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2011年1月21日のブックマーク (3件)

  • 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第1回、第2回を見て(追記あり) - Apeman’s diary

    この番組について書く前にとりあげたいもあり、また第3回、第4回も見たうえで評価したいということもあって、とりあえず思ったことを漫然と書いておくことにする。 1月16日に放送された第2回「巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム」について、hokusyu さんが次のようにコメントしておられる。 昨日のNHK戦争話は、まあ実証歴史学の罠というか。よくあるホロコースト機能派批判がそのまま通用してしまう感じ。つまりカタストロフがあたかも「運命」であったかのように物語られることですが。 (http://twitter.com/#!/hokusyu82/status/26857725812019200) たしかに「暴走のメカニズム」といったタイトルは視聴者にそうした「物語」を暗示しかねない。第1回の導入部では当時の軍・政府関係者の戦後の発言が紹介されていたが、佐藤賢了の次のような発言*1は「カタストロフ

    「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第1回、第2回を見て(追記あり) - Apeman’s diary
  • 新宿歌舞伎町から流れ出していた川「蟹川」の痕跡を辿る。 (後編) : みちくさ学会

    暗渠/川跡/川 « 前のページ次のページ » 新宿歌舞伎町から流れ出していた川「蟹川」の痕跡を辿る。 (後編) January 13, 2011 Tweet (前編からの続き)先の暗渠路地から別の路地に入ると、道の真ん中に朽ち果てた井戸が残っていた。 大久保通りが蟹川の谷を越えるところでは、谷は幅250m、深さも10mほどあり、これを越えるために大久保通りは築堤の上を通っている。築堤の北側の広大な谷底には都営戸山ハイツと東戸山小学校、そして戸山公園が広がっている。 蟹川の流れるこの広大で深い谷は、谷底の標高が17〜22mほど、谷の西側の台地上が28〜30mなのに対し、東側〜南側の台地上は37mと西側よりもかなり高くなっている。これは、谷が下末吉面と武蔵野面と呼ばれる二つの段丘の間に形成されているためだ。より古い下末吉面にあたる南〜東側の方が、谷底から台地までの高低差が大きく、斜面も急峻とな

    新宿歌舞伎町から流れ出していた川「蟹川」の痕跡を辿る。 (後編) : みちくさ学会
  • 新宿歌舞伎町から流れ出していた川「蟹川」の痕跡を辿る。 (前編) : みちくさ学会

    暗渠/川跡/川 « 前のページ次のページ » 新宿歌舞伎町から流れ出していた川「蟹川」の痕跡を辿る。 (前編) January 12, 2011 Tweet 日最大級の繁華街、新宿歌舞伎町。その西端となる西武新宿線の西武新宿駅沿いの道に、わずかにV字に窪んでいる地点がある。窪みの底からは、歌舞伎町1丁目と2丁目の境界線となっている「花道通り」が、浅い谷を緩やかにくねりながら東へ通じている。通り沿いには飲店や遊興施設、風俗店などが入り乱れているが、それらに出入りする何十万人という人々のうち、かつて、この通りは川だったことを知る人はどれだけいるだろうか。 今回とりあげるのは「蟹川(かにかわ)」。 金川とも記されるこの川は、西武新宿駅のやや西、JR山手線と総武線が分岐する辺りにその流れを発し、歌舞伎町にいくつかあった池の水を加えて花道通りのルートを流れ、明治通りの東側で向きを北へと変えて、戸

    新宿歌舞伎町から流れ出していた川「蟹川」の痕跡を辿る。 (前編) : みちくさ学会