日米プロレス界のレジェンドで、1964年東京五輪レスリングヘビー級代表としても活躍したマサ斎藤さんが14日に死去した。健介オフィスが16日、発表した。75歳だった。 引退した99年ごろに難病のパーキンソン病を発症。懸命のリハビリと闘病生活を長く続けていた。 87年10月、山口の「巌流島」で行われたアントニオ猪木との時間無制限ノーレフェリー、ノールール、無観客マッチ。2時間5分14秒の死闘の末、立会人裁定で敗れた「巌流島決戦」は今もプロレスファンの語り草となっている。
新日本プロレスと全日本プロレスで活躍し、IWGPヘビー級王座、3冠ヘビー級王座両方を外国人として唯一、獲得した米国人レスラーのビッグバン・ベイダーさん(本名・レオン・ホワイト)が、18日午後7時28分(現地時間)、米国で亡くなった。ベイダーさんの公式ツイッターが発表した。63歳だった。公式ツイッターによると、ベイダーさんは1カ月前に重症の肺炎にかかり、懸命に闘病を続け、一時は回復に向かったものの、亡くなったという。 ベイダーさんはコロラド大でアメリカンフットボールの選手として活躍し、卒業後の1978年(昭53)にNFLロサンゼルス・ラムズに入団も、ケガで引退を余儀なくされた。その後、バーン・ガニアにスカウトされて、85年に米AWAでプロレスデビュー。その後、マサ斉藤にスカウトされ、87年12月にビックバン・ベイダーの名で新日本プロレスのマットに上がり、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げ、8
「ミスター麻雀」の異名を取ったプロ雀士で、かわぐちかいじの漫画「はっぽうやぶれ」をはじめ多くの麻雀作品でモデルにもなった日本プロ麻雀連盟初代会長・最高顧問の小島武夫さんが心不全により亡くなったことがわかった。連盟が30日、公式ツイッターで伝えた。82歳だった。 連盟は「日本プロ麻雀連盟最高顧問(初代会長)故 小島武夫 儀 入院療養中でしたが心不全により去る平成30年5月28日(享年82歳)にて永眠いたしました。ここに生前のご厚誼を深謝し謹んで通知申上げます。追って通夜ならびに告別式は、日本プロ麻雀連盟葬にて執り行います」と伝えた。 通夜は6月8日午後6時~7時、告別式は6月9日午前9時30分~11時、東京・品川区の桐ヶ谷斎場で営まれる。「当日は一般ファンの方のご参列も受け付けます。沢山の方に先生をお見送りしていただければ幸いですが、あまりにも多くの方がいらっしゃった場合、時間内にご焼香など
度重なるやじや失言で、批判が拡大している麻生太郎財務相が16日、都内の講演で、盟友の安倍晋三首相に触れた際に「おなかの悪いやつ」と述べ、潰瘍性大腸炎が持病だった首相を、やゆするような発言をした。北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の政府専用機をおちょくるような発言もあり、国際社会を巻き込む形で「軽率」との批判が広がる恐れもある。麻生氏の言葉は、歯に衣(きぬ)着せぬ「麻生節」では済まされない領域に入ってきた。 麻生氏はこの日、自民党議員のパーティーであいさつした際、物議を醸す発言を繰り返した。1つは、盟友である首相に対して。12年の自民党総裁選で、自らが首相を支持した経緯に触れた際「暗いやつを選ぶか、あまり頭の良くないやつを選ぶか。だったら、おなかの悪いやつを選ぶのがいちばん良い」と述べた。 暗いやつ→石破茂元幹事長、あまり頭の良くないやつ→石原伸晃氏が念頭にあったとみられ、「おなかの悪いやつ」
