲では、『美味しんぼ』のあの話題については、原作者が取材した人の「体験談」として描かれています。 それに対して、ネットでは「放射能で鼻血が出るなんて、非科学的だ」と、猛然とツッコミが入っているのです。 うん、それはそうなんだ。 これまでの人類史において、被爆した患者さんの経過を集積してみると、すぐに鼻血が出る、出血傾向がみられるような放射線被爆量であ

    『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2014/05/11
    一番極端な奴を槍玉に挙げて、批判そのものを否定する。「反原発派にトンデモが多いから、原発に反対するのはよくない」と同じメソッドになってるけど、自分で気づいてる?
  • なぜ僕はこんなに、知らない人から声をかけられるのがイヤなのだろう? - いつか電池がきれるまで

    数日前の夜、ドラッグストアに行ったのです。 風邪を引いたのか、喉がけっこう痛くなってきたのですが、あいにく、家に常備していた鎮痛剤がなくなっていて。 ああ、もっと早く症状が出ていれば、職場で処方してもらったのに、と思いつつ、当直の時間帯に受診するような状況でもなく、とりあえず市販薬を内服しておこう、と。 それで、風邪薬のコーナーに行って、あれこれ成分を確認したりしていたところ、このドラッグストアに勤めているらしい店員さん(薬剤師さん)が、近寄ってきて、あれこれ説明してくれるのです。 「風邪ですか?」 「ええ、はい」 「症状はどうですか?」 「ええっと、のどがかなり痛いんです」 「それでしたら、この薬がのどの痛みには効果が強いですし、速く効きますよ」 などと、手製らしき「風邪薬の比較表」みたいなものを見せながら、説明してくれるのです。 ああ、親切だなあ…… と、思うべきところなのでしょうが、

    なぜ僕はこんなに、知らない人から声をかけられるのがイヤなのだろう? - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2014/04/08
    直接的に断って、角が立つのが嫌なんだろうか。ならば京都弁に学んではどうか。「考えときますわ」「帰りに寄らせてもらいます」等々、婉曲に断る表現がたくさんありまっせ
  • ネットには、人間の「ホンネ」なんて書かれていない。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:批判コメントが私にもたらしたもの - せんえつながら このエントリを読んで、僕はずっと前の、個人サイトをはじめた頃の自分のことを思いだしていました。 そうそう、あの頃は、「ネットでは、みんなホンネで真っ向から批判してくれるのだな」と驚いていたなあ、って。 2013年6月26日の『怒り新党』で、マツコ・デラックスさんが、こんな話をしていました。 「だから私がネットは嫌いだ、って言っているのはそこよ。 目の前に人がいないから、相当なことを書いてるじゃない。 「それお前の当に真意なのか?」っていうさ。 自分の思ったことを、さらに悪くして書いたり、とか。 怖いのよやっぱり、あれ。 私ね、ネットで何を書いてもいいと思うのよ。 それを、参考にしてしまうほうがいけないと思う。 要は今、たとえばテレビ番組ひとつ作るとしても、ネットでどんな評判だったとか、Twitterでどんな書き込みがあった

    ネットには、人間の「ホンネ」なんて書かれていない。 - いつか電池がきれるまで
    kotetsu306
    kotetsu306 2013/10/19
    「みんな」とか「大部分の人」とか、なんかネットを統一された集合知性と思ってそうな雰囲気。ネットはノイジーマイノリティがとても目立つ空間なんだよ。マイノリティのホンネはホンネじゃないとでも?
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