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夏目漱石に関するkotobukuのブックマーク (14)

  • ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記

    前川直哉の『男の絆』について私が書いた一点のアマゾンレビューが時おり話題になるので、いちおう説明しておく。 上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』もそうだが、なるほど、こういうことは一般にはまだ知られていなかったのかと思ったもので、こうした話は、学者(文学研究者、社会学者)の間では、1990年代にさんざん議論されていたことで、上野著にも前川著にも、私を含めそれらの人は、別に新しいものは何も見出さなかったであろう。 特にいずれも、物故したイヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆』の序文で言ったことをそのまま信奉している。なおセジウィックのこのが、邦訳される前、おそらく日で一番早く紹介したのが、私の『夏目漱石を江戸から読む』(1995)なのだが、まあそれはいい。 セジウィックはその序文で、ホモソーシャルという概念を打ち出している。ただこの概念をセジウィックが作ったというわけで

    ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記
    kotobuku
    kotobuku 2011/08/14
    セジウィックは、考察を進めるにつれて、ホモソーシャルとホモセクシャルの間の区分は曖昧であることに気づいてしまう。そしてまた、ホモセクシャルもまた、時にはホモソーシャル以上にミソジナスである
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ニル・アドミラリ

    私は、 漱石の『それから』 でnil admirariという 言葉を覚えた。 そう簡単には驚いたり、 感心したり、動かされたり しないというのは 人生に慣れ、擦れ、 一種の堕落した魂の 態度のようにも 思えるが、「ニル・アドミラリ」の 処方の仕方に よっては賞賛に至るしきい値を 上げ、より高きを求める原動力 にもなりうる。 そもそも、 人生を豊かなものにするための 必須の条件は、世の中にいかに 高き嶺があるかということを 知ることではないか。 簡単にはその高みには 行けないからこそ、 そのような上目使いを続ける からこそ、 育まれる精神性がある。 私は、結局、そういう人しか 信用しないようだ。 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其中のある号で、Mountain Accidentsと題する一篇に遭つて、かつて心を駭かした。夫には高山を攀ぢ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあつた。登山の

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    kotobuku 2010/09/20
    「ニル・アドミラリ」の処方の仕方によっては賞賛に至るしきい値を上げ、より高きを求める原動力にもなりうる。
  • <掟の門>または個人化した宗教 - 熊田一雄の日記

    ・・・彼は門を通る人ではなかった。又門を通らずに済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった(夏目漱石『門』初出1910年)。 「誰もが掟を求めているというのにー」 と男は言った。 「この長い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?」 いのちの火が消えかけていた。うすれていく意識をよびもどすかのように門番がどなった。 「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ」(フランツ・カフカ『掟の門』初出1914年) *100年前にこんなことを考えていたなんて、漱石もそうですが、カフカはつくづくすごい作家です。

    <掟の門>または個人化した宗教 - 熊田一雄の日記
    kotobuku
    kotobuku 2010/08/17
    100年前にこんなことを考えていたなんて、漱石もそうですが、カフカはつくづくすごい作家です。
  • 夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 - 蟹亭奇譚

    大正5年12月9日、漱石最期の日は土曜日だった。いよいよ危ないということで、学校へ行った子供たちは早退して、父親に会いに行く。 ……そこでその子(引用者註:次女恒子)と近所の小学校へ行ってる四番目の娘とがまず会いに行きました。するとあんまり面変わりがしているので悲しくなったものでしょう。愛子というその四番めの娘がたまらなくなって泣き出しました。で私がこんなところで泣くんじゃないとなだめますと、それがきこえたとみえて、目をつぶったまま、 「いいよいいよ、泣いてもいいよ」 と申しました。 夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 六一 臨終 『漱石の思い出』 は、昭和3年に雑誌 『改造』 に連載され、のちに大幅に加筆の上、漱石十三回忌を記念して出版された。書は、夏目漱石の、鏡子夫人の語りを、作家松岡譲(漱石の長女筆子の夫)がまとめた回想録という体裁をとっている。口述筆記のような書き方になっ

    夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 - 蟹亭奇譚
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    kotobuku 2010/05/31
    夫人の目に映じた人間漱石の姿が、やさしい真実の魅力のうちに、生々と物語られ伝えられているのであります。
  • 梅干しと文体 - 2010-05-15 - へのへのもへじ

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

    梅干しと文体 - 2010-05-15 - へのへのもへじ
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    kotobuku 2010/05/16
    そうかしら、私、上目づかいなんかしてるかしら、それに、でも、だって挨拶だもの、挨拶って少しくらいは堅苦しいものでしょう、と言い返してみたけれど
  • 夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見