日本レスリング協会は6日、都内で緊急理事会を開催。五輪4連覇で国民栄誉賞も授与されている伊調馨(33=ALSOK)に対するパワハラ問題で、同協会の栄和人氏(57)が、選手強化本部長の職を辞任した。この日、同会に出席した栄氏が勤める至学館大の谷岡郁子学長が、栄氏から預かった辞表を提出し、理事会に受理された。 同協会は、弁護士3人による三者委員会を設置。伊調本人、栄氏らを含む19人からヒアリングを実施。調査期間は約10年で、内閣府に提出された告発状に書いてある事項だけでなく、幅広く事象を対象とした。そのA4・37ページにわたる報告書がまとまり、この日、同協会の倫理委員会に提出された。 その報告書によると、パワハラに認定されたのは4項目。<1>平成22年2月にNTCで、伊調に対し「よく俺の前でレスリングができるな」、などど言った。<2>平成22年9月の世界選手権で、田南部力コーチに「伊調の指導を
「レベルの低い質問をするのはいかがなものか。軽蔑する」。麻生太郎財務相は20日の衆院財務金融委員会で、自民党の和田政宗参院議員が19日の参院予算委で、野田佳彦首相の秘書官だった経歴を持つ財務省の太田充理財局長に対し「安倍政権をおとしめるため意図的な答弁をしているのか」と質問したことを厳しく批判した。希望の党の大西健介氏に「部下が辱めを受けたら抗議すべき」と問われ答えた。和田氏の発言の一部は自民党の申し出で議事録から削除されることになった。 一方、野田氏の首相補佐官だった立憲民主党の末松義規衆院議員は同委員会で、太田氏を“擁護”。「与党からとんでもない質問が出たが、太田氏は1党1派に偏らない、日本に忠誠を尽くす官僚だ。優秀な仕事ぶりに感銘を受けていた。太田さんの名誉のために言わなければならない」と述べ、拍手が起きた。
ショートプログラム(SP)で首位の羽生結弦(23=ANA)が、フリーで206・17点をマークし、合計317・85点で14年ソチ五輪に続き、金メダルを獲得した。男子の連覇は実に66年ぶりで、日本人として冬季の個人種目での連覇は初の快挙。 <祝福コメント> 元世界女王の浅田真央さん ゆづ君! しょうま! おめでとう!! すごい! すごい! すごすぎる!! 最高でした!! プロスケーターの安藤美姫さん ちょこっとのミスはあったものの絶対的強さをみせてくれました。日本魂の詰まった演技をありがとう。 レスリングの吉田沙保里 66年ぶりの連覇。鳥肌ものですね。東京五輪に向けて勢いになる。五輪の連覇はまた違った喜びがある。(3連覇へ)競技を続けるかは本人が決めることだけど、そこを期待しちゃう。 競泳の瀬戸大也 羽生くんすごすぎ!宇野くんもおめでとうございます。 競泳の池江璃花子 すごい!!1位と2位本当
東京・銀座の中央区立泰明小学校が、高級ブランド「アルマーニ」がデザインした約8万円の新制服導入を決め、保護者らから批判が上がっている問題で、同小の和田利次校長(62)が9日、区役所で記者会見し、新制服の導入方針を「変えるつもりはない」と表明した。高額で購入できない家庭については「個別に相談させていただきたい」とし、公的な援助の手続き方法などを周知するという。バーバリーやエルメス、シャネルなどのブランドにも校長が単独交渉したというが、価格上限などの要件は定めていなかったという。 スーツ姿で会見した和田校長は、アルマーニ製の制服導入の方針について「変えるつもりはございません」と断言した。1月下旬から今春の新入生60人の採寸が始まっており、「全員ではないがほとんど採寸に来ている」とも説明。高額だが「本校の児童のご家庭なら、出せるんじゃないかと思う」と話した。購入できない家庭が出た場合、その児童を
