「100日後に死ぬワニ」 100日目 https://t.co/r0Idn9I7mR
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銅鐸という古代の祭祀具がある。日本史の弥生時代のとこで習ったアレだ。 卑弥呼の時代の直前くらいに銅鐸は使われなくなる。 私たちはいまだに神社では鏡や剣を神器として尊ぶのに、銅鐸は使わない。 研究者の見解では多分こういう風に使うのだろう、ってのはある。 が、正確なところはわからない(特に大型化した以降)。 ただ一つだけ言えることは、絶対に一人、最後に銅鐸の使い方を知っていた人がいる。 銅鐸をどうするのか? どう祭祀で使うのか。 知っていた人が、必ずいる。 複数人の集団を想定してもいい。その集団の最も長生きした人を想像するのも良い。 彼、彼女の人生について、よく寝る前とかに想いを馳せる。 先祖から受け継いでいた銅鐸の使い方を、歴史のうねりの中で失う。 おそらく、使い方を知っているが、もう使うことがなくなった(鏡や剣を祀るスタイルが一般化した)というのが想定される一つの可能性だ。 そのうち、なん
■「また子どもが後回しか」 僕はもう25年も子ども・若者への支援をしている。不登校から始まり、ひきこもりに拡大し、やがて発達障害の問題が現れ、現在は虐待サバイバーや高校生出産の問題にまで関わっている。 今僕は56才なのだが、ちなみに20代は編集者だった。今風に言うとミニ出版社を友人と「起業」し、なんとか食べていけるようにはなっていた。 そのミニ出版社は「社会派」だったので不登校問題もさかんに取材・執筆したが、そんな取材活動のなかで出会った子どもたちにインパクトを受け(某フリースクールやボランティア活動のなかで出会った不登校の子どもたちの、影のある佇まい、哲学風に言うと「サバルタン」そのものの沈黙)、「数年程度、支援の体験をしてみよう」と甘い気持ちで入った業界だった。 僕の20代の頃に「子どもの権利条約」を日本は批准し、その流れのなかで僕は「子どもの権利」について学んでいった。世の中では、「
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