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2011年7月21日のブックマーク (5件)

  • DVDだけではないビジネスを模索したい――フジ・ノイタミナプロデューサーが語るアニメの今

    フジテレビの木曜深夜で、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』など、数々のヒットアニメを送り出してきた“ノイタミナ”。設立時からプロデューサーとして参加している山幸治氏は業界セミナーで、現状のDVD販売のみを軸としたアニメビジネスから脱却したいと語った。 フジテレビの木曜深夜で、数々のヒットアニメを送り出してきた“ノイタミナ”。「アニメの常識を覆したい」という制作スタッフの思いから、「animation」を逆さ読みした名称が付けられたその放送枠からは、『のだめカンタービレ』『東のエデン』などが生み出され、6月まで放送していた『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』では作品の舞台を訪れる“聖地巡礼”を行うファンも目立った。 そんなノイタミナを支えているのが、2005年の放送枠設立時からプロデューサーとして参加している山幸治氏。山氏はもともとフジテレビの著作権部という畑違いの部

    DVDだけではないビジネスを模索したい――フジ・ノイタミナプロデューサーが語るアニメの今
    kousyou
    kousyou 2011/07/21
    面白かった
  • アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』

    例えば僕の研究している領域でもマルクス主義+熱心なキリスト教徒という経済学者がいる。これは人間のアイデンティティを単一のものとしてしかみなさい人たちからみると矛盾しているか、なんらかのごまかしているようにしか思えないだろう。でも、人間のアイデンティティの複数性があたりまえだと思えばこの「矛盾」とか「ごまかし」とかいう見方はあてはまらないだろう。 「日常生活のなかでわれわれは、自分がさまざまな集団の一員だと考えている。そのすべてに所属しているのだ。国籍、居住地、性別、階級、政治信条、職業、雇用状況、習慣、好きなスポーツ、好きな音楽、社会活動を通じて、われわれは多様な集団に属している。こうした集合体のすべてに人は同時に所属しており、それぞれが特定のアイデンティティをその人に付与している。どの集団をとりあげても、その人の唯一のアイデンティティ、また唯一の帰属集団として扱うことはできない」20頁

    アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』
  • SYNODOS JOURNAL : 『専門家』の責務としての科学コミュニケーション 山口浩

    2011/7/2111:2 『専門家』の責務としての科学コミュニケーション 山口浩 2011年3月11日の東日大震災と福島第一原発の事故は、さまざまな意味で日社会に大きなインパクトをもたらしたが、そのなかでも大きなもののひとつは、「専門家」への信頼の深刻な毀損だ。一時流行語にさえなった「想定外」というコメントを耳にするたびに、また次々と重大な情報が伏せられていたことが明らかにされるたびに、地震予知や災害対策、あるいは原子力工学や放射線医学をはじめとする、災害や事故に直接深く関係する分野の専門家に対する信頼は大きく傷つき、また強い不信を抱かれるようになった。 http://synodos.livedoor.biz/archives/cat_60293.html)において、いわゆるゼロリスク幻想との関連で取り上げたことがある。よしあしは別として、専門家たちは、ゼロリスクであるというメッセー

  • 現実経済路線を採用するエジプトのムスリム同胞団:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン Mariam Fam(Bloomberg News記者) Stanley Reed(Bloomberg News、Bloomgerg News総合記者) 米国時間2011年7月7日更新「 Egypt’s Muslim Brotherhood Embraces Business 」 イスラム教政治組織「ムスリム同胞団」に所属するカイラート・エル=シャタル氏は、わずか数カ月前まで、ホスニ・ムバラク政権によって投獄され、刑務所で悶々とした日々を送っていた。同氏が手掛けていた事業の多くは営業停止に追い込まれた。それが今、同氏はこのエジプト最大のイスラム教政治組織のナンバーツーとして、ひっきりなしにやって来る来客の応対に追われている。同氏の元を訪れる客

    現実経済路線を採用するエジプトのムスリム同胞団:日経ビジネスオンライン
  • [書評]原発安全革命(古川和男): 極東ブログ

    山道を登っていてふっと木々の合間から、今来た道とこれから進む道が見えることがある。来し方行く末、こう辿り、こう進むのか。あるいはそう歩みたいものだと遠くを見る。書籍にもそう思わせるものが稀にある。「原発安全革命(古川和男)」(参照)はそうした一冊である。その描く未来を歩みたいものだと願わせる。 書の前版は十年前に文春新書で出版され、当然のごとく絶版となっていた。再読したいと思い、実家をあさったが転居の際に処分してしまったのか書棚にはなかった。 この機会に書を再読したいと思った人は少なくはなかったのだろう。福島原発事故以降、「検証 チェルノブイリ刻一刻」(参照)同様、書にもプレミアムがついた。幸い版元の文藝春秋に識者がいたものと見え、こちらのは「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ」(参照)と改題され復刻され、書も書名内の括弧が取れたものの増補新版となった。 あれから十

    kousyou
    kousyou 2011/07/21
    "市民社会が国家より優位にあるためには、こうした装置を市民社会の側に移管できるまでに縮小化しなしなければならない"