漫画家の江川達也氏が7日、「週刊少年ジャンプ」連載作品のお色気表現に対する批判に対し、厳しい口調で私見を述べた。 3日に発売された漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」2017年31号に掲載された作品「ゆらぎ荘の幽奈さん」が物議を醸している。同作品はいわゆる「ラブコメ」だが、同号掲載の巻頭カラーでは、描かれた大半の女性キャラクターの水着がはだけるという描写がなされていた。 これを見た弁護士の太田啓子氏が4日、ツイッターで「息子には少年ジャンプは読ませない。息子をもつ保護者の皆さん。少年ジャンプ編集部に抗議を。どうかと思うよ」と、ジャンプ編集部に対する抗議を呼びかけた。これに対しネット上では多くの賛同と、「少年誌にお色気シーンがあるのは昔から」「それを言い出したらドラゴンボールもワンピースも取り締まらないといけなくなる」といった批判の声が上がり、賛否両論が巻き起こっていた。 アニメ化もされた人気漫画「
プロ野球阪急(現オリックス)の指揮を執り、日本シリーズ3連覇を果たした上田利治(うえだ・としはる)氏が80歳で死去したことが2日、分かった。 関西大時代、捕手として元阪神の故村山実氏とバッテリーを組んで黄金時代を築いた。1959年に広島入団。目立った実績はなく3年間で引退したが、指導者として才能を発揮した。62年から広島、阪急のコーチを歴任し、74年に阪急監督に就任。優れた統率力で阪急を常勝チームに変え、75年から3年連続で日本一に導いた。 78年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦で本塁打の判定を巡り、1時間19分抗議した。その責任を取って辞任したが、81年に復帰して阪急、オリックスで10年間指揮を執った。95年から5年間は日本ハムの監督を務めた。 監督通算20年間の成績は1322勝1136敗116分け。最下位の経験は一度もなく、リーグ優勝が5度、日本一は3度。監督時代には「ええで、ええで」
顔面にペイントを施し「極悪王」「デスマッチの帝王」の異名を取った元悪役レスラーのミスター・ポーゴさん(本名・関川哲夫)が23日、群馬県内の病院で死去した。66歳。関係者によると、ポーゴさんは22日に腰の手術を受けた際、脳梗塞を発症。別の病院に搬送されたが、息を引き取った。 群馬・伊勢崎市出身のポーゴさんは中大を中退し、71年に大相撲の二所ノ関部屋に入門。序ノ口優勝したが、1年もたたずに新日本プロレス入りした。主に米国マットで活躍し、90年の帰国後は大仁田厚のライバルとして、FMWに登場。数々の流血デスマッチを繰り広げ、話題となった。96年に首のケガで引退したが、97年に再起。大日本、IWAなどの団体のリングに上がり、00年5月には自身の団体WWSを旗揚げした。03年には伊勢崎市議選に立候補して、落選した。 死闘を繰り広げてきた大仁田はツイッターで「ポーゴさんとの長いプロレスの歴史が俺の頭を
大仁田厚(59)が10日、東京・水道橋のプロレスショップ闘道館で会見を開き、「2017年10月31日、後楽園ホールで引退します」と引退を宣言。 同日の試合を含めた「さよなら大仁田 さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催すると発表した。 大仁田は過去6回、引退しており、今回が7回目の引退となる。その事実も踏まえつつ「ひんしゅくも買ったと思う。でもプロレスを愛する気持ちは、誰にも負けない。何だかんだ言って途中、肺血腫になり気管切開をしたし、ブランクもあり、政治活動やいろいろなことをやって差し引くとプロレス人生40年…幸せな時間をプロレスにもらった。僕の青春だった」と、しみじみ語った。 今回の引退の背景には、肉体の限界がある。16年8月に右尺骨、同11月に左かかとを剥離骨折、同12月に腰椎を骨折し、右手には手術でチタンの板を入れた。そこを爆破王選手権奪回に成功した2月の船木誠勝戦で再
