こないだふと、『グレート・ギャツビー』とか『ロード・ジム』とか、悲劇的な最期を遂げた人間について、近くにいた人間が語るという小説構造が、福音書と同じであることに気づいた。漱石の『こゝろ』もそうで、あれはかねて福音書に似ていると言われている。私はギャツビーもロード・ジムも別に感心しないのだが、おそらくキリスト教徒にとっては、その語りの構造が福音書を思わせる点で、既にギャツビーやジムをキリストに見立てる準備ができるのだろう。日本もまた、潜在的キリスト教徒が多いから。 - http://konokensuke.weblogs.jp/blog/2011/01/%E8%BF%BD%E6%82%BC%E5%B1%B1%E5%86%85%E4%BF%AE.html 私が小浜逸郎の人間学アカデミーで講師をした時、最後の飲み会で私にからんできたのが、この山内という人。私が宮沢賢治が嫌いだと思っていたらしい。