2008年05月27日03:38 カテゴリそのほか GPSドローイングは自分で描いてこそTweet 上は"BIGGEST DRAWING IN THE WORLD"というGPSで書いた地上絵だそうだ。 GPSドローイングといえば我が国にはご存じ石川さんがおられるわけだが、さすがにこの規模は手がけていない。びっくり。 でもなー、これ、DHLにルート指定してGPS積んだアタッシュケース運ばせて描いたらしい。それじゃもったいない。 というのは、下の地上絵、ぼくと石川さんで一緒に光が丘団地で描いたブタの絵なんだが、自転車に乗ってこれを描くその経験がものすごく楽しかった。 GPS地上絵って、自分で移動して描くから面白いんだと思う。衛星からピンと張られた見えない糸をぐいぐいと引っ張って街を移動するあの感じ。あれこそがGPS地上絵の醍醐味だ。たとえて言うなら、それは楽器演奏と打ち込みの違いか。結果として
化石採集と聞いて、どんな様子を思い浮かべるだろうか。山中の、露出したガケのようなところで、体を斜めにへばりつかせてツルハシで発掘するようなイメージだと思う、誰しも。 が、聞いたところによると、私も以前近くに住んで慣れ親しんだ「多摩川」、その川に化石採集できる場所があるという。 そういうの大好き。鉱石が近所の川で採れるとか、そういう話大好き。 化石が、がぜんリアルに迫ってきた。うおーもう行くしかない! (乙幡 啓子) 靴に一番悩む 「聞いたところによると」というのは、友人の仕事仲間からの話である。彼曰く、 「露出してるんすよ!露出」 とのこと。何だそりゃ。しかし静かに興奮している感じが伝わり、ますます興味が出てきた。 が、彼がサッと書いて手渡してくれた地図がすごかった。
私自身ADHDとして、ADHDやAS(アスペルガー症候群)、人格障害の人たちとお付き合いして分かったことを書いていってみようと思います。本音で書きますので、発達障害にあまりに理解の無い無責任なコメントには返答はしませんので、ご理解ください。 (前項に続く) 別の言い方をすれば、「ただ多数派に合わせる、表面上同じになる」という考え方では、価値観の中で自分を裏切る部分が必ず出てきて、それが新たなストレスの原因となり、病的反応につながる。 例えば長年の意識的理論的な推論の努力の積み重ねにより、状況がかなりの程度多数派と同じように理解できたとしても、行動として自分が建前と本音を使い分けることで「自分はウソをついている」と自分を責める結果になる。 こういうわけで、最終的に多数派に合わせて「普通」と志向する場合でも、当たり前だが(不可能なので)「多数派と同じ意味での普通」に至る訳ではなく、「発達障害の
私自身ADHDとして、ADHDやAS(アスペルガー症候群)、人格障害の人たちとお付き合いして分かったことを書いていってみようと思います。本音で書きますので、発達障害にあまりに理解の無い無責任なコメントには返答はしませんので、ご理解ください。 (最近成人発達障害当事者会の集まりでお話した「脳に合った生き方」という講話から)。 発達障害の当事者は多数派の世界の中では多数派と比べて「状況理解の不足」「注意集中のコントロールが困難」といった能力的な「障害」を持つのは確かだ。 ここを出発点として、「足りないところを補うケア」という考え方は単純で、比較的障害の軽い人(とACの重症な人)はこう考えることが多い。 この「ただ多数派に合わせる、表面的に多数派と同じになろう(しよう)とする」という適応やケアの発想が、実は自然のようで大きな困難や問題点を伴うことが私は分かってきた。 発達障害の脳の「多数派との違
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く