日米プロレス界のレジェンドで、1964年東京五輪レスリングヘビー級代表のマサ斎藤(74)が、2020年東京五輪を励みに懸命の闘病を続けている。引退した99年ごろに難病のパーキンソン病を発症。リハビリを休めば体の自由はさらに奪われる。だが、「GO FOR BROKE(当たって砕けろ)」の信条は失っていない。戦い続けてきた男の激動の半生、根底にある五輪への思いに迫った。【取材・構成=奥山将志】 栃木の病院でリハビリに励むマサ斎藤 ■体重120→70キロ 栃木県内のリハビリ病院にいる斎藤を訪ねたのは、昨年大みそかの午後1時だった。現役時代、はち切れんばかりに鍛え上げられていた体は小さくなり、体重は120キロから70キロまで落ちた。74歳。白髪交じりの頭に、背中も少し丸まっていた。だが、あいさつした記者を車いすから見上げた目は、戦いの中にいる男のそれだった。 病は急に襲ってきた。99年、56歳でリ
50歳0カ月14日のJ2横浜FCのFWカズ(三浦知良)が3試合連続でスタメンに名を連ね、自身の持つJリーグ最年長出場記録を更新。前半40分に今季初得点を挙げ、自身の最年長得点記録を更新し史上初の50歳ゴールを挙げた。 味方シュートのこぼれ球をペナルティーエリア左でカズがキープ。左足で落ち着いて逆サイドの右隅に決めた。得点後はカズダンスも披露した。カズは後半12分に交代となり、ベンチに退いた。 カズの偉業を受け、横浜FCも交代直後にカズのコメントを発表した。 「常にゴールを狙っている中で、今日は特にいいフィーリングがあって、ゴールをとれる予感もしてた」。50歳初ゴールでカズダンスを舞ったが、ストライカーのカズの「予感」はあったようだ。
アントニオ猪木参院議員(無所属)が31日の参院予算委員会で、かつてファンから、オリに入ったライオンを贈られたことを明かした。 質問の冒頭、千葉県の動物プロダクションで、飼育員らがライオンにかまれて負傷したニュースに触れた猪木氏。「昔はニュースをみたファンが、いろんなものを送ってくれた。ライオンが欲しいと言ったら、しばらくしてオリに入ったライオンが送られてきた」と明かした。 唐突な告白に、安倍晋三首相や閣僚の席から「ええっ?」という声が漏れる中、猪木氏は構わずライオン話を続行。「当時は(自宅が)マンションで、どこに置こうかと。何より、くさいものですから風呂場に連れて行き、シャンプーをかけようと思ったら『わーっ』となるから、頭をガガンとひっぱたいたら、おとなしくなった」という。 「でも非常にいいライオンで、ベランダに寝かせたら中に入れろということでドアを開けたら、いきなりベッドを占領された。そ
日本映画製作者連盟(映連)の新年記者発表が24日、都内のコートヤード・マリオット銀座東武ホテルで行われた。 16年の興行収入(興収)10億円以上の作品が発表され、42本が名を連ねた。その中で現在、公開中の「君の名は。」が興収235億6000万円で邦画、洋画を含めて首位、「シン・ゴジラ」は82億5000万円で邦画2位、邦画と洋画を含めて3位となった。 両作品を配給した東宝の島谷能成社長(64)は「東宝にとって、記憶と記録に残る1年」と評し、16年を振り返った。 島谷社長 32本を配給し、年間興収854億円と歴代1位。年間興収500億円は13年連続で突破し、700億円超えは6回目で初の800億円超えでした。「君の名は。」と「シン・ゴジラ」が突出していますがテレビ局、出版社を軸にした製作委員会作品、アニメ、自社製作3つの柱が充実しました。実写の興収10億円超えは47本、アニメは15本。「君の名は
