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哲学に関するkousyouのブックマーク (88)

  • 世界を丸ごと理解するために「科学哲学の冒険」

    「おまえは科学リテラシーが足りない」なんて言われると、グゥの音もでない。 理系をハナにかけてる輩からふっかけられると、いつもこうだ。でも科学ってなんなの?極論すれば、科学って宗教の一種でしょ?誰も見たこと/聞いたこと/観測すらできないことを、信じる・信じないの話じゃないの?ホラ、高度に発達した科学は魔法と変わらないなんて言うし――そんな独善に陥っていたわたしに、良いお灸になった。 もちろん原子は肉眼で見えないが、たしかに実在している。そしてその原子の当の姿について、人類は知識を深めていっている――これは"常識"の範疇なんだろうが、この常識的な考え方をただ信じるだけでなくて、議論を通して正当化しようとする――これが、書のテーマ「科学哲学」だ。 …なのだが、どうも著者が主張したい「科学的実在論」の形勢は不利だ。科学は確かに知識を深め、役に立っているのだが、哲学の凶器「相対主義」のバッシング

    世界を丸ごと理解するために「科学哲学の冒険」
    kousyou
    kousyou 2009/11/17
    この本、以前途中まで読んだけど、確かにいい本ですねぇ。
  • 一般ピープルにとってのレヴィ=ストロース、現代思想追悼記 | 考えるための書評集

    フランスの思想家、文化人類学者のレヴィ=ストロースが2009年11月1日に亡くなられた。100才の大往生だった。1908年に生まれて20世紀をほぼ生きたことになる。 レヴィ=ストロースは構造主義をうちたて、とうじ流行っていたサルトルの実存主義を批判し、現代思想の立役者となった、そうである。文化人類学が現代思想の表舞台にのりこんできたことに違和感があるが、構造主義という流れは方法論としてくくられるのだろうか。 構造主義の思想家にはほかにミシェル・フーコー、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、ロラン・バルトがあげられる。構造主義はなんでも無意識の構造に人間は支配されているということで、意識されない無意識のシステムを暴くことに知的興奮があった。ミシェル・フーコーなんて監獄や権力、狂気、性などの不穏な無意識の歴史を暴き立てて、不気味な知的興奮をさそったものである。アルチュセールも国家のイデオロ

  • 追悼レヴィ=ストロース - 内田樹の研究室

    20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。 第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。 サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41〜44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基構造」で構造人類学を樹立した。 自伝

  • レヴィ=ストロース鎮魂のため数学野郎にお願い(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    レヴィ=ストロースが亡くなりましたにゃー。生きたまま即身仏になったのではにゃーかと思っていたけど、やっぱりニンゲンだったかー。 さて、僕の脳内のレヴィ=ストロース鎮魂のために*1、数学野郎・プログラム野郎どもにお知恵を拝借したく思いますにゃー。 お題は 平面上にいくつかの点がある。点と点が線で結ばれている。1任意の1点から出ている線の数はN。任意の2点を取り出すと、その2点は直接、あるいは、別の1点を経由してつながっている。このような状況が可能な点の個数の最大値は? 知り合いの数学野郎に聞いてみたのだけど、一筋縄でいかにゃー問題みたいですにゃ。 で、 なんでこれがレヴィ=ストロースに関係があるかについては以下で説明しますにゃー。 ダンバー数とは? 「人間とは何か」京大霊長類研シンポジウムレポート(前) - 地下生活者の手遊び 「ありもしないものを見る」のが人間@京大霊長類研シンポレポ(後

    レヴィ=ストロース鎮魂のため数学野郎にお願い(追記アリ - 地下生活者の手遊び
  • なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マクロコンテクスト、ミクロコンテクスト 宝くじで一等にあたることは奇跡といってもよいだろう。そして人生さえもかえてしまう。しかし宝くじというシステムにとっては一等がでることは当たり前である。それを見越して収益が出るように統計的に設計されている。 たとえば飲酒運転の車に追突されてしまう。これは不幸でついていないことである。人生を狂わせて家族のその後さえも大変なものにしてしまう。あと少し時間がずれていれば事故にあわなかっただろう。しかしある交差点ではある確率で事故が起こるというような統計的な必然性があると言われる。 このようにミクロコンテクストでみると特異なことが、母数を増やして観測すると正規分布などの一定の分布に収まってしまう。だからマクロコンテクストではほんどの現象は確率論的な必然として回収されてしまう。たとえば背丈、あるいは性格、あるいは幸福な出来事も、不幸な出来事も、誰かに起こっただろ

    なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「日本時間学会」設立 時間学という新たな学問の確立を目指す 文系・理系の枠超え研究:アルファルファモザイク

    ■編集元:科学ニュース+板より「【学問】「日時間学会」設立 時間学という新たな学問の確立を目指す 文系・理系の枠超え研究」 1 白夜φ ★ :2009/06/16(火) 21:07:35 ID:??? <日時間学会:設立、山口大で記念講演 文系・理系の枠超え研究 /山口> 時間学という新たな学問の確立を目指す「日時間学会」の設立総会が13日、山口市の山口大学で開かれ、記念講演やシンポジウムがあった。記念講演した千葉喜彦・同大名誉教授(時間生物学)は、山口は16世紀に宣教師のザビエルが大内義隆に西洋式時計を献上した地であることを紹介し「時間学の端緒をつくったのはザビエルではないだろうか」と意義を強調した。 同学会は「時間」を共通の視点として文系や理系の枠を超えた研究・交流が目標。山口大時間学研究所が設立準備を進めてきた。 講演で千葉名誉教授は、環境が一定の実験室内でも動物が毎

  • 父来たる2009 - 日々是魚を蹴る

    父が仕事で東京に出てきたので呑みに行った。父は教育畑の人で、あと1年少しで定年を迎える。ここ何年か県の教育庁で仕事をしていたが、今年度からはまた学校に転属になった。 その席で聞かせてくれた話がいろいろ面白かったので忘れないうちに書いておこうと思う。 父曰く…… 行政の仕事について 行政の仕事を経験してよかったのは、考え方が非常に柔軟になったことだ。 当の役所の人間も含めて、多くの人が勘違いしていることだが、役所で仕事をするというのは、ただ規則に従うことではない。 役所の仕事はとても多い。誰かのためになんとかしなければならないが、今まで誰もやっていないようなこともたくさんある。そのためにクリアしなければいけない手続きもまた多い。 しかし、その煩雑な手続きがあるから何もできないということはない。 たくさんの手続きの中で仕事を進めるには、柔軟な思考と想像力が必要になる。要はつじつまを合わせればい

    父来たる2009 - 日々是魚を蹴る
  • 産業資本主義と金融資本主義 - finalventの日記

    今朝の朝日新聞社説の与太を読みながら、そういえば、産業資主義と金融資主義の区別みたいのはあまり見かけなくなったなと思った。私が経済学を学んだころはごく基というか、重要でもあったと思うが。 雑駁に以下。 マルクスには多面性があって、現代的な意義はよく言われるように初期で、後期の、経済学的な集成である資論は、古すぎてなんじゃこれみたいになりつつあるというか、ローマーあたりの議論が面白いのかもしれない。それはそれとして。 資論には、これもいちおう言われてもいるのだが、初期哲学とは別の哲学が込められていて、そこが難しい。松尾さんとかの議論を見ていると、疎外論として取り出したいのだろうと思うが、私はちょっと違うかなと思っている。 資論の最大の問題は、1巻で全貌が見えるようでありながら、実際には3巻の、市場の問題が反映している。市場をどう捉えるかなのだが、雑駁きわまりなくいえば、マルクスの

    産業資本主義と金融資本主義 - finalventの日記
  • 公理(2)- 哲学的な何か、あと科学とか

    「宗教とは、『神が存在する』という公理をもとにして構成された世界観である。 したがって、宗教について反論することは無意味なことである。 結局のところ、 議論の焦点は『神が存在する』という根的な公理を認めるかどうかであり、 そもそも公理の質が『証明不可能な暗黙の了解』であるのだから、 その公理を受け容れるかどうかの個人的な問題となり、 一般的理論的な議論は無為である」 「『宗教を信じること』 と 『幾何学を信じること』は、 証明不可能な公理を受け容れているという点で、質的に同じことである」 なんと、このサイトがになりました! だと、もっと読みやすいですよ~(編集者のチェックが入っているので) 「哲学的な何か、あと科学とか」 飲茶 送料無料で注文できます Amazon 楽天 好評につき、2冊目がでました!(書き下ろし) 「哲学的な何か、あと数学とか」 飲茶 送料無料で注