    前連載(「うつ」にまつわる24の誤解)の第16回でも取り上げましたが、現代の「うつ」において、このような悩みが浮上してくるケースが非常に多くなってきています。 今の社会では、幼い頃から「やらなければならないこと」を休みなく課せられてくることが多く、なかなか、ゆっくりと「やりたいこと」に思いを巡らす余裕が与えられていません。 そのうえ、外から「与えられる」膨大な知識を次々に記憶し、「与えられた」方法で要領よく情報処理することを求められるために、人々の多くは、「自分は何をしたいのか?」「これは当に自分がやりたいことなのか?」といった問いを持つこと自体に、不慣れになってしまっているようです。 しかしながら、このように「主体」を見失ってしまったという悩みは、現代人のみに見られる新しいテーマというわけではありません。これは、近代的自我の目覚め、つまり「主体」として生きたいと真摯に願う人間であれば、

  • 「の」を4つ以上連続して使うと文学になるらしい - 蟹亭奇譚

    「の」を3つ以上連続して使わない | 日経 xTECH(クロステック) はてなブックマーク - 「の」を3つ以上連続して使わない | 日経 xTECH(クロステック) コメント欄に有名な和歌が並んでいて、奇妙な展開になっているのが面白いんだけど、こういうのもある。 落葉 秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し。 ヴェルレーヌ 「秋の歌(落葉)」 上田敏訳 「の」 が並ぶほど悲しみがあふれ出す。人はこれを文学と呼ぶのだろうか。 えー、ほかにもあったっけ? と、困ったときは漱石先生に聞いてみるに限る。 「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、被りの、香具師の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」 夏目漱石 『坊っちゃん』 九 坊っちゃん、ノリノリである。 「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの

    「の」を4つ以上連続して使うと文学になるらしい - 蟹亭奇譚
    kotobuku
    kotobuku 2010/05/15
    リズムの分析。
  • 《語り手の視点》の観点から夏目漱石を読む - 蟹亭奇譚

    スランプを脱する薬が欲しい - 備忘録の集積 id:keiseiryoku さんのエントリを読んで、小説に書かれている視点の変化について興味をもったので、一つ記事を書いてみることにしたい。(ただし、創作上の助言などのつもりではないので、あてにしないでいただきたい。) で、またしても夏目漱石である。 漱石の初期の主要な小説、『吾輩はである』、『坊っちゃん』、『草枕』 はいずれも 《吾輩》、《おれ》、《余》 という一人称で書かれている。主人公自身が語り手であって、『吾輩』 のように、主人公が死ぬとストーリーがそこで終わってしまうケースもある。つまり、主人公以外の視点が入りこむことが全くないのである。 これが中期の小説、『三四郎』、『それから』、『門』 あたりになるとだいぶ変わってくる。三作とも三人称で書かれている作品だが、これらはどのような視点で描かれているのだろうか。 三四郎はぼんやりして

    《語り手の視点》の観点から夏目漱石を読む - 蟹亭奇譚
  • 鷗外がハルトマンを選んだわけ | CiNii Research

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  • 至遊さんの俳句をどうぞ

  • 新しい、言文一致への模索 : 寺田寅彦『団栗』鈴木三重吉『千鳥』夏目漱石『三四郎』 : 言文一致再説 : 現代日本語の創造を導いた人々 : 第36回全国集会総括 | CiNii Research

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  • Welcome to guy5.com

  • 文体論の一方法について : 夏目漱石『明暗』における「外的連合喩」の考察を一つの実践例として(第1部) | CiNii Research

  • 第5講 夏目漱石『三四郎』(1) - 蟹亭奇譚

    http://homepage2.nifty.com/akoyano/juku/top.html - 文学コース 講義ノート 講義の最中にとったノートをほぼそのまま写したものなので、文責はすべて kanimaster にあります。 漱石はなぜそんなに有名なのか 明治40年頃、自然主義文学の隆盛。 大正5年(1916)年、満49歳で没。 38歳のとき作家活動を開始した。作品数は少ない。 岩波書店は、最初に 『こころ』 を出した。その後、『漱石全集』 を出版。岩波が左翼出版社になったのは戦後。 漱石の小説には 《性》 が出てこない。田山花袋、永井荷風等とは対照的。 中流の一般市民が安心して読める。 毀誉褒貶が激しい。軽文学といわれた。 『道草』 は私小説だが、漱石が私小説を書くわけがないと言われた。 漱石の弟子 長塚節(ながつか たかし)……『土』 森田草平……平塚らいてうと心中未遂事件を起こ

    第5講 夏目漱石『三四郎』(1) - 蟹亭奇譚
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