新年からアクセル全開だ。大相撲の初場所は今日8日、東京・両国国技館で初日を迎える。新入幕だった昨年の九州場所で敢闘賞を受賞した西前頭9枚目の石浦(26=宮城野)は7日、都内で英国の自動車メーカー「マクラーレン・オートモーティブ」の正規販売代理店「マクラーレン東京」(本社東京・港区)から、新化粧まわしを贈呈された。関取最軽量114キロの速さを生かし、化粧まわしに描かれたスポーツカーのようにスピード勝負で挑む。 新しい化粧まわしを前に、石浦は満面の笑みだった。事前にデザインは知っていたが、直接見るのは初めて。濃紺をバックに緑色のスポーツカーが描かれたデザインに「めちゃくちゃかっこいい。着けるのが楽しみ」と、土俵入りが待ち遠しい様子だった。 スポーツカーと相撲。一見、結びつきはなさそうだが、マクラーレン東京の川本錦一CEOは「3つの同じ特徴がある」と、石浦と化粧まわしのモデルになったマクラーレン
将棋界の新星が、自らに最高のクリスマスプレゼントだ! 10月に史上最年少の14歳2カ月でプロ棋士となった藤井聡太4段が24日、都内でデビュー戦に臨み、加藤一二三(ひふみ)9段(76)に110手で快勝。14歳5カ月での公式戦白星も、史上最年少記録となった。現役最年長の加藤9段とは62歳の最多年齢差対決となったが、相手が得意とする矢倉戦法同士で真っ向勝負。力強い指し回しで、大先輩を退けると「竜王や名人のタイトルを取りたい」と堂々と将来の夢を語った。 晴れの舞台には「師匠(杉本昌隆7段)と相談した」末に、学生服で登場した。まだあどけなさの残る中学生だが、盤上では若武者だった。食事休憩を含め10時間43分に及ぶ大熱戦。初の長時間対局にも「長い時間で対局できるので楽しみにしていた」と疲れた様子は見せなかった。藤井4段誕生まで、14歳7カ月の最年少記録を保持していた加藤9段も「うまく負かされた。大局観
元プロレスラーの永源遥さんが28日、東京都内で死去した。70歳だった。 石川県出身。木村政雄(ラッシャー木村)に誘われ、66年に20歳で大相撲立浪部屋から東京プロレスに入門。同年10月に木村戦でデビュー。東京-日本-新日本-ジャパン-全日本-ノアと主要6団体を渡り歩いた。 全日本では89年から井上、渕、大熊らと「悪役商会」を結成。90年代にジャイアント馬場らの「ファミリー軍団」と抗争を展開し、人気者になった。 「つば攻撃」が代名詞で、永源の客席へのつば吐きに対して観客が新聞紙で防御する光景が名物になった。コミカルなファイトでファンの支持を得た。百田光雄とは永遠のライバルで100戦以上もシングルで対戦した。 06年に60歳で現役引退するまでシングル王座獲得は1度もなく、トップ戦線に絡まない前座レスラーだったが、昭和を代表する名脇役の1人だった。 スポーツ界、政界などに幅広い人脈を持ち、引退後
前代未聞の取組があったのは秋場所3日目のこと。西序ノ口29枚目の服部桜(18=式秀)が、同26枚目の錦城(18=九重)との一番で敗退行為を繰り返した。 この取組の映像は、非公式ながらYouTubeにもアップされている。(https://www.youtube.com/watch?v=RiAI8fXBJoM) 服部桜は最初の立ち合い直後、両手を前についた。立ち合い不成立とみなされ、やり直しの2回目はヘッドスライディングのように自ら転んだ。3回目は、後方に尻もちをついた。いずれも相手に触れる前のことだ。4回目にようやく立ち合い、無抵抗のまま引き落とされた。 土俵下で審判長を務めていた東関親方(元幕内潮丸)は言う。「何回か、あの子の取組は見たことがあるけど、あんなのは初めてでした。びっくりしたのが正直なところ。どう判断していいか戸惑いました」。審判長として、審判部長の二所ノ関親方(元大関若嶋津)
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