  • [書評]今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ

    書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」(参照)のテーマとなるハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、1906年ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者だ。名前からわかるように女性で、若いころは彼女の先生だった哲学者ハイデガーと濃い師弟関係もあった。後年ナチス政権を逃れ、フランスを経て1941年に米国に亡命した。その後米国で英語での主要著作をなし、1975年、期待される大著執筆の途中、68歳で没した。 彼女の思索が注目されたのは、その経歴の刻印にも関係するが、ナチスという政治体制を筆頭に、20世紀の全体主義体制をどのように考えたらよいかという課題に、独自の議論を展開したことによる。その独自性の意味合いと、彼女の最終的な思想の帰結について、書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」は、新書として軽い文体で書かれているものの、明確に描き出していて読み応えがあった。私はアーレントの

  • 「将来世代を産出する義務はあるか」という論文を書きました - kanjinaiのブログ

    大阪府立大を拠点に、「生命の哲学」プロジェクトを進めている。その成果の一端は、先日の応用哲学会のワークショップ「生命の哲学の可能性を考える」でも発表した。2008年から、年に1のペースで、「生命の哲学」の共著論文を刊行しているが、その第2回が出たので、紹介する。 森岡正博・吉陵「将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)」 http://www.lifestudies.org/jp/philosophylife02.htm 哲学者のハンス・ヨーナスは、環境倫理学の基盤として、将来世代への責任を提唱した。しかし、そもそも将来世代は将来に存在しないといけないのだろうか。我々は、将来世代を産出する義務を負っているのだろうか。これが論文のテーマである。前半では、ヨーナスに沿って考えたときにどうなるのかを検討した。後半では、ヨーナスを離れて、そもそもわれわれはそのような義務

    「将来世代を産出する義務はあるか」という論文を書きました - kanjinaiのブログ
    kousyou
    kousyou 2009/05/08
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  • 無徴と民族性 - 地を這う難破船

    ⇒「個人に依拠する」ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。 一連の議論を拝見していて、mojimojiさんが言っておられることと、かつて福田恒存が言っていたことと、どう違うのだろうと考えていた。保守は近代主義で個人主義で、近代の問題としてあった民族「主義」に対して批判的だった。どう違うかというと、保守は存在論的に「個人」を規定しはしない。 たとえば実存主義においては、個人はそれを取り巻く関係性を「括弧に入れて」規定される。サルトルが括弧に入れたもの、あるいは切り捨てたものについて、たとえば福田恒存は批判した。実存がありうるとして、実存と関係性は切り離せない、と。「その人」を取り巻く関係性が、その実存を囲い込む。囲い込みを切り捨てるためにこそ、実存という概念をサルトルは掲げた。切り捨てるための概念であって、その切断には意義があった。 問題は、切断の理由と意味に気が付かないままその概念

    無徴と民族性 - 地を這う難破船
  • 弁証法 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "弁証法" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2018年9月) 「ジンテーゼ」はこの項目へ転送されています。 日の企業については「ジンテーゼ (企業)」をご覧ください。 Plastic Treeの曲「ジンテーゼ」については「メランコリック (Plastic Treeの曲)」をご覧ください。 弁証法(べんしょうほう、希: διαλεκτική、英: dialectic)矛盾を解消し高い次元へと発展する働き。哲学用語だが評論では、「矛盾の解消」「対立項の折衷」などの意味で用いられることも多い。 哲学の用語であり、現代において使

  • ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia

    ルソーの生家 ジャン=ジャック・ルソーは、1712年6月28日、ジュネーヴのグラン・リュ街にて誕生した。父はイザーク・ルソー、母はシュザンヌ・ベルナール[5]。 ルソー家の先祖はパリ近郊モンレリ(英語版)に由来し、1549年にディディエ・ルソーがプロテスタント弾圧から逃れるためにジュネーヴに移住したことに起源がある。ジュネーヴはカルヴァン派のユグノーが構成するプロテスタントの都市共和国であり、当時はまだスイス誓約者同盟に加盟していなかった[6]。ジュネーヴはルソーの故郷であり続け、自分をジュネーヴ市民として見ていた[5]。 父イザークは陽気で温和な性格をもった時計職人であり、ルソー家が代々営んでいた「時計師」は、当時のジュネーヴでは上位身分であった市民と町民のみに限定される職であった[6](母方の祖父も時計師であった[7])。要するにジャン=ジャックは貧困層ではない中間的な職人階級の家に生

    ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia
  • asahi.com(朝日新聞社):レビストロース氏100歳 サルコジ大統領が祝福 - 国際

    レビストロース氏100歳 サルコジ大統領が祝福2008年11月29日15時6分印刷ソーシャルブックマーク 【パリ=国末憲人】20世紀を代表する思想家で文化人類学者のクロード・レビストロース氏が28日、100歳を迎えた。地元フランスのサルコジ大統領は同日、同氏を訪問して敬意を表し、様々な記念行事も催された。 同氏はパリ在住。メディアにはほとんど出ないが、健康で、旅行もする。頭脳の明敏さは相変わらずという。大統領府によると、現代社会の今後についてサルコジ大統領と意見を交わしたという。 仏政府はこの日、仏で活動する人文社会科学者を対象とする「レビストロース賞」を創設すると表明。同氏の中南米などでの収集品を多く所蔵するパリの国立ケ・ブランリ美術館も同日、同氏の作品の朗読など記念行事を展開。仏国立図書館は同氏の原稿を展示し、ルモンド紙は4ページの特集を掲載した。 レビストロース氏は構造主義の父といわ

  • 合理ゆえに我信ず - 地を這う難破船

    ⇒科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想 (前略)要は人間が信じるか信じないかというだけでしょという点において。宗教も科学も、人間にあたかも世の中に客観的な真理があるかのように思わせる手段に過ぎない。 (前略)下に書いてある通り、科学は科学的ではない。私の認識では巷に溢れかえる擬似科学批判は単なる科学信仰に過ぎない。疑似科学批判に余念がない人は、世の中の人が全員科学を信仰しているとでも思ってやしないだろうか。その<普遍性>も「わからん」。と言っておく。 詐欺とかと関連づけて考えちゃう人の気持ちはわからんでもないけど、詐欺は疑似科学の結果じゃないでしょ。逆。詐欺ありき。疑似科学に罪はないだろ別に。 詐欺の方法論としての疑似科学が「罪深い」のは。――以下数百年を十数行で犯罪的なまでに単純化した記述なのでその点は諸賢の御了承と突っ込みを。 chnpkさんが参照しておられる2

    合理ゆえに我信ず - 地を這う難破船
  • いまだに人間の原理がわからない : 404 Blog Not Found

    2008年10月25日02:00 カテゴリPsychoengineering いまだに人間の原理がわからない いまだに人間の原理がわからない。 いまだにコンピュータの原理がわからない - 個人的な体験・その他の雑感 いまだにコンピュータの原理がわからない。 コンピューターの原理ならわかるし、あまつさえそれを生業の一つにすらしているというのに。 肝心の自分自身の動作原理がわかっていないのに、私はこの瞬間も生きている。 それで不自由なく暮らしている。同様に、たいがいのことに関しては、ノウハウの安易な取得を行うことで日々を過ごしているわけだ。 からだ。 そうやって考えを進めていくと、自分自身も含め、ほとんどの物事の原理がわかっていないのに、生きていくのに必要な程度には物事を「操作」できることに、床が急に透明になって、自分が今高度100m以上の高所にいることを突然自覚させられるような恐怖を感じたり

    いまだに人間の原理がわからない : 404 Blog Not Found
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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  • あまり文献にそって考えているわけではないが - finalventの日記

    最近、自分が20年以上考えてきた、哲学的な問題にちょっと解決が見つかりそうなので、ときおり考えている。どういう問題なのかというのを説明するのがめんどくさいし、哲学をプロパーにやるとすでに終わっているよその問題ということにもなるのかもしれない。 ま、でも、ぶっちゃけ言うと、主観の根拠性と、世界の齟齬の理由はなにか?ということ。 まあ、独我論なんだけど。 大森荘蔵から少しづつ自分も離れつつあるのか、しかし、結局独我論というのは抜けることができない前提なんだというとき、独我の中に現れる他者や世界とはなんだろ? ここで最近考えているのは、予測とルールということ。 はてななんかでも前期ポパーと言っていいかと思うけど、科学的言説の基準に、反証可能性が一人歩きしているっぽいけど、反証可能性というのは、まあ、それなりに役立つ。 で、この場合、世界にはベルクソン的な時間は存在しない。つまり、反証可能性という

    あまり文献にそって考えているわけではないが - finalventの日記