タグ

2010年6月25日のブックマーク (2件)

  • つりたくにこ=河合はるこ!?

    2019年12月(1) 2019年02月(1) 2018年12月(1) 2018年08月(1) 2018年06月(1) 2018年02月(1) 2017年12月(8) 2017年05月(1) 2017年04月(2) 2017年03月(1) 2017年01月(1) 2016年12月(1) 2016年09月(2) 2016年06月(1) 2016年05月(2) 2016年04月(3) 2016年03月(2) 2016年02月(2) 2016年01月(5) 2015年12月(5) ここ一月ほど、NHKドラマ「ゲゲゲの女房」で少女マンガ家の卵として登場する「河合はるこ」は、若くして亡くなったマンガ家のつりたくにこさんがモデルではないかと話題になっているようです。元々はネットで「河合はるこにはモデルがいるんでしょうか?」と誰かが質問したことに「つりたくにこさんでは?」という書き込みがあったことから一

    つりたくにこ=河合はるこ!?
    kousyou
    kousyou 2010/06/25
    "「事実」の持つリアリティが脚本家のインスピレーションを刺激し、物語に強度を与え、加えて昭和30年代後半の貸本マンガ界の凋落と貧乏生活の描写が今の時代の不景気な世相に響いてヒットにつながった"
  • 院政のはじまりー白河院ー - 我が九条

    院政を始めたのは白河上皇である。白河上皇は子どもに譲位した後、自由な立場から院政を行った。 これがよくなされる説明である。しかし実際にはそれほど単純に院政が成立したわけではない。白河天皇が自分の皇子善仁(たるひと)親王に譲位したその背景には、白河天皇の妄執があった。 発端は後三条天皇親政に遡る。後三条天皇は藤原摂関家を外戚としない天皇であることは、有名である。後三条が実際に院政を行おうとしたか否かについては、議論の分かれるところであるが、後三条の皇位継承計画によれば、とりあえず白河天皇を即位させ、時期が来れば皇族を外戚とする実仁親王を即位させようと考えていたようだ。 白河天皇は自分が愛した賢子の血を引く善仁親王に皇位を継承させたいと考えた。そういう中で皇太弟の実仁親王が死去し、その機を捉えて善仁親王の即位を強行した。堀河天皇である。ここに院政が成立した、と言われる。 しかし白河上皇自身、院

    院政のはじまりー白河院ー - 